14


「殺生丸! 今度は腕…左腕をぶち抜くわよ!」
「お願いだからそのかけら…私たちに渡してっ」


キリキリキリと弓を引き絞るかごめの隣で彩音がどこか懇願するように言う。その言葉に「なに!?」と声を上げたのは犬夜叉だ。かけらの存在に気付くことのできない彼は、まさか殺生丸がそれを使っているなど予想だにしなかったのだ。
思わず驚愕、戸惑いの目で殺生丸を見やれば、二人がかけらの所在を認識できることを知らないその彼は犬夜叉同様に丸くさせた目を二人へ向けている。

その動きのない瞬間を好機と捉えたか、狙いを定めたかごめが瞬時“当たれ!!”と念じながら力強く矢を放った。しかし勢いよく風を切るそれは音もなく容易くかわされてしまう。それに焦りを覚えたかごめはすぐさま次の矢を手にし、慌てるように弓へと宛がった。


「こ、今度こそ…」
「ダメだかごめ! 逃げろ…」


突然犬夜叉が強く声を上げたその瞬間、すでにかごめの目の前まで跳躍してきていた殺生丸の姿に「え…」と声が漏れる。


「死ね」


短く言い捨てられる言葉とともに素早く伸ばされる右手。かつて同じように向けられたその毒爪を目の当たりにするが早いか、彩音が咄嗟にかばうようかごめの体を抱き込んだ――その刹那、


「てめえの相手はおれだー!」
「!」


突如割り入るように飛び掛かってきた犬夜叉がザッ、と勢いよく爪を振るってみせる。それに気付き身を捻った殺生丸だが、わずかに犬夜叉の速度が勝っていたのだろう、殺生丸の頬に爪の軌道を描くような一筋の傷がビッ、と確かに走った。


「ちっ、かわしやがったか」
「で、でも顔の線一本増えてる〜」
「かごめ…言い方…」


悔しげに言い捨てる犬夜叉とは対照的なまでの声を上げるかごめの言い草に彩音は思わず苦い笑みを滲ませてしまう。だが彼女の言う通り、殺生丸の右頬には元々の模様に垂直に重なるよう傷が走っており、滴り落ちるほどの鮮やかな鮮血をこぼしていた。

それでも殺生丸に動じる様子はなく、ただ「ふっ…」と小さく妖しげな笑みを浮かべてくる。


「速いな…女のことになると…」
「え?」


笑みを浮かべながらも呆れたように言い捨てる殺生丸の言葉に彩音は思わず声を漏らしてしまいながら件の彼を横目に見る。

確かにいままでと違って助けに来てくれたこの瞬間だけは殺生丸に確かな一撃を与えられたが、その要因が自分たちにあるとは思ってもみなかったのだ。そのため確かめるように犬夜叉の表情を見つめるものの、唇を硬く結ぶように黙り込んでしまう彼は忌々しげに殺生丸を睨み付けるばかり。
ついには「けっ。軽口叩いてんじゃねえっ!」と言い捨てると、その鋭い瞳は彩音たちへ振り向けられた。


「おめえらもういい。あっち行ってろ」
「う、うん…」
「でも犬夜叉…」


素直に頷くかごめと対照的に彩音はなにか言いたげな様子を見せる。恐らく二人の争いをやめさせたいのだろう。だがそれは「行くわよ彩音」と声を掛けるかごめに手を引かれたことで言葉にすることが叶わず、不安げな表情を見せる彼女は弥勒たちの元へと向かっていく。
それを横目に見届けた犬夜叉は静かに殺生丸へと向き直り、彼のここまでの経緯を怪しむように眉をひそめながら言いやった。


「読めたぜ殺生丸。妖怪のてめえにゃ持てないはずの鉄砕牙が、なぜ持てるのか…その左腕…人間の腕だな!? それを、四魂のかけらで繋いでる。つまりその腕をぶん取っちまえば、てめえはもう鉄砕牙に触ることもできねえ。しかも…」


