16



「あの、よければ…私の家で休みませんか?」


夕暮れ時にそう提案したのは言わずもがな私だった。
長らく続く野宿のせいで私の体はバキバキだし、なによりも私たちが眠っている間ずっと見守ってくださっている殺生丸さまが休めていないことが気がかりだからだ。彼は気にするなと言ってくれるし、もう今さら、という感じもあるのだけど…。

ふと殺生丸さまの顔を覗き込んでみれば横目に見据えられただけで、フ…と伏せられてしまった。やっぱりダメなんだろうか。そう思っていると不意に私のパーカーの裾がくいくいっと引っ張られた。


「志紀お姉ちゃんのお家に行けるのっ?りん、行ってみたい!」


りんちゃん…やっぱり天使っ!
目を輝かせるりんちゃんに私の頬がでれんでれんだけど、りんちゃんの向こうに立つ邪見がものすごく訝しげな視線を向けて来る。なにやらとってももの申したいらしい。

それでも私は邪見を素っ気なく無視してりんちゃんと一緒に殺生丸さまへ向き直り、すぐさまぱんっと音を響かせるほどに手を合わせてみせた。


「お願いします殺生丸さま!」
「お願い〜っ」
「……構わん」
「「やったー!!」」
「え゙え゙っっ!?よろしいのですか殺生丸さま!?」


声を揃えて喜ぶ私たちに対して邪見は顎が外れるほど愕然とした顔を見せてくる。どうだ邪見、見たか。私の勝ちだ。
見事許可を勝ち取った私が渾身のドヤ顔を見せれば、邪見はぐぬぬぬ…と悔しげに歯を食い縛って睨んでくる。ふっ、そんなもの効かぬよ。どれだけ納得できなかろうと、ここは私が勝ったんだからしっかり従ってもらおうじゃないの。


「ほら邪見、さっさとりんちゃんと手繋いで」
「な、なぜ手を繋ぐ必要がある!」
「邪見だけここに残りたいならいいけど?」
「うぐっ…」


にんまりとした顔で言ってやれば邪見は狼狽えるように一歩後ずさる。するとやっぱり置いて行かれるのは嫌なのか、観念したようにりんちゃんと手を繋いでくれた。
ちゃんと素直になれるじゃん、なんて言おうとした時、ふとりんちゃんが不思議そうな顔を上げて私を覗き込んでくる。


「ねえねえ志紀お姉ちゃん。なんで手を繋ぐの?」
「んー…それが私にも詳しくは分からないんだけど、そうすれば一緒に時代を越えられるみたい」


どうしてそうなるのかは分からないけれど、何度か試した結果がこれだ。触れ合っていれば相手も私と一緒に時代を超えられて、誰にも触れなければ私だけが時代を越える。

そんな不可思議な現象をジェスチャーで示しながら説明してあげたけれど、りんちゃんは理解できているのかいないのか「ふーん」と素っ気ない返事をくれた。まあなんというか、その気持ちは分かる。たぶん私がりんちゃんの立場でもきっと同じ反応をするだろうし、なんなら私自身もよく分かっていないから。
それくらいこれは、謎に満ちた現象なのだ。


「志紀」
「はい?」


唐突に呼ばれて振り返ってみると、殺生丸さまがこちらへ手を差し伸べてくれていた。そう、私がこの手を握れば準備は完了する。ただこの手を握るだけ。それだけ、なのに…

どうしてかその手を見つめた途端ものすごく恥ずかしく感じてきて、つい手を出すことに躊躇いを覚えてしまった。


「えっ、と…」
「なにをしている。早くしろ」
「!」


私の行動の遅さに耐えかねたのか、殺生丸さまが突然私の手を無造作に掴み込んで来る。その瞬間胸がドキッ、と強く跳ねたような感覚がして、それに急かされるように慌ててネックレスを手に取った。すごく顔が熱い。掴まれた手から昇る熱に小さく唇を噛み、同時に沈みかける太陽へ勢いよく銀の蝶をかざしてみれば眩い光が放たれて私たちを包み込んでいく。

それに伴ってフワ…と宙に浮くような感覚に包まれる中、私は痛いくらい高鳴る胸の鼓動に苦しさを覚えていた。



* * *




得も言われぬ浮遊感が消えて行くと次第に足が床に着く。何度か試して分かったことだけど、どうしてか戦国時代のどこから帰ろうとも必ず私の家に着くようになっているらしい。またその逆に、現代のどこから戻ろうと殺生丸さまたちの傍に姿を現すことができる。なんとも便利な代物だ。迷子にならなくて済む。

そして今回もまた同じように私の自宅へ帰って来ると、ひとまず安堵のため息をひとつこぼしてみた。


「えー、ここが私の家です。特になにもないけど、好きにくつろいでね」


りんちゃんたちへそう言ってあげれば、2人は早速部屋中を物珍しそうに見回していた。そりゃそうだ。この部屋のほぼ全部…いや、本当に全部かも知れないこれらは戦国時代にはないものなのだから。

