10


「これね。桔梗が言っていた薬草は」


そう言いながらしゃがみ込む蒼い巫女装束の女――美琴が足元の草をそっと摘み取る。そうして持ち上げられた彼女の視線の先には、対比的な赤い巫女装束を纏う“桔梗”と呼ばれる女がいた。
その桔梗は美琴が見つけた薬草を見やり、小さな微笑みとともに「ああ」という肯定の声を返す。


「やはり美琴は飲み込みが早いな。もうずいぶんと覚えられたのではないか?」
「まだ少しよ。でも、桔梗の教えがいいから覚えやすいわ」


そう言いながら美琴は腰を上げ、桔梗に微笑みかける。

――二人がこうして森の奥で野草に目を凝らしている理由、それは美琴が薬草の種類などを覚えるためであった。
そのきっかけとなったのは美琴の申し出。これまで美琴は自身の治癒能力があるから薬草に頼ることもないだろうと言っていたのだが、数日前、その美琴が突然“自分にも薬草のことを教えてほしい”と桔梗に頼み込んだのだ。

そのため二人は時折外へ出向き、治療に使える薬草などを教え、教わっているのである。


「それにしても…あの時は驚いたな。薬草など使ったことがないという美琴が、ある日突然教えてくれと頼んでくるものだから…」
「驚かせてごめんなさい…その、私の治癒は体力を犠牲にするから、無限には使えないでしょう? いざという時に使えなくなってしまったら、ひどく後悔すると思ったの。だから力の加減も兼ねて、軽い傷や病気には薬を煎じるべきかなって…」


手にした薬草を見つめたまま、どこか上の空のように呟く美琴。彼女はきっといままで助けてきた様々な人たちのこと、これから助けるであろう人たちのことを思って、今後の自身のあり方を考えているのだろう。
儚くありながらもその芯に強さと思いやりを抱えている横顔に、桔梗はふ…と小さく笑みを浮かべた。


「本当に優しいな、美琴は。私にできることがあればいつでも言ってくれ。きっと力になる」
「ええ、ありがとう桔梗。私、頑張るわね」


桔梗の頼もしい言葉に美琴は意気込みながらも柔らかく微笑みを返す。そうして桔梗が持っていた薬草を半分受け取り、互いを思いやるように小さく笑い合った。

だがその顔が静かに背けられた時――彼女は桔梗にさえ聞こえないほど小さな声で重く呟いた。


「…あの人のことも、桔梗一人に任せてはおけないから…」



――ドクンッ、と強い鼓動が体中を駆け巡る。その感覚に目を見張った彩音は、ただ静かに小さく呼吸を繰り返した。
目を覚ました。それを遅れて把握し始めては、体を横たわらせたままゆっくりと視線を滑らせる。すぐ目の前には、眠る七宝の姿。その向こうに同じく眠っているかごめがいて、さらに向こう、そこに立つ一本の木の上に座ったまま眠る犬夜叉の姿があった。

自分の背後で、未だ燃えている焚火がゆらゆらと光を揺らす。それに形作られる影を意味もなく見つめたまま、彩音は強い鼓動を響かせた胸にそっと手を触れた。


(美琴さんの夢…だけど…前とは違う…傍にいたのが殺生丸じゃなくて、桔梗…だった…)


あれが…桔梗。初めて姿を見る巫女に眉をひそめる。そうして視線を向けたのは、正面で眠るかごめだ。楓が言っていた通り、確かに桔梗とかごめはどこか似ている。ならば夢で見た彼女は、やはり桔梗本人で間違いないのだろう。

それを思っては再び夢で見た景色を思い出し、視線を落とす。
夢の中で彩音は以前同様に体を乗っ取られたような不思議な感覚に見舞われていた。しかし殺生丸と会っていた夢も桔梗と話していた夢も、どちらも彩音には心当たりのない記憶。そもそも桔梗に至っては姿すら知らなかったのだ。それが夢となって、鮮明に現れた――

それを思っては、彩音は以前から薄々と感じていた可能性に確信を得たような思いを芽生えさせる。


(これはただの夢なんかじゃない…きっと…美琴さんの記憶だ…)


かつてこの時代に生きていた彼女の記憶。殺生丸にも桔梗にも接点のあった彼女ならば、夢で見たあの光景が現実であっても不思議ではない。むしろ、その方が合点がいくくらいだ。
体を乗っ取られたような感覚は恐らく自身の勘違いで、実際には彼女の体の中に自身が入り、それぞれの記憶を見せられていたのだろう。そう考えるとやはり素直に納得できるような気がして、彩音はそのまま思い耽るように寝返りを打った。
そうして投げた視線の先で、焚火に照らされる煙の影が地面で薄く不規則に揺れている。


(…もしそれが事実なら…どうして美琴さんの記憶を私が体験するように見るんだろう…)