そう語り掛けながらバキッ、と指を慣らせばこめかみにわずかな汗が伝う。だがそれに構うことなく意を決すると、爪を構えるまま殺生丸目掛けて勢いよく地を蹴った。


「四魂のかけらまでついてくる。一石二鳥だぜっ!」
「ふっ、私の左腕に触れられるならばな」


言いながら不敵な笑みを見せた殺生丸は軽々と地を蹴る。そうして犬夜叉へ迫ると、ゴッ、と凄まじい音を立てて突き出される犬夜叉の爪を容易くかわし、間髪入れずして犬夜叉の頬を強く殴りつけた。その威力に弾き飛ばされた犬夜叉は激しく地面を穿っていく。
そうして土煙が舞う中、「くっ…」と声を漏らしながら体を起こす彼の姿を見下ろす殺生丸はただ悠然と胡乱げな笑みを湛えていた。


「ふん…いまのは兄の顔を傷つけた仕置きだ」


崩れない殺生丸の余裕。それを睨むよう見据える犬夜叉はいくつもの汗を滲ませながらも冷静さを保ち、殺生丸の左手の中の鉄砕牙へ意識を向けていた。


「(鉄砕牙を使ってこねえ…まだ彩音の矢が効いてるんだ)」


そう確信に近い思いを抱く彼が見据える先の鉄砕牙は錆び刀のまま。
矢の効果が切れているならば殺生丸は容赦なく牙の鉄砕牙で犬夜叉を仕留めにくるはずだ。だがそれをする素振りがないところを見ては、わずかな猶予が残されているのだと感じられる。


「(刀がもう一度変化する前に…ぶっ倒さねえと!)」


一瞬の隙も見逃さぬよう殺生丸を見据えながら確かな決意を固める。

――その頃、鬼の残骸の陰では邪見の胸ぐらを掴んだままの弥勒がなおも彼を脅すように凄んだ目を向けていた。問い詰めるのは当然、弥勒を――風穴を知っていた不可解な事実。


「さあ吐きな。毒虫の巣…誰にもらった?」
「何者かは知らぬわ。狒狒の皮を被って姿を隠しておったし…奈落…という名しか…」
「(奈落!?)」


邪見が記憶を辿るように口にした名前に弥勒の表情が深く強張る。それもそのはずだ、代々追い続けていた仇とも言える人物が裏で糸を引いていると知ってしまったのだから。


「弥勒が追っている奴じゃな」
「そいつはどこにっ!」
「ふっ。知らぬ。それに知ったところで無駄であろう。どうせ貴様は虫の毒をたっぷり吸い込んで、まもなく死ぬのだ」


怯むことなく不敵な笑みを見せた邪見の口からはっきりと告げられる。その言葉に思わず七宝が「あ…」と小さな声を漏らしてしまいながら弥勒を見やれば、その顔は苦痛を滲ませながら無数の汗を浮かび上がらせていた。


「苦しいのか弥勒!」
「…悔しいが…私はこれでも…か弱い人間ですからね」
「ふん、ざまあみろ」
「……」


顔色を悪くして俯く弥勒へ邪見が見下すような言葉を吐き捨てる。すると、弥勒が苦しげながらもわずかに薄い笑みを浮かべた――直後、邪見は弥勒の拳によってフルボッコにされてしまい、無数のたんこぶを作られ顔が歪むほど容赦なくのされた彼は「や…八つ当たりじゃ…」と蚊の鳴くような声を漏らすことしかできなくなっていた。

そんな状態へと陥れた張本人はなにごともなかったかのように弱った様子で近くの岩場へ横たわり、寄り添う七宝から不安げな表情を向けられる。


「弥勒…」
「少し…休みます… (ちくしょう…なんか…息が苦しくなってきやがった…)」


虚空を睨むようにする目は徐々に虚ろになっていく。想像以上に最猛勝の毒が回りつつあるようで、体の熱が高まり止めどなく汗が溢れてくる。
このままでは本当に危ないのだろうと嫌でも思い知らされていたその時、ようやくそこへリュックを担いだかごめと彩音が駆け込んできた。


「七宝ちゃん、無事だった!?」
「二人とも、弥勒が…」
「「!」」


涙を浮かべながら飛びついてくる七宝の言葉に弾かれるよう弥勒を見ては思わず目を見張る。「ど、どうしよう」「弥勒っ…」と各々が不安の声を漏らしながら弥勒を覗き込んでは、かごめが途端に自身のリュックから救急箱を取り出し、様々な薬をあれこれとたくさん手に取りながら焦りを露わにしていた。


