限られた選択肢


気を失っていた。それに気が付けたのは目を覚ました時。知らない間に地面に横たわっていたらしい体を起こしては、訝しむように辺りを見回した。


「え…どこ、ここ…」


周囲に広がるのは緑あふれる豊かな自然。名前は獣道のような場所に座り込み、ただ静かで冷たい空気に晒されていた。
しかし名前が本来いた場所は電車の中。通学途中であったはずなのに、どうしてこのような場所にいるのだろうか。いくら思い返しても電車の中までの記憶しか思い出せない。いつものように揺られ、眠り…起きたらこの有り様だ。

一体どういうことか。混乱したように動けないでいると、不意に遠くから数人の足音が聞こえてきた。人だ。遠目にも分かるその姿にぱっと表情を明るくするが、それは徐々に鮮明になる向こうの姿に訝しみをにじませていった。
変わった鎧をつけ、着物を纏う見慣れない姿。明らかに違和感を覚えるその姿に呆然としてしまえば、それらはやがて名前を見つけたようで小さく顔をしかめた。


「なんだ? こんなところに女なんて…変な恰好してやがるが、妖怪か?」
「は…? よ、妖怪…?」
「わけのわかんねー奴は殺しちまえばいいじゃん」


簪を挿し、紅をつけて着物を着崩した不思議な男。それがつまらなそうに言いながら一歩前へ出ると同時に腕を振り下ろしてきた。直後だった。ほんの一瞬なにかが迫るような影が見えた刹那、自身の首からバッ、と大量の血が噴き出したのは。痛みを感じたのはそれに気付いた時だった。そして目にも止まらぬ速さで首を切られたのだと判断したのは、力なく地面に倒れてからのこと。

振り返れない場所から「まーたお前は勝手に殺しやがる」、「えー、女なんか邪魔だろー? それに変な恰好してやがるしさあ」、「お前が言うんじゃねえよ」と、妙に慣れた様子の会話が微かに聞こえてくる。どうやら先頭に立っていた男のものらしい大きなため息がこぼれると、「もう死んじまったもんは仕方ねえ。帰るか」とどこか不満げな声が発せられて足音がひとつ鳴らされた。
――その時だった。


「…った…」
「!」


名前の傍を過ぎ去ろうとした男たちが目を見開く。それもそのはずだ。確かに首を斬られ、目の前で殺されたはずの名前が体を起こしたのだから。彼女は斬られたはずの首をさすり、そこに付いた血を目にしては「え゙っ」と声を上げた。


「な、なにこれ…え…私、生きて…えっ…!?」


血が擦れて薄くなった場所に傷はない。それが返り血を浴びただけだと錯覚するほど、そこには傷らしいものも痕もなにひとつ残されてはいなかった。


「大兄貴…おれの見間違いじゃなかったら、この女の傷口…光に包まれて消えてたぜ」


人間とは思えないほど大柄な男が先頭の男に告げる。傷が光に包まれたとはどういうことだろう。名前自身なにも分からないまま、ただ警戒するように男たちを見つめていれば、先頭の男は黙り込んだまま静かに足を踏み出してきた。冷酷な目で見下ろし、身長と同じほどの大鉾を微かに持ち上げる。するとなんの躊躇いもなく名前の左腕を斬りつけてみせた。


「っあ゙…く…!!」


深く、大きく切り裂かれた腕。突如襲いくる壮絶な痛みと燃えるような熱に大きく顔を歪めては、傷口を強く押さえつけるようにしてうずくまってしまった。だがそれも長くは続かない。名前の右手の下――今しがた斬りつけられたその場所から、ほのかに淡い蒼色の光が立ち上り、名前の表情からも苦が失せていった。同時に浮かぶのは、疑心の色。名前も男も、その仲間でさえ、全員が目を疑うようにその光を見つめていた。そしてゆっくりと名前の右手が外された時、そこにあったはずの傷口は、吐き出した血だけを残して跡形もなく消え去っていた。