好奇心に釣られたりんちゃんが繋いでいた手をぱっと離して駆け出して行くと邪見が若干そわそわしながらそれに着いて行く。
その様子に思わずくすりと笑ってしまったけれど、気付けば手を繋いだままでいるのは私と殺生丸さまだけだった。それに気付いた瞬間、私の鼓動はドキリと早鐘を打ちそうになる。ああまた熱く、苦しくなってきた。唇を小さく結んだその時、緩く握っていた殺生丸さまの手がスル…と抜けて行ってしまう。


「あ…」


なんだかとても寂しいような、そんな気持ちを感じては無意識に声を漏らしていた。するとそんな小さな声すらも聞き取った殺生丸さまが私の方へ振り返って来て静かに見据えてくる。


「どうかしたか」
「い、いえっ。なんでもないです」


誤魔化すようにへらへらと笑って両手を振るえば殺生丸さまはほんの少し私を見つめた後、フイ、と顔を逸らされてしまった。そしてそのまま歩みを進め、私のベッドに腰を下ろされている。

私はそんな様子をただぼんやりと見届けると、さっきまで殺生丸さまと繋がっていた自分の手へ無意識に視線を落としていた。


(どうしちゃったんだろう、私…)


ここのところ、なんかヘンだ。
それを思ってはぎゅ、と手を握り締めて首を振るった。今はそんなことよりりんちゃんたちに色々教えてあげないと。きっとなにも分からないはずだ。
…と、その前に。


「りんちゃん、邪見。こっち」


おいでと手招きしてみれば2人はきょとんとした様子で近づいて来る。私はポケットからウェットティッシュを取り出すと、2人へ「ちゃんと足を拭くように」と渡してあげた。さすがに泥だらけの足で駆け回られると我が家が大変なことになってしまう。もうすでにちょっとやられちゃったけど。



――そうして2人が足を拭き終えると、私は使い方が分からないであろうものたちの説明をしていった。水を使いたければ水道に、飲み物は少しなら冷蔵庫に、分からないと思ったら聞く前に触らないこと、と。
まるで母親にでもなったような気分で教えてあげて、最後にテレビをつけてあげれば「箱の中に人がいる!」なんて典型的な反応をされて思わず吹き出してしまった。まさかこんな反応が生で見られるとは。

りんちゃんは最初こそ警戒していたものの案外切り替えが早く、しばらく見つめていたテレビにあっという間に釘付けになっていた。その隣ではソファーにだらりと溶けるように座り込む邪見がご満悦の表情を浮かべていて、なんだかんだと言いながら満喫してくれている様子。

…これなら少しだけ空けても大丈夫、かな。


「じゃあ、私はお買い物に行って来ます」
「志紀お姉ちゃん、出て行っちゃうの?」
「うん。すぐ帰って来るから心配しないで」


頭を撫でながら言いかければりんちゃんは「分かった」と素直に応じてくれる。邪見はもう寝そうだし放っておいても大丈夫だろう。問題は殺生丸さまだけど…
ちらりと顔を窺ってみれば、彼は無言で立ち上がった。もしかして見送ってくれるんだろうか。そう思った私はすぐに鍵と財布を手に取ると殺生丸さまと共に玄関へ向かった。

すると殺生丸さまはいつの間に脱いでいたのかご自身の靴を手に持っていて、それを玄関に並べた私の靴の傍に置かれる。かと思えば、再びその靴に足を通そうとした。


「せ、殺生丸さま?ちょっとお聞きしたいのですが…」
「なんだ」
「まさかとは思うんですけど、着いて来ようとしてません?」


堪らず彼を押し留めながら言えばわずかに眉根を寄せられた。この反応…本当に着いて来ようとしてたんだ。


「ダメです。殺生丸さま目立ちますし、現代の人たちに見られたら大変ですから」
「私が傍にいることが不都合か」
「ちがっ、そういうことじゃ…!その、みんなびっくりしちゃうと思うんで、殺生丸さまはりんちゃんたちの傍にいてあげてくださいっ」


ぐいぐいと殺生丸さまを押し返せばようやく理解してくれたようで靴から遠ざかってくれた。その表情はどこか腑に落ちていないような気もするけど。


「現代には妖怪もいないので安心してください。ね?すぐに戻りますから」


靴を履いてそう言って見せると殺生丸さまは「…そうか」とほんの小さく返してくれた。

なんだかすごく心配してくれているみたいだけど、ここまで露骨にされたことなんてあっただろか。もしかしたら奈落に狙われたり雑魚妖怪に狙われることが続いて気を遣わせてしまってるのかも知れない。

それを思うとなんだか申し訳なくなってきて、私はどこか逃げるように「行って来ます」と言い残して玄関を出て行った。



* * *




久々のスーパーをぐるりと回って食材や日用品を買い込む。とりあえず今晩のご飯はりんちゃんを喜ばせたくてオムライスにしようかと思ったけど、いきなり洋食を出すのはハードルが高いかと思って急きょ和食に変更した。
喜んでくれるといいけど…そういえばりんちゃんと邪見のことばかり考えていて、殺生丸さまのことを忘れていた。というのも、彼が食事をしているところを一度も見たことがないせいだろう。人間の食べものは口にしないって聞かされていたし、なにを食べているのか、そもそもちゃんと食事をされているのかすら分からない。
今回もいらんって言われるかも知れないけど、一応殺生丸さまの分も用意しておくべきかな…。