「と、とにかくなんか薬…効くと思う?」
「おらからはなんとも…」
「……ごめん。ちょっと私に試させて」


なにやら少しばかり真剣な表情を見せる彩音が突然そう申し出る。それに対してかごめが「試すって…?」と呟くほど一同から不思議そうな顔を向けられるが、彩音はそれに返すことなく弥勒の傍へ詰め寄ると彼の体へそっと手を触れた。


「ちゃんとできるか、分からないけど…」


そう呟くようにこぼしては口をつぐみ、目を閉じる。そうして念じるように自身の手のひらへ意識を集中させると、そこから次第にほのかな温かさを感じるような気がした。それと同時に、柔らかな蒼い光が溢れてくる。光はシャボン玉のように、優しく舞い上がって消えていく。

弥勒を始め、かごめと七宝、みんなが驚きのあまり言葉を失うままその様子を見つめていれば、やがてその光は彩音の手のひらに収まるよう小さくなっていく。それがとうとう完全に消え失せると、彩音の口から小さくため息が漏れてその目がゆっくりと開かれた。


「…どう? 弥勒…」
「……ありがたい…少しばかり楽になりました…」
「そっか、よかった…」


驚いた様子で自身の体を見下ろす弥勒に安堵を滲ませる。その瞬間傍で「すごいぞ彩音っ」「そんなことができたのね!」と二人から称賛の声を上げられたのだが、当の彩音はそれに小さく笑い掛けるばかりで素直に喜ぶことができずにいた。


(もしかしたらと思ってたけど…私にも治癒能力が使えた…でも、ダメだ。全然ダメ…美琴さんならきっと、完全に治せてた…)


未だ冴えない弥勒の顔色から完全に回復していないことは明白。それを理解しては胸のうちにわずかな悔しさが芽生えていることを感じざるを得なかった。

――かつての巫女が自在に扱えていたものを、自分は満足に扱うことができていない。やはり自分は美琴とは違うのだと、その力には到底及ばないのだと、嫌でも分からされるようであった。
やはり自分は、この体の持ち主ではないのか――

不意に嫌な感情が溢れそうになった時、突如クラ…と大きく揺らぐ感覚に手を突いた。治癒の力の代償か、自身の体力を消耗してしまったらしい。それを頭の片隅で理解しては、すぐさま今までの思考を振り払うように小さく頭を振るった。
いまはこんな思いに浸っている場合ではない、少しでも事態を好転させなければ。自身へそう言い聞かせるように念じては、ひとまずかごめの方へと振り返った。


「かごめ、一応効きそうな薬飲ませてあげて。私の治癒じゃ心許ないから」
「分かったわ。弥勒さま、薬飲める?」


彩音に頷いたかごめはスポーツドリンクと様々な薬を手にして弥勒を覗き込む。すると彼はちら、と彩音を見やり、またも苦しげな表情を見せながら弱々しく言いだした。


「で…できれば…彩音さまの口移しで…」
「うん。じゃあ七宝、よろしく」
「よしっ、ゆくぞ弥勒」
「あ、やっぱり自分で…」


ドリンクを口いっぱいに含んだ七宝が顔を近付ければ、弥勒は途端に顔を引きつらせながらそれを拒んでしまう。
どうやら冗談を言えるくらいの元気はあるらしい。それを確認した彩音は小さく安堵の息を漏らし、一方の戦況を確認すべくかごめとともに岩陰から二人の様子を覗き込んだ。

そこに見えたのは「ちくしょう!」と声を上げながら爪を振るうも、岩を破壊するばかりの犬夜叉の姿。どうやら犬夜叉が幾度となく攻撃を繰り出そうと全て弄ぶように軽々とかわされてしまい、一向に攻撃を当てられていないようだ。
そのため徐々に苛立ちを露わに、犬夜叉が追撃に走る。


「逃げるなてめえ!」
「ふっ。そうだな、なぶるのにも飽きた」


怒鳴り声を上げる犬夜叉へ殺生丸はつまらなそうにしてバキ、と指を慣らす。それは右手――毒華爪だ。瞬時に殺生丸の手を読んだ彩音は嫌な予感をよぎらせ、咄嗟に燐蒼牙を掴んでは躊躇いなく二人の元へと駆け出した。
そして彩音の読み通り毒華爪が犬夜叉へ向けられた――その瞬間、鞘に納めたままの燐蒼牙が毒華爪を阻むように二人の間へ飛び込んでくる。