「え…なん、で…」
「……」


初めて目にする光景に名前の声が漏れ、男は沈黙する。だが閉ざされたその口にふっ、と小さな笑みが浮かぶと、男は手にしていた大鉾で名前の顔を掬い上向かせた。


「死なねえ女…なんだか分かんねえがお前、使えそうだな?」
「は…」


堪らず声が漏れた。だが男はそれも許さないように大鉾を喉元に寄せ、有無を言わさないように言い切った。


「女。お前は今からおれたち七人隊の付き人だ」


はっきりと、力強く放たれた言葉。意味も理解できないままに目を見開いた時、男の背後から一人不満げな声を上げる者がいたが、目の前のリーダーであろう男が揺るぎない目を向けていて。それはどうにも覆すことのできない決定事項なのだと、まるで釘を刺されるような錯覚を覚えてしまった。



* * *




――あれからどれくらいの時が経っただろう。名前は七人隊と呼ばれる傭兵集団の付き人、否、世話係として毎日働いていた。主にやらされているのは炊事洗濯。本来ならば名前を仕事の囮に使おうという話をされていたのだが、家事の手際が良く、対して妖怪すら知らないという世間知らずさから隠れ家でこき使おうという話になったのだ。おかげで危険に晒されることはなかったが、簪を挿した奇妙な恰好の男。蛇骨だけは相当の女嫌いなようで、どうしてか死なない名前をいいようにいたぶってくる。

そんな日々を送るある日、名前は一人で炊事場に立っていた。


(もーやだ、この生活…)


隠れ家から出ることは許されず、帰り道を捜すどころかここがどこなのかも分からないまま。思わず大きなため息をこぼしてしまいながらお茶を作っていると、いつの間にか近付いてきていたらしい蛮骨が腕を組んで後ろに立った。


「なにでかいため息こぼしてやがんだ。辛気くせー奴だな」
「…ため息もつきたくなるよ。起きたら知らない場所にいて、なぜか死ななくて、おかげでいたぶられて…」
「あ? まーた蛇骨にやられてんのか。ったく、あいつも聞かねーなー」


面倒くさそうに頭を掻く蛮骨。だがそれはこちらがしたいくらいで、名前は「どうにかしてよ」とすぐに抗議した。だが対する蛮骨は「もう何回も言ってるっつーの」とため息交じりに言い返してきて、もうお手上げだと言わんばかりの様子を見せてくる。
どうやら元々蛇骨は七人隊の中でも問題児の類らしい。それを思い知らされてはこの先も苛めは止まないだろうと感じ、気が滅入りそうになる。

堪らずもう一度大きなため息をこぼしてしまうと、不意に蛮骨がなにか思いついたようにぽん、と手を打った。


「あるじゃねえか。解決策が一つ」
「えっ、あるのっ!?」


まさかそんな言葉を返してもらえるとは思ってもみなかった名前は、目を輝かせるほど蛮骨へ身を乗り出した。すると蛮骨は「ああ」と頷いて、ニヤリと不敵な笑みを見せる。


「名前、お前がおれの女になればいい。どれだけ女を嫌ってる蛇骨でも、おれの女となりゃ手は出さねえからな。どうだ、これ以上ない解決策だろ」
「……は? 私が…蛮骨の女に…?」


自信満々に提言してくる蛮骨の姿に名前は目を点にして立ち尽くしてしまう。確かに彼の言う理屈は理解できなくもない。しかしまさかそんな突拍子もない案を出されるとは思ってもみず、その言葉を理解できないまま呆然と蛮骨を見つめた。
それでも蛮骨の自信たっぷりな姿勢は崩されることなく、どこか幼くも男らしい顔でこちらを覗き込むように迫ってくる。