「…さて、早く帰らないと」


あれこれ考えている内に買いものも終えてスーパーを出た。自分史上最高に買い込んでしまったけど、ちゃんと家まで帰られるかな…。いくらなんでも買いすぎたかもしれない。

なんて後悔をしながら歩いていると、不意に足先へがっ、という衝撃が与えられた。これは石かなにかに引っかけてしまったやつだ。それが分かったのはいいけれど、すでに大量の荷物でアンバランスだった私の体はいとも容易く傾いていく。


(やばい…これ、倒れる)


ぐらりと変わる景色がスローモーションのように見える。ほんの一瞬の内に呑気な思考を巡らせた私は来たる衝撃に備えて強く目を瞑った。

――けれど、私を包み込んだのは痛みではなくてほんのりとしたぬくもり。え、と声を漏らしそうになりながら顔を上げてみれば、どうしてかいるはずのない人が当然のように私を支えてくれていた。


「せっ…せせせ殺生丸さまっ!?なんでここに!?」
「危なっかしいお前を放っておけるものか」
「え…」


自然と囁かれた言葉にほんの一瞬ドキ…と胸が高鳴る。けれど現代の風景と殺生丸さまのミスマッチな組み合わせによって即顔が青ざめて行く感覚が現実に引き戻してくれた。私のバカ、ときめいてる場合じゃないよ。

幸いここは人通りが少ない道だったからまだ誰にも見られてはいないけど、こんな真っ白い装いで白銀長髪な男の人がいたら間違いなく騒ぎになってしまう。それを思い出しては支えられていた体を慌てて立て直した。


「殺生丸さまっ今すぐ人に見つからないように帰ってください!私は大丈夫ですから!」


早く早く、と急かしながら必死に殺生丸さまの鎧を押し退けて帰らせようとする。けれど殺生丸さまは微動だにしないどころか、不意に私の腕をグッと掴み込んで来た。


「えっ…!?」
「人に見られなければいいのだろう」
「そっ、そうかもしれませんけど…隠しようがないですからっ」


掴まれた腕からどんどん熱が昇って来て咄嗟に顔を逸らしてしまう。こうしている間に人でも来たら…と焦りを覚えたその時、殺生丸さまがようやく腕を離してくれた。


「志紀、座って荷を抱えろ」
「へっ?こ、こうですか?」


唐突すぎるその指示に理解ができず、無意識の内につい従ってしまった。なんで急に座れなんて、と思ったその瞬間、殺生丸さまは私の目の前に屈み込んで腕を回して来た。しかしそれもほんの一瞬の出来事で、気付いた時には私の体が殺生丸さまに容易く抱き上げられていた。


「!? せっ、殺生丸さまっ!?な、ななななにを…!?」
「口を閉じろ。舌を噛むぞ」


殺生丸さまの表情が煩わしげに歪む。そんな顔されたって、私は今殺生丸さまの右腕に座るように抱えられているのだ。顔は近いし体は密着しているしで当然大人しくできるはずがない。特に心臓が。

ありえないくらい早鐘を打つ鼓動に頭が真っ白になりかけるも、私は頭の中でさっきの“舌を噛むぞ”という言葉を反芻させていた。この体制でどうやったら舌を…

そう思った瞬間、全身にブワ、と大量の風を浴びて咄嗟に目を瞑ってしまった。それがすぐ緩やかになって恐る恐る目を開いてみれば、どういうわけか目の前の光景はがらりと一変し、元いた道路はおろかその周辺の建物すら遥か下に遠のいてしまっていた。


「ひえええ!?たっ高い!!落ちる、死ぬっ…!!」


思わず悲鳴に近い声を上げながら、がくがくと震えて荷物を抱きしめる。私を抱えた殺生丸さまは、あっという間に天高く跳躍していたのだ。

過去にもこういうことがあったけれど、あの時は薄暗いのと無銭宿泊の罪悪感でそれどころじゃなくあまり恐怖を感じなかった。けれど今は日が傾いているとはいえまだ明るく、自分の高度がはっきりと見えてぞっとしてしまう。

高所恐怖症なんて無縁で、どちらかと言えば高いところは好きだったはずだ。それなのに今はめちゃくちゃ怖くて仕方なくて、私は荷物をギュウ、と力いっぱい握り締めた。するとそれをほんの一瞬殺生丸さまが横目で見て来て、再び視線を正面へ向けたままぽつりと呟かれる。


「落とすものか」


その声と共に、私の足を支える殺生丸さまの手に力がこもる。それによって私は得も言われぬ恥ずかしさを感じると同時に、胸が温かくなるような幸せを芽生えさせながら縋るように殺生丸さまに身を委ねていた。


back
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -