20



体が重い。頭が重い。空気が、重い。
いつしか私は全ての感覚を取り戻し、重い瞼をゆっくりと持ち上げた。

未だに頭が判然としない状態で辺りを見回してみるも淀むように暗くてよく分からない。わずかに掠れる目をこすってじっくりと見渡せば、ようやくここが室内だということに気が付いた。
なんだか宿とは違う、しっかりと作り込まれた部屋。例えるなら時代劇なんかでよく見る殿の部屋、という感じだ。そんなところに私は転がされている。
あれがなんて名前なのかは分からないけど、姿を隠すための薄い仕切りのようなものもあるから一層お偉いさんの部屋という感じがする。


(部屋はすごいけど…夜なのかな…ちょっと、暗すぎ…)


私という奴は案外呑気なもので、女の子に気を失わされたにも関わらず辺りの景色をこれでもかというほどにじっくり眺めている。

部屋の暗さもさることながら、この空気は一体なんなんだろう。空気が悪い、とはよく言うけれど、これはどちらかと言えば物理的に重く感じてしまうほどのもの。それにのしかかられているように重い体を起こせば、不意に背後から男の声が響いて来た。


「目が覚めたか」
「!」


ビク、と肩を揺らしてはすぐさま声の主の元へ振り返る。暗くてよく分からないけど、そこに誰かが座っている。と思ったその時、外で強い雷光が閃いた。

窓から差し込んだその光に照らされた男は、以前私の前に現れた傀儡と同じ姿をしている。


「その毛皮…奈落、だっけ…また傀儡?」
「わしは正真正銘、本物の奈落よ…そして、ここは我が城。お前をここに連れてくるよう命じたのはこのわしだ」


そう言いながら奈落は毛皮を掴み、ズル…と下ろして見せた。そこから現れたのは黒く長い髪を垂らす男の人。あらゆる妖怪を容易く従えてしまうと聞いていた彼の姿はどこからどう見ても人間そのものであった。けれど確かに、人間ならざるものの雰囲気を纏っている。

ほんの一瞬とて油断してはダメだ。それを咄嗟に感じ取った私はすぐさま警戒するように奈落を睨みつけた。


「…簡単に姿を明かしてるけど、いいの?私が誰にも喋らないとは限らないけど」


そう告げながら頑張って不敵な笑みを演じてみる。引き攣ってしまっているかもしれないけれど、笑みを見せることで相手に“余裕がある”と思わせるためだ。
しかし奈落はそんな私の様子など気にする素振りも見せず胡乱げに「くくく…」と喉を鳴らして来る。


「わしは自由に姿を変えられるからな…お前がなにを喋ろうと知ったことではない。そもそも…お前をここから出すつもりもないがな」
「…へえ…私は逃げてやるつもりだけど」


声が震えそうになる。けれどそれを必死に律しては強気に演じて見せた。

奈落にだっていつか必ず隙ができるはずだ。なんとかそこを突いて逃げ出さなければ。殺生丸さまが嫌っている奴に餌として捕まったなんて、あまりに申し訳なくて堪らない。私はただ逃げ出すことだけを胸に奈落から目を離さず、いつか現れるであろうわずかな隙を待った。

すると奈落はなにを思ったか、私の姿をしばし眺めてはふっ、と小さく笑みをこぼしてくる。


「どうやら…随分と胆が据わっているようだな志紀よ」
「当然、でしょ」


そう告げると同時に滲んでいた汗が私の頬を伝い落ち、床に突いていた手に一滴の雫として散った。この嫌な緊張は一体いつまで続くんだろう。
堪らず脳裏にそんな思いが浮かんだ時、闇の中で瞳を歪ませた奈落が身を乗り出したかと思えば無骨で大きな手をユラリと伸ばして来る。


「当然、か……ならばその震えは、わしの見間違いか?」
「っ!」


一滴の汗に濡れた手が突然グッと握り締められる感覚に大きく肩を揺らした。

――ダメだ、見抜かれている。

それをすぐに悟った私は奈落の手を強く振り払った。そして目の前の男から逃げるように後ずさり、握られた手を胸の前で思いっきり握り締める。けれど体の震えはいつしか隠せなくなっていて、思わず私は血が滲むのではないかというほどに唇を噛みしめながら奈落へ問いかけていた。


「そっ…そもそも、私なんかを攫って…一体なにが目的なのっ」
「以前傀儡で話した通りだ。貴様を人質にする」


奈落は立てた片膝に腕を乗せ、変わらず余裕な笑みを湛えてそう言い切った。やはり目的は変わっていないらしいけれど、どうしても理解ができない。なぜ殺生丸さまを誘き出すために私なんかを使うのだろう。

確かに最近の殺生丸さまは以前よりも優しくしてくださっているとは思うし、私が襲われそうになった時はすぐに助けに来てくださる。けれどそれは私だけではない。りんちゃんだってそうだ。むしろどちらかといえば年齢もあってか、りんちゃんの方が一層大切にされているようにも思える。

だから私なんかを使ったところで、殺生丸さまがこんな敵の手中ど真ん中へわざわざ乗り込んで来るとは到底思えなかった。しかもその相手は小賢しい手を使うという奈落だ。


「残念だけど、無駄だと思うよ」


当然のようにはっきりとそう告げてやれば、奈落はほんのわずかに目を丸くさせた。


「なぜそう思う」
「この際だから教えてあげるけど…私は殺生丸さまに迷惑ばっかりかけてるし、しょっちゅう叱責されてる。言ってしまえば、のこのこ着いて行ってるだけのお荷物なの。あの方が不利な状況に足を踏み込むほどの価値は、私にはない」