「どうせお前はこんな場所じゃもらい手もいねえだろ? だから、おれがもらってやる。心配しなくても毎日可愛がってやるぜ?」
「そ、それ…本気で言ってんの…?」


つい逃げるように少しばかり体を逸らしながら問い返してしまう。すると蛮骨は半眼で「おれが嘘言ったことなんてあるかよ」と不満げな声を返してきた。


「それは…たぶんまだなかったと思う」
「ねえよ。それにまだは余計だ。とにかくこれはおれが本気で、そのつもりで言ってんだ。蛇骨から逃げたきゃ、早くおれの女になるんだな」
「い、いや…そんなこと急に言われても、私…そういうこと今までになかったから…それに蛮骨も、そんなに優しくなさそう…」


最後の言葉はなるべく小さく呟くようにして言い返す。だがそれは彼の耳にしっかり届いてしまっていたようで。なにやら試すような目を見せてくると、蛮骨は突然言葉もないままにゆっくりと距離を詰めてきた。なに、そんな声も出せないまま、逃げるようにずるずると後ずさろうとした名前だが、それは真後ろにあったかまどに行く手を阻まれ逃げ道をなくしてしまう。それでも蛮骨は足を止めない。とうとう限界まで詰め寄ってきた蛮骨はかまどに手を尽き、互いの鼻が触れ合いそうなほど近くまでグ、と顔を迫らせてきた。


「お前が望むなら優しくしてやってもいいぜ? “毎晩”、な」


意地悪く浮かべられた笑みが向けられる。告げられたその言葉の意味を理解してしまった途端かっと熱が昇り、名前の顔は瞬く間に一目で分かるほど赤く染まってしまった。


「なっ…なに言って…そういう意味じゃない、バカっ!」


色々な羞恥心に慌てるまま咄嗟に否定の声を上げれば、蛮骨が突然ぷっ、と吹き出して。かと思えば大きな笑い声を上げ、腹を抱えるようにしながら数歩分離れていった。


「なんだその必死な顔っ! 冗談に決まってんだろっ。はははっ」
「なっ…なあ…っ!」


涙が出るほどけたけたと笑う蛮骨の姿に余計羞恥心が煽られて言葉も出なくなる。あんな顔で、あれだけ迫られて言われたら、誰だって信じるに決まっている。そう思ってしまいながら、納得のいかない名前はすぐにふん、と顔を背けてやった。蛮骨はそれに涙を拭いながら「まーそんなに怒んなって」と呼びかけると、


「なんにせよ、おれの女になれば…って話は本気だ。あとはお前が好きな方を選びな」


そう言って真っ直ぐに見つめてくる。しかしそれも束の間、踵を返した蛮骨は「また今度返事聞かせろよ」と続けながら手をひらひらと振り、居間の向こうへと消えていった。名前はその後ろ姿を見つめたまま、へたり込むことすらできずに立ち尽くしてしまう。


「私が…蛮骨の、女に…?」


確かめるように彼の提案を口にすれば、落ち着き始めていた鼓動が強さを増していく。今まで意識したことなんてなかったのに。彼が変なことを言ったせいで、鼓動は、おかしくなってしまった。本来の目的も、分からなくなってしまった。


「蛮骨のバカ…」


選べる答えなんて、一つしかない。



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もし『終わり〜』ヒロインが七人隊に拾われていたら、でした。
出会ってから蛮骨と絡ませるまで纏められるかすごく不安だったんですが、蛇骨がいい仕事をしてくれた(?)のでなんとかなりました(笑) どれだけなにをしても死なないとなれば、蛇骨はいくらでも虐めてきそうですよね。もしくはそのうち飽きちゃうか。それを止めてくれたりするのはやっぱり首領である蛮骨だろうなぁと思います。

それに蛮骨もきっと一緒に過ごすうちに惹かれていったのだと思います。でも相手はこの状況に少なからず不満を抱いている様子。直球でいっても断られそうだし、どうせなら蛇骨の件を利用してやろうと思ったわけですね。
ヒロインの知らないところでどうしたら振り向かせられるかとか、なんだかんだ恋に悩んでいたら可愛いなぁと思ってます(笑)

というわけでこのようなお話になりましたが、少しでもお気に召していただければ幸いです! この度はリクエスト募集企画へのご参加、本当にありがとうございました。これからも管理人共々、当サイトのことを末永くよろしくお願いいたします!

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