11


ちりりん、と自転車のベルがよく響く夕暮れ。一行は旅を再開したものの、いままで通りの調子で、というわけではなかった。普段通りなのは自転車に乗るかごめとその背中のリュックに乗る七宝。後ろを歩いている彩音と犬夜叉はこの数日ずっとどこか影を秘めていて、この時もまた神妙な面持ちで微かに重い空気を纏わせながら言葉を交わしていた。

そこに上がる話題は、やはり美琴のこと。桔梗との一件以来その話をすることはなかったが、とうとう意を決したように「一応、言っておかなきゃ…だよね」と言った彩音が自ら切り出したのだ。その彩音は視線を落とし、どこか儚い小さな笑みを浮かべて犬夜叉へ語り掛ける。


「桔梗の話によるとさ…私が、美琴さんそのもの…なんだって。どういう原理か分かんないけど、生まれ変わりとか…そういうことじゃないみたい」
「…実はおれも…その話を聞いてた。美琴の中に、彩音が宿ってる状態…なんだってな…」


深く俯いたまま重苦しく言葉を紡ぐ犬夜叉。彼は先日の彩音と桔梗の会話を傍で聞いていたらしく、桔梗から聞かされた話はすでに知っているようであった。それを知らされた彩音は少しばかりきょとんとした顔を見せると、困ったような笑みを小さく浮かべて「いたなら言ってよ」と頬を掻く。


「…本当は犬夜叉も気付いてたんでしょ? 目、合わせてくれなかったもん」


どこか軽い口調で言う彩音が思い返すのは先日のこと。桔梗の骨を盗み去る裏陶を見た晩から、犬夜叉は一度も彩音と目を合わせようとはしなかった。どれだけ彩音が彼を見ても、逸らされていた。
最初こそは彩音もそれを不審に思っていたのだが、桔梗から自身の体のことを聞かされては納得せざるを得ず、彼の気持ちにもなんとなく察しがついていた。恐らく彼はなんらかのきっかけで美琴を鮮明に思い出し、彩音が美琴となにひとつ相違ないことに気が付いたから、目を合わせられなくなったのだろうと。

その予想はやはり正しかったようで、「…ああ」と呟くように言った犬夜叉は先日を思い返しながら正直に話し始めた。


「あの日、なぜか五十年前…おれが封印された日の夢を見た。そこには美琴もいて、いままで全然思い出せなかったのに、なんでかその時だけは鮮明に美琴が見えたんだ。それで彩音と同じだって気付いた途端…どんな顔すればいいのか…分かんなくなっちまった…」


どこか申し訳なさそうに、深く顔を俯かせながら小さく呟くように言う犬夜叉。彩音はその横顔を硬い表情で見つめていたが、ふ、と笑みを浮かべ、いつもの調子で茶化すように言いやった。


「どんな顔したっていいよ。気なんて遣わなくていい。だっていまさら犬夜叉に気を遣われたって、ものすごーーく気味が悪いだけだもん」
「あのなあ…」


うえ〜、と変な顔をしてしまう彩音に犬夜叉は顔を引きつらせる。しかしそんな彼女の姿をじっと見つめたまま黙り込んでは、傍へ視線を落とすように顔を背け、小さく問いかけた。


「なんで…彩音はそんなに平然としていられるんだ? つらいとか…そういうこと思わねえのか?」


こんなことを聞くのは野暮かもしれない。そうは思っても、自分が桔梗のことに気を落としていることが分かっていたから、同じくらい気を落としていてもおかしくない彼女のその様子が不思議で堪らなかった。

するとそれを耳にした彩音は少しばかりきょとんと目を丸くして、困ったように眉を下げる。それでも笑みは消さないまま、持ち上げた手のひらを見つめて儚げに、そしてどこかいつもの調子は残すように呟いた。


