黒と白の狭間


朔の日。月の出ないこの日は、半妖である犬夜叉の妖力が失われる。力のない人間になってしまう。犬夜叉はそれを疎ましがっていて、朔の日はいつもピリピリしていた。それは時間が経つのに伴って増していき、地平線に太陽が消え失せようとしている今に至っては近付くことすらはばかられるほどだった。
こういう時、犬夜叉は一人にしてくれと言う。だからみんなで話し合い、朔の日は犬夜叉が見える範囲で離れていてあげようということになっていた。


「あたしたち、向こうにいるから」
「なにかあればすぐに呼ぶんですよ」


珊瑚と弥勒がそう言うにつれ、全員が腰を上げる。すると犬夜叉は弥勒の言葉に「けっ。ガキじゃねーんだ」と吐き捨てるよう顔を背けてしまった。いつもの調子ではあるけれど、やっぱり落ち着かない苛立ちが見え隠れする。そんな姿に声を掛けるか悩みながら、それでも思いつかないまま。私も腰を上げてみんなに続こうとしたその時、袖の端をク、と引く手に止められた。


「…犬夜叉?」


その手は犬夜叉だった。振り返ってみれば彼はそっぽを向いたまま、私の袖を摘まむように掴んでいる。それはとても小さく控えめに見えたけれど、彼の手にはしっかりと力が込められていて強く引き留めようとする意志が感じられるような気さえした。
どうしたんだろう。私がそれを問いかけようと口を開きかけた時、犬夜叉はこっちを見ないままぼそりと呟くように言った。


「名前は残れ。…傍に…いてくれ」


最後の言葉は私にしか聞こえないほど小さくこぼされる。いつもと違うその様子に思わず戸惑いそうになったけれど、いつかの日もこんな姿を見た気がする。それを思い出しては踏み出しかけていた足を止めて、先を行っていた弥勒たちへ振り返った。顔を合わせたみんなは、分かっていると言わんばかりに小さく頷く。そして背を向けて離れていくのを見届けて、私は犬夜叉の隣にそっと腰を下ろした。

見るのは犬夜叉の横顔。こちらを見てはくれないけど突き放そうとはしない、不思議な雰囲気だった。


「犬夜叉…今日は素直なんだね」
「…わりーかよ」
「ううん。いつもそれくらい素直になってくれたらいいのにって」


そう言って笑えば犬夜叉は怪訝そうにこちらに振り返って、不貞腐れるようにまた視線を外してしまう。そういうところが素直じゃないって言いたいんだけど、それははばかられた。逸らされた横顔が、瞳が、いつもと違って見えたから。秘めていたはずの哀しさ、やるせなさ、色んなものが露わになっていたから。

そんな姿に思わず「犬夜叉…」と小さく呼びかけてしまえば、彼は両の黒の中に様々な感情を讃えたまま、こちらを振り返ることもなくほんの小さく紡ぎだした。


「人間になると…不安なんだ」
「うん…知ってるよ」
「爪もねえし、牙もねえ…」
「そうだね」
「鉄砕牙だって使えなくなる…だから…名前を、守れねえ…」
「…うん…」


弱々しく紡がれる言葉たちを逃さないように、小さくもしっかり頷いていく。

犬夜叉は普段、どちらかと言えば妖怪寄りの姿をしている。髪は一族と同じ銀色で同色の犬耳。爪は鋭くて牙もある。そしてお父さんが残してくれた鉄砕牙は、妖力があってこそ扱える妖刀だ。だけどこうして人間になってしまった彼の髪は黒く、犬耳もなければ鋭い爪も牙もない。そして体に秘める妖力さえ失ってしまうから、武器という武器がなにひとつ無くなってしまうのだ。元々の力はあっても、それも半減。妖怪を相手にしては力の差が大きく、太刀打ちなんてできるはずもないくらいだった。