「!」
「燐蒼牙!?」


持ち主の姿なく現れた刀に殺生丸と犬夜叉が揃って目を見開く。同時にそれが飛んできた方角へ振り返れば、こちらへ駆け寄らんとする彩音の姿。
間に合わないと判断して刀を投げたのだろう。彼女の姿によって状況を理解した――その瞬間、彩音の背後からなにかが飛んできたかと思えば、突如殺生丸の鎧がバコ、とこもった音を響かせて打ち砕かれてしまった。


「すごいぞかごめ! 鎧を砕いた!」
「左腕狙ったんだけどねっ」


次いで聞こえてきたのはそんな七宝とかごめの声。どうやら彩音が燐蒼牙で気を逸らした隙にかごめが左腕へ追撃しようとしたようだが、その狙いがわずかにずれてしまったらしい。
それでも再び弓矢を構えるかごめを、殺生丸はひどく眉根を寄せるほど忌々しげに睨み付けた。


「(あの女…邪魔だ)」


その目で捉えた彼女へ確かに冷酷な感情を抱いた次の瞬間、「くらえ!」と大きな声を放った犬夜叉が無防備になった殺生丸の腹部目掛けて容赦なく拳を叩き込んだ。不意を突くその一撃に、殺生丸の目が見開かれる。
だが彼はそれに怯むことなく、口元に血を滲ませながらもなお怪しい笑みを深く湛えた。


「面倒だ! 女もろとも…」
「くっ」
「犬夜叉っ!」


突如毒爪を食いこませるほど深く犬夜叉の首を掴み込む殺生丸。それに嫌な予感をよぎらせた彩音が手を伸ばすも、殺生丸はその手が届くよりも早く犬夜叉の体を一切の容赦なく強く投げ放った。

その先には立ち尽くすかごめの姿――


「! 逃げてかごめ!!」
「きゃっ…」


彩音が咄嗟に叫ぶもすでに遅く、計り知れない速度で投げ飛ばされた犬夜叉が無抵抗のかごめへ激しく衝突した。二人は勢いそのままに、大量の土煙を巻き上げるほど強く岩肌を削っていく。
その速度がようやく失われた頃、首を押さえる犬夜叉が大きく咳き込みながら体を起こした――と同時に、自身の真下で力なく気を失うかごめの存在に気が付き愕然と目を見張る。


「かごめ…」
「う…」


ほんの小さく声を漏らす彼女に意識はない。それを確かめるように頬へ手を添える犬夜叉の姿を見ていた彩音は、かつてないほど緊迫した絶望的状況に大きく肩を震わせていた。


「か…かごめっ!」


やがて声を上げて弾かれるように駆け出そうとした彩音だが、それは腕を強く掴む手によって止められてしまう。
殺生丸だ。再度彼女を自身の元へ留めようとしたようだが、振り向けられたその表情を見て、殺生丸は思わず目を見張った。

彼女は、とても悲痛な顔をしていた。悲しみ、戸惑い、ぶつける場所もない怒り。様々な感情がない交ぜになって、いまにも涙をこぼしてしまいそうなほど痛ましい表情をしていた。
初めて目にするその表情にこちらまで戸惑いを覚えてしまいそうになるが、すぐに表情を殺した殺生丸は再び冷酷な目を見せ、彩音を見下ろした。


「貴様も大人しく眠っていろ」
「あっ…」


抑揚のない声が降らされると同時に首裏へ確かな衝撃を与えられる。途端、彩音の意識は瞬く間に遠ざかっていき、その体は力なく殺生丸の胸へと倒れ込んだ。それを支えるように手を掛けながらゆっくりと顔を上げれば、こちらの状況に気が付いたらしい犬夜叉と目が合う。


「彩音!!」
「ここまでだ…」


咄嗟に声を上げる犬夜叉に構う様子もなく、殺生丸は淡々と告げる。その左手に掲げられたのはついに変化を遂げた牙の鉄砕牙。
だが対峙する犬夜叉はその向こうで目を閉ざす彩音に目を向け、一層の怒りを込めた冷徹な瞳で殺生丸を睨視した。


「(許さねえ…)」

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