「…正直に言えば、実感が湧いてないって感じかな。私は生まれた時からずっとこの体で生きてきたと思ってたし、なんなら、いまでも思ってる。思い出だってあるもん。だから本当…全部作り話みたい。…でもさ…やっぱり考えると、ちょっとしんどい気持ちもあるんだ。なんでだろうって…なんで私がそんなことになってるんだろうって…わけ分かんなくなる。だから、あんまり考えないようにしてるの。私はなにも知らない。私は私。体がどうであろうと、いまここにいる人間は彩音…私だから。そう、思うことにしたんだ」


次第に持ち上げた視線は黄昏の空へ投げられ、控えめながらも確かな声でそう言い切られる。その姿に、犬夜叉は言葉が出なかった。どんな言葉を向けるのが正解か、分からなかったのだ。
だが犬夜叉がそんなことに迷う間にも、ぱ、とこちらへ向き直ってしまう彩音はやはりいつも通りの様子で「もちろん、」と付け加えるように言ってくる。


「体はちゃんと美琴さんに返すよ。このままじゃ美琴さんが可哀想だもん。私は…たぶん、元の時代に本来の体があるんじゃないかな」


なんてね。そう言いながら軽い調子で笑顔を見せる彩音。

だが、微かに震える手を隠すよう背後へ持っていったほんの一瞬を、犬夜叉は見逃さなかった。だからこそ、なにも言えなかった。ただ言葉を失うまま、静かに視線を落としてしまう。


「(彩音は我慢している…我慢して笑えるくらい…強い。それに比べて…おれは…)」


わずかに眉根を寄せながら俯く。芽生えた苦しい思いはどんどん深みを増して、そこから抜け出せない犬夜叉は表情を陰らせてしまうばかりであった。
すると前方で二人を見ていた七宝がとうとう痺れを切らしたのか、突然こちらへ大きく跳んでくると同時に犬夜叉の頭をぺん、と強く叩いてしまった。


「くぉら、すっとこどっこい」
「うるせえな、考えごとしてんのに」
「それがおかしいと言っとんのじゃっ」


即座に反撃されて頭にたんこぶを膨らませながら尻尾を掴み上げられるも、七宝は怯むことなく強気で犬夜叉へ怒鳴りつけた。


「ボーーーーッとしくさって。四魂の玉を集める気があるのか!?」


厳しく問うてくるその言葉に犬夜叉が口を閉ざす。
そうだ、七宝の言う通り、自分は散らばった四魂の玉のかけらを集めていた。いつか本物の妖怪になるために。だが、かつて女とともに人間になろうと考えたことを思い出し、さらにその女の二度目の死を目の当たりにしたいま、自分の中にあったはずの望みがまるで蜃気楼のように大きく揺らいでいるのを嫌でも感じてしまっている。


「(分からなくなってきた…玉を集めて本物の妖怪になって…それからどうする? 妖怪になれば、心も強くなれるのか? 桔梗のことも忘れて…もう誰にも心を惑わされずに…)」


決意が揺らぎ、迷っているのは犬夜叉だけではない。隣で聞いていた彩音も同様に心揺さぶられ、自分がこれからなすべきことに間違いはないのかと考えてしまう。四魂の玉を集めること、美琴を目覚めさせること――それら全てが、本当になすべきことなのかと、不安が広がっていく。


(四魂の玉を全て集めて…私は、どうすればいいんだろう。四魂の玉に願えば…元に戻せるのかな…美琴さんのことも、私自身のことも…全部…)


――でも、私はなにか…なにかをしなければならなかったはず。

頭の奥底のどこかで、語り掛けるようなその言葉が浮かぶ。
だがなにを。四魂の玉を集め、美琴を目覚めさせることの他に、一体なにがあるというのか。どれだけ考えても思い出せない、思い当たらないそれに小さく眉根を寄せながら、山の裾野へと溶けていく太陽を見つめていた。



* * *




「あーあちくしょーめ。道具屋の野郎買いたたきやがって。運ぶの大変だったのによ」


日も落ち、真っ暗な夜闇に包まれる山の中の温泉で不満げにぼやく男が一人。彼はこきゅ、こきゅ、と肩を鳴らしながら今日の成果に顔をしかめていた。


「収穫はこの…四魂のかけらくれえか…集まんねえなあ〜」


男はそう言って手甲と数珠に覆われた右手を持ち上げる。そこには小さな四魂の玉のかけらがひとつ摘ままれており、夜の森の無慈悲な闇の中にぼんやりと淡い光を浮かべていた。

――この男、口は悪いが列記とした法師であり、妖怪や悪霊を祓いながら旅をしていた。この日も倒れた姫がもう三ヶ月も床に伏せたままだという屋敷へ訪れてはお祓いを買って出、阿弥陀像に乗り移るよう身を隠していた化けイタチを退治してきたところである。
その際に化けイタチから四魂のかけらを手に入れ、さらには屋敷の金目のものと馬を三頭掻っ攫い売り払ってきたが大した金にはならず、ここで疲れを癒しながらぼやいていたというわけだ。

散らばった数は多いと聞く四魂の玉だが、それが存外集まらない。それにまたため息を漏らしそうになったその時、背後から複数の物音が聞こえてきた。


「きゃ〜っ温泉だ〜嬉しーっ」
「天然温泉ーっ」


次いで聞こえてきたのはなにやら楽しげな声。どうやら二人はいるであろうその声に男は「ん?」と眉をひそめた。


「(なんだ…こんな山ん中に人…?)」


猿がのんびりと温泉に浸かっているほど人気がないはずの山。それもこのような闇の深い時間にわざわざ人がやって来るとは思えず、男は怪訝な顔をして岩の陰から向こう側を覗き込んだ。


「うわ〜気持ちい〜」
「ね〜、最っ高〜」
「(な゙…女…)」


多くの湯気が漂うそこに見えたのは二人の少女――かごめと彩音であった。まさかこんなところに若い女がくるとは思いもしなかった男はじー…とその姿を凝視するが、その時、かごめの胸元で小さく光を反射させるものに目を丸くした。


「(ん!? あれは…四魂のかけら!? でかい!!)」


男が目にしたのはかごめの持つ四魂のかけら。蜘蛛頭との闘いで一つになったそれは玉の三分の一ほどの大きさがあり、小さなかけらを一つ一つ集めていた男には垂涎ものだ。だが男がそれに気が付くと同時にかごめは木陰の方へ向き直り、どこか用心深そうに身を屈めながら声を上げた。


「犬夜叉ー、絶対覗かないでよー」


その声が向けられたのは、木にもたれ掛かるように座る犬夜叉。つまり温泉に背を向けた状態の彼はつまらなそうに腕を組んで目を伏せていた。


「心配すんな、興味ねーからよ」
「(ま〜っ。も〜っ、な〜んか失礼な奴ー) 行こ、彩音」
「うん。犬夜叉ー、見張りよろしくー」


犬夜叉の不躾で素っ気ない態度にむくれてしまうかごめが奥へと進んでいくのに続きながら、彩音は一応、と声を掛ける。だが犬夜叉は「けっ」と吐き捨てるような声しか返して来ず、彩音は相変わらずな彼の様子に小さく苦笑を浮かべていた。

その頃、犬夜叉の元では上機嫌な七宝が突然服を脱ぎ捨て始め、それに気が付いた犬夜叉は「ん゙?」と声を漏らしながら七宝へ振り返った。


「七宝、なに脱いでんだよ」
「おらも入ろ」
「待てコラ」
「犬夜叉、お前も来い」


咄嗟に尻尾を掴んで止めるがその瞬間七宝から思いもよらない提案が飛び出してきて「え゙」と声を上げるほど硬直してしまう。すると七宝は犬夜叉へ向き直り、


「おらは常々不思議に思っとったんじゃが…なんでお前は彩音たちと温泉(ふろ)に入らんのじゃ。みんな一緒の方が楽しいではないか」


さも当然のように、胸を張らんばかりの勢いでそう言い切ってしまう。それには犬夜叉も思わず「あのな」と言いながら引きつった笑みを見せてしまうが、尻尾を掴まれたままの彼はお構いなしに温泉へ向かおうと体を揺らして抗議した。