だからこそ、彼はこの姿に怯えて生きてきたという。そしてそれは、仲間ができた今でも、変わらないと。


「お前らがいてくれるから、助かると思った時もあった。けど…もしなにかあった時、お前らを守れねえと思うと…一人の時より、怖くなった」


いつもとは違う、丸い爪に視線を落としながら呟くように言う。まるで恐れの感情を握り潰すように拳を握りしめるけれど、彼の瞳から不安の色が消えることはなかった。むしろ、一層濃くなっていく。

犬夜叉はいつもこんな恐怖と戦っているんだ。それが分かってしまう姿に、堪らず言葉を失いそうになった。だけどその気持ちが分からないわけじゃない。私だって同じ。誰一人、仲間を失いたくはない。改めてその思いを胸にしては、「大丈夫」と囁きかけるように言う。すると不安に満ちた黒の瞳が向けられて、微笑みかける私の姿をまるで鏡のように映し出していた。


「犬夜叉だけじゃない。怖いのは、みんな同じ。だからね、犬夜叉だけが抱え込まなくていいの。一人で全部背負わなくていいの。私たちは仲間…でしょ? 仲間は平等に、みんなで助け合わなきゃ」


ね? そう問いかけるように言えば黒の瞳が丸くなる。まるで知らなかったと。考えもしなかったと言うように。
やがてその目が伏せがちに視線を落としたかと思えば、犬夜叉は再び私から顔を背けてしまった。けれどそれが離れることはなくて、むしろ私の肩へそっと頭を寄りかけてきた。


「犬夜叉…?」


言葉もなく体重を預けてくるその姿に小さく首を傾げる。覗き込もうとした顔は彼の前髪に隠れてよく見えない。どうしたんだろう。そう思ってもう一度声を掛けようとした、その時、


「名前と出会えて…傍にいてくれて、よかった」


いつになく素直で、優しい声がこぼされた。同時に、まるで擦り寄るように一層寄せられる頭。それに伴うよう、彼の黒い髪が流れ込んでくる。それはいつもとは真逆の、人間の色。彼が好まない姿の色。艶やかな黒にそれを感じては、そっと優しく透くように撫で下ろした。この姿を少しでも好きに…ううん、許容できるようになってほしくて。どんな姿でも犬夜叉は犬夜叉だって、受け入れてほしくて、願いを込めるように撫で下ろした。

するとしばらくして、犬夜叉が次第に小さな寝息をこぼし始めたのが感じられた。ゆっくりと増していく肩への重さが心地いい。まるで彼が一人で背負っていたものを、預けてくれるような気がする。そんな錯覚さえ覚えてしまいながら、艶やかな黒に私の髪を流し込んだ。


「私も…一緒にいられて嬉しいよ、犬夜叉…」


起こしてしまわないように、それでいて伝わるように。優しい手をそっと握りしめながら寄り添い、目を閉じた。いつもと違う姿でも、犬夜叉の温もりは変わらない。いつだって心地いい、優しい温もり。

ほら、犬夜叉はどんな姿でも、犬夜叉だよ。
柔く握り返してくる彼の手にそれを伝えるよう、一層優しく包み込んだ。

そんな夜は、なぜだかいつもより短く感じられた。



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朔の日で不安のあまりヒロインに縋ってしまう犬夜叉でした。なんだかんだで正義感の強い彼なのでヒロインを、仲間を、自分が守らなきゃって抱え込んでそうですよね。でも素直じゃないから普段は絶対言わない。そんな気がします。
だからこそヒロインがそれを分かってあげて、絆して。お互いに助け合い、手を取り合う関係だったらいいなぁと思って書かせていただきました。

…とはいえ、リクエスト内容そのままでなんの捻りもなく申し訳ないです…。個人的には気に入っているので、蒼依さまにもお気に召していただけていたら幸いです…!
この度はリクエスト募集企画に参加していただきまして、ありがとうございました。そしていつも応援していただき本当にありがとうございます! 何度も励まされました。こんな管理人ですが、これからもサイト共々見守っていただけると嬉しいです!

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