そんな言葉は意外とスラスラ出て来るけれど、どういうわけか同時に胸がひどく痛んだ。分かっていることなのに、殺生丸さまが本当にそう感じているんだろうと思うと泣いてしまいたいほどに胸の奥が締め付けられるように苦しくなる。そんな矛盾に声が詰まって、気付けば気を紛らわすようにもう一度唇を噛みしめていた。

奈落はそんな私をしばらく言葉もなしに眺めていたものの、ふと小さな声で「そうか…お前も奴と同じなのだな」とこぼしながら滑稽そうに目を歪めてくる。同じ、って一体…と顔をしかめかけた時、奈落は私を真っ直ぐ見つめながら言い切った。


「案ずるな。奴は必ず来る…」
「……根拠でもあるの」


余裕そうに断言する奈落にかすかな苛立ちを覚えて眉をひそめる。殺生丸さまがそんなに単純ではないことくらいこの男も分かっているはずだ。それなのにこいつは澄ました顔でただただ滑稽そうに笑みを向けて来る。

それがまるで、“お前よりも奴を理解している”と語っているような気がして、とても不愉快だった。


「……っ」


ざわつく胸に耐えかねて大きく顔を背けてしまう。いやだ。見たくない。あの笑みを見ていると胸の内を掻き乱されるようで居た堪れない。

そんな感覚にギリ…と唇を噛めば、口の中へほのかに鉄臭い香りが広がった。と同時に、わずかに床が軋む音を鳴らされる。
奈落が私に近付いている。だめだ。接近を許してはいけない。すぐに、今すぐに逃げなければ。
本能がそう叫びけたたましいほどの警鐘を鳴らす中、私は弾かれるように背後へ駆け出そうとした。

――その時、左腕がとてつもない力で強く握りしめられた。


「っあ!」
「くく、逃げられるとでも思ったか?」


腕を囚われたことによって体勢を崩した私は床へ腰を打ち付けられ、腕を潰されそうなほどに強く締め付けられる。その痛みに顔を歪めて切れ切れの声を漏らせば、顔を掴み込まれ無理やり奈落へと向き直された。


「や、め…っ」


無理に離そうと抵抗するもその力は強く、私の力では振り払うことすら叶わなかった。そのまま接触してしまいそうなほど間近に迫った赤く暗い瞳が、真っ直ぐに私を見つめて来る。まるで全てを見透かしてしまうようなその瞳が恐ろしくて、いつしか声を詰まらせたまま不気味なそれを見つめることしかできなかった。


「志紀よ…根拠が知りたいのなら教えてやろう」


歪められた唇は閉ざされ、もう一度静かに開かれていく。


「奴は…殺生丸は、貴様に惚れている」
「っ…!?」


奈落の声に、言葉に、頭が真っ白になる。痛いほどに跳ね上がった心臓が、全ての音を掻き消してしまうほどに私の頭の中を支配していく。


「貴様を利用すれば、奴はわしの術中に嵌り必ず隙ができる。必ず、だ」


私を真っ直ぐに見つめて離さない奈落の瞳が、私の心を大きく揺さぶってくる。気付けば目尻にじんわりとした熱が帯び始め、微かに体を震わせていた。


「ちがっ…せ、殺生丸さまが…私に惚れる…はずはっ…」
「奴自身が気付いていないだけのこと。貴様との一連の行動を見ていれば明白だ」


私の腕を握り締める手が緩くなり無骨な指が頬へ滑らされる。その指が頬を拭うように掠めて離されるとなにかが床へ伝い落ちた。
――涙だ。私はいつしか、涙をこぼしていた。


「違う、違う…殺生丸さまは…私なんか…っ」


感情が綯い交ぜになってぐちゃぐちゃになっていく。言葉なんて、まともに発することができなかった。

私は今、一体なにを思っているんだろう。殺生丸さまが私を好きだということに喜んでいる?私なんかがあの人の恋人になんてなれやしないと否定している?
全てが事実で全てが間違いだと告げる頭の中は、いつしか重なり合う様々な思考の奥深くでたったひとつのことだけを考えるようになっていた。

――殺生丸さまに会いたい。

ただそれだけだった。会えば分かる。この気持ちの中の正解はどれなのか。
会いたい。会いたい、今すぐに。そう願いながらとめどなく涙をこぼす私の姿を見つめていた奈落の口は今まで以上の歪みを見せた。


「くくく…そうだな…餌にするよりも面白い方法があった…」


小さく囁かれた声に顔を上げかけたその時、突如私の体がいとも容易く奈落に包み込まれてしまった。奈落の体が、体温が、私を覆い尽くす。背中に回された大きな腕は、私を逃がさまいと力強く抱きしめていた。


「は、はなっ…――っ!!」


離して、と言い掛けた言葉は首裏に与えられた電撃のように鋭い痛みで掻き消された。なにかが私の神経を支配するような、形容しがたくも耐え難い痛み。直後、その痛みを与えられた場所から急激に力を吸われるような気がして、私はほんの一瞬の間に意識を手放してしまった。


「わしの下で働いてもらうぞ――志紀」


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