「おらはおとうやおっかあが生きてた頃、いつも一緒に入っとった!」
「おめーはガキだから分かんねーだろーけどな…」
「実のところ二人とどこまでいっとんじゃ? そもそも、お前はどっちを選ぶんじゃ」
「え…」


七宝へ言い聞かせようとした途端に確信を突くような問いを向けられては思わず面食らってしまう。ガキだと侮ったからなのか、そのようなことを突然問うてきた七宝は犬夜叉の答えを待つようにじっと見つめてくる。対する犬夜叉は言葉を失うまま、その顔を見つめ返す。

だがしばらく間をあけてしまった次の瞬間、


「なんでおめーにそんなこと告白しなきゃなんねーんだよっ」


突然顔を引きつらせながらそう声を荒げては、ぎりぎりぎりと七宝の首を絞めつけるように押さえ込んでいた。

――二人がそんなやりとりをしているとは露知らず、少し離れた場所で温泉を堪能しているかごめと彩音は安らかな表情でその身を癒していた。かごめに至っては鼻歌さえ口ずさんでしまうほどリラックスしている。
そんな中、ふと彩音が「ん…?」と小さな声を漏らして遠くに目を向けた。


「どうしたの? 彩音」
「なんか…かけらが近くにあるような…」
「え? あたしが持ってるこれじゃなくて?」
「違う気がする…けど、よく分かんないかも」


言いながら彩音はなんだか腑に落ちないといった様子で不思議そうに首を傾げる。確かにわずかな気配を感じた気がしたのだ。だが邪気などは感じず、目の前にはかごめが持つ大きなかけらがある。それを思っては勘違いだったのかな、と考えながら、もう一度気配を感じた方角を見てみた。それはかごめの背後――そこに、湯気の向こうから伸びる誰かの手が見えた。


「! かごめ!」
「きゃああああっ」


彩音が声を上げると同時に髪を強引に引かれたかごめが悲鳴を上げる。その声に気が付いた犬夜叉が目を見張ると、彼は焦りを露わにした様子で強く地を蹴った。


「どうした!」
「あ!? お、おおおすわりいっ!」


突然慌てた様子で炸裂する言霊。その瞬間犬夜叉の体はどっぱーん、と温泉に叩き付けられ、無残にも湯の中へ沈められてしまっていた。そんな彼の前にはうずくまる彩音と驚いた様子で立ち上がったかごめ、そしてその髪を掴んだサルの姿。どうやらかごめの髪を引っ張ったのはサルだったようで、妖怪や悪党などはどこにもいないようだった。

――そんな様子を木陰から見つめていたのは、四魂のかけらに目を付けたあの男。彼はすでに温泉から上がっており、衣服を着込んではそれを早急に整えていた。
同時に見つめるのは、ふて腐れる犬夜叉の背中を押しながら謝る彩音の姿。


「(あの女…まさかおれのかけらに気付いたのか? もしそうだとすれば…これは使えそうだ。だが野郎連れか…参ったな。おらあ手荒なことが嫌いだからなあ。あーあ)」


胸中でそうぼやきながら右手をこき、と鳴らすと、法師は顔見知りのタヌキの元へ行くなり突然それの頬を思いっきり殴り飛ばした。瞬間、「あ゙うっ!」と声を上げたタヌキはその目に涙を浮かべ、後ずさるようにしながら目の前の男を見つめる。


「弥勒の旦那〜勘弁してくださいよお〜」
「だから礼はするっつってんだろー」


“弥勒”――そう呼ばれた男は不躾な物言いでタヌキに言いながら、手にする錫杖を彼の頭にこんこん、とぶつける。まるで脅すような表情、態度に拒否権はないと思い知らされるタヌキは、ただ観念するように彼の言うことを聞くしかないのであった。

bookmark

prev |1/6| next


back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -