慣れない感情


「りんがいなくなった…?」
「申し訳ございません殺生丸さま! りんの奴、ちょっと目を離した隙に…」


私が戻った直後、邪見が懸命にこうべを垂れて謝罪をしてきた。どうやらりんが邪見の知らぬ間に姿を消したらしく、辺りを捜したが見つからなかったようだ。

――りんは好奇心の強いところがある。それ故よく一人でどこかへ行こうとするが、大抵は邪見や私が止めていた。しかし私は二人の元を離れており、今しがた戻ったところ。そのうえ邪見が目を離してしまえば、どこかへ行ってしまうも不思議ではないだろう。
だがりんも自ら危険に飛び込むほど愚かではない。恐らく食糧でも捜しに行った程度で、さほど遠くにも行っていないだろう。そう推測し、わずかに残るりんの匂いを辿ろうとした。

しかし私の足が踏み出すことはない。ただ匂いの残る方角へ視線を留めたまま、近付いてくる微かな足音に耳を澄ませた。
それは、二種類あった。一人はりん、もう一人はりんより大きく、落ち着いた者のようだ。そしてその推測通り、やがて見えてきた姿は見知らぬ人間の女であった。


「あ。殺生丸さまっ」


そう声を上げたのは、女と手を繋ぐりんだ。怯える様子もなく女の手をしかと握りしめるりんは「もう大丈夫」と女に言付け、すぐにこちらへ駆けてくる。その足が私の前で止められると、いつも通りの様子で「おかえりなさい!」と声を掛けてきた。だが私はそれに返すことはなく、代わりに問いを向ける。


「りん。あの女は何者だ」
「名前さまって言うんだよ。さっきりんが迷いそうになったんだけど、助けてくれたの」


りんがそう言いながら振り返れば、女は控えめに頭を下げた。見たところただの人間、それも大した者ではないだろう。身なりなどからそれを感じたが、女は不思議と儚ささえ感じられる気がした。いわゆる人間の脆さではない、どこか放っておけぬような、そのような雰囲気…

私が慣れぬ感想を抱くと、女は胸に手を当てて控えめな声を紡ぎだした。


「すみません…たまたまお見掛けして、困っているようでしたのでお連れいたしました。余計なお世話だったかもしれませんが、お腹を空かせているようでしたので、干し柿を一つあげております」
「…そうか」
「はい。それでは…私はこれで失礼いたします」


もう一度、女は頭を下げる。りんが「ありがとう」と言うのに微笑みを浮かべると、それは落ち着いた足取りできた道を辿るように歩き出した。

あの女との接触は、その程度だった。だが私は視線を落とすことなく、徐々に遠ざかっていくそれの背をただ静かに見届けていた。








その日、私たちはさほど移動することもなく夜を明かした。白んだ景色に静けさの残る明朝。りんと邪見が未だ眠る中、私は昨日女が通った道を辿っていた。

りんと共に過ごし始めて以来、以前にも増して人間が目に付くようになったと思う。悪い意味ではない。むしろ、良い方に変わっているだろう。人間にもこのようなところがあったのかと、感心するような思いだ。
そのためか、りんを連れてきた女…別段なにがあるというわけでもないあれに、どういうわけか目を引かれるような気がした。その理由は分からなかったが…分からないからこそ、気になった。女の姿を再び目にすれば分かるだろうか。根拠もなにもなかったが、私はただ静かに、あの女の姿を捜すように薄く残る匂いを辿っていた。

その時、不意に女の匂いがした。同時に、妖怪の臭い。眉根を寄せて足を進めれば、このような時間に籠を背負い歩く女の姿と、茂みの向こうで女に目を付けたらしい妖怪の姿が伺えた。女は妖怪に気付いていない。その隙を狙うつもりなのだろう、妖怪が茂みを越えようとした時、私は音もなく地面を蹴った。妖怪の背後へつけると同時に爪を振るう。悲鳴も、断末魔もない。私の存在にさえ気付かぬまま首を落とした妖怪は地面に沈み、容易く息絶えた。

爪に残ったわずかな血を振り払う。なるべく音を殺したが、妖怪が倒れる音に気付いたのか、こちらへ振り返っていたらしい女が「あ…」と小さな声を漏らした。


「あなたは…殺生丸さま、でしたか。このような場所で、いかがされましたか?」


再び私の姿を見るとは思っていなかったのか、女は不思議そうにしながらも微笑み、問いかけてくる。どうやらその視界には妖怪が入っておらぬのだろう。顔を歪めることも、青ざめることもない。私は茂みの表へと歩み、妖怪が倒れるそこから女の視線を外した。


「用はない。……昨晩…りんがお前を気にしていたので、様子を見にきただけだ」


そう告げ、自身に眉をひそめた。

…なぜ、嘘など。思いついた言葉を並べ立てる自身に、わずかながら疑心のような思いを抱く。りんはそのようなことなど口にしてはいない。それでも女はなにも気付かないまま「そうですか」と柔らかな微笑みを浮かべ、私を見上げていた。
自然とその目を、見つめ返す。


「…用心しろ。この辺りは妖怪が多い」
「え? あ…そうですね。なにかあったら、りんちゃんに哀しい思いをさせてしまいますよね。お気遣い、ありがとうございます」


用心いたします。私の言葉を汲み取ったようにそう言って柔らかな笑みを浮かべる女に口をつぐむ。
“そうではない”と、言いそうになった。私がここへ訪れたのは、りんが気にしていたからではない。私が忠告したのは、りんが悲しむからではない。私の中のどこかでそんな思いを吐く感情が潜んでいたが、私はそれを見て見ぬ振りを…気付かない振りをしたまま、女を見下ろした。


「そうしろ。りんもまた…お前に会いたいと言っていた」
「それは嬉しいです。私もまた会いたいと、お伝えしていただけますか?」
「…ああ」


女の一層柔らかくなる笑みに思わず目を奪われながら、声を返した。

…この女にとって、私はりんの保護者のようにでも思えているのだろう。しかし、私は妖怪だ。人間が恐れる存在。だというのに、女は一度も怯える様子などなく、それどころか終始朗らかな笑みを浮かべてくる。それがどうも不思議でならなかったが、別段悪い気はせず、むしろこちらが絆されるような思いさえ抱きながらその笑みを見つめていた。

すると女は不意に籠を背負い直し、体の前に手を揃えながら言った。


「すみません…用事を残してきているので、私はそろそろ村へ戻ることに致します。またお会いできて嬉しかったです」
「…そうか」
「はい。殺生丸さまも、お帰りの際はお気をつけくださいね」
「……私のことは気にするな」


やはり浮かべられる微笑みと、私を気遣う言葉に視線を外す。
妖怪を心配するなど、変な女だ。そう思ったが口にすることはなく、胸の奥深くで感じた温もりを訝しみながら。頭を下げて踵を返す女の姿を、再び目で追うように見つめていた。
その足が踏み出され、若い色をした芝が踏まれる。


「名前…と言ったか」


女の背に向けて言えばその足は止まり、静かに顔を振り返らせてくる。浮かんだ思いが喉元までこみ上げるが、私はこちらを見つめるそれに別の言葉を向けやった。


「近いうちに、りんを連れてくる」


封じ込めたのは、私らしからぬ思い。それを覆い隠すように告げた言葉に、女はどこか驚いたような顔を見せ、次いでふ…と柔らかく笑った。


「はい。お待ちしております」


その言葉と軽い会釈を残し、女は再び背を向ける。私はゆっくりと遠ざかるその背中を見送っていた。なぜこの私がこれほどまであの女を気にするのか。その理由は分からなかったが、それでも不思議と、悪くはないと、心地よさだけは感じられていた。もう一度あの微笑みが見たいと、感じているような気がした。

明日も、ここへ足を運んでみるか。



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なぜかとても彼女のことが気になってしまう殺生丸さまでした。ヒロインがご希望の『なんの変哲もない女性』になっているかは不安ですが…。

お話を考えていて思ったのですが、殺生丸さまって絶対素直じゃないですよね。自分が近付いておきながら、平気でりんちゃんとか周りの人の名前を使いそうだなーって。そう思って、今回そのような内容にしてみました。おかげでだいぶ回りくどい表現になってしまったような気もするのですが、伝わっていましたら幸いです。
でもやっぱり難しいですね、この方は! 書くたびに丸さまが感情を抱く表現に悩まされます。こうでいいのか…? こんなこと思うのか、この人…!? って感じで…(笑) いつまで経っても何回書いても慣れそうにないです。

内容は恋に発展する前くらいで終わらせてしまったため、名前変換が全然なくてすみません…。あと殺生丸さま相手だと短編が難しく、短くしようとすると中々いいように纏まらなくて…もし読み辛かったりしたら本当に申し訳ないです…。少しでも気に入っていただけましたら幸いでございます…!!
この度は777777打記念リクエスト募集企画にご参加いただきまして、ありがとうございました! 中々マイペースすぎる管理人ですが、これからもサイト共々よろしくお願いいたします!

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