浮かんだ疑問に小さく息を吐く。やはり生まれ変わりだからだろうか。いくら考えてもその程度の答えしか思い当たらず、なんとも釈然としない気持ちになってしまう。
それに、美琴が夢の終わり際で微かに呟いた、“桔梗一人に任せておけない”というあの言葉。あの言葉の意味も理解できず、胸に引っかかるような感覚を残していた。

犬夜叉や楓に聞けば、なにか分かることがあるだろうか。淡い期待を抱くような感覚でぼんやりとそう考える。
そうして疑問ばかりに埋め尽くされそうになる頭の中を一掃すると、彩音は借りた寝袋を深く被り直し、焚火の光を閉じ込めるように瞼を落とした。




――そんな彼女が寝付いた頃。夜風に揺られる木がザワ…と音を立てると、そこで眠っていた犬夜叉が突然弾かれるように目を覚ました。まるで、なにかに怯えたように。
だが目に映る景色が現実と知ると、強く力の入っていた肩は落ち着くように緩く下がる。


「夢か…ちくしょう…やなこと思い出させやがって…」


忌々しげにそう呟いては眉間を押さえるように手を触れる。するとそこは前髪が張り付くほどひどく滲んだ汗がいくつもの玉を作っていた。

彼が見ていた夢――それは五十年前、桔梗によって自身の胸へ矢を打ち込まれた時の光景であった。あの一撃により犬夜叉は封印され、望んでいた四魂の玉を手に入れることもできていない。それを思い出させるような嫌な夢に、犬夜叉は硬い表情を見せるまま静かに視線を落とした。

――そこには、安らかに眠るかごめの姿。


「(やっぱり似てやがる。かごめは…死んだ桔梗にそっくりだ)」


静かに傍へ降りては、桔梗の生まれ変わりである彼女を見つめる。何度見ても“似ている”と感じる思いは変わらず、夢の中で桔梗を見た時にはかごめかと見紛うたほどであった。

それに得も言われぬ思いを抱えたまま、その視線を隣で眠る彩音へと滑らせる。こちらに背を向けて眠る彼女も、かつての友人である美琴の生まれ変わりだ。まるでそれを確かめるかのように彩音の顔を覗き込んだその瞬間、犬夜叉の胸にギク、と心臓が跳ね上がるような衝撃が走った。

自身の記憶に残る、美琴という存在。自身が封印され、同時期に美琴が姿を消してからというもの、彼女の姿や声、匂いといった記憶はまるでもやが掛かったかのように上手く思い出せないでいた。だというのに、いま、彩音の顔を覗き込んだ瞬間、犬夜叉の中にあった美琴という女の全ての記憶が鮮明に甦ってきた。


「(なんだ…!? なんで急にあいつのこと…いや、そんなことより…どうなってやがる。初めて会った時から彩音は美琴に似てると思ってた…でも、似てるなんてもんじゃねえ。彩音は…美琴と全く同じなんだ!)」


愕然と見張った目で静かに眠る彩音の横顔を見つめる。どういうわけか目の前の彼女とかつて友人だった巫女、その二人の姿形が寸分の狂いなく合致していたのだ。それだけではない、髪も瞳の色も、声でさえ、全てが同じ。

そう、まるで二人が――“同一人物”であるかのように。

そんな思いをよぎらせた瞬間、犬夜叉は拭ったはずの汗を静かにその頬に伝わせていた。
どうしていまになって美琴の姿がこれほど鮮明に甦ったのか。どうして彩音が彼女と全く同じ姿をしているのか。なにもかもが分からないまま、信じられないままに小さく震える手を彩音へ伸ばそうとした――その時だった。


「きゃーっ!」


ぱーん、

突然悲鳴が上がると同時に容赦なく後頭部を引っ叩かれる。咄嗟にその頭を押さえながら後ずされば、体を起こしたかごめが伏せがちな目で確かめるようにこちらを見つめていた。


「ん…? 犬夜叉…? もーびっくりさせないでよー。こわい妖怪かと思った…」


どうやら寝ぼけていたらしい。それが分かる様子にたまらず恨めしげな目を向けると、押さえられる頭を見たかごめが「あ、いま殴った? ごめーん」と誤魔化すように笑い掛けながら謝ってきた。それには犬夜叉も痺れを切らしたのか、突如吠え掛かるようにかごめへ身を乗り出して言う。


「やっぱおめーは似てねえ全然!」
「なにが」
「うるさいなー…なに…? なんの話…?」


必死に前言撤回しようとする犬夜叉の声で目を覚ましたのだろう、もそりと体を起こした彩音が眠そうな顔でそう問いかけてくる。だがそれに返る言葉はなく、一同は不意に聞こえてきたシャー…という細く小さな音に振り返った。
どこか遠くに聞こえるその音。その元へ視線を向けてみれば、大きな鎌を持った奇妙な老婆が宙を滑るように飛んでいく姿が見えた。その老婆の鎌には血が付着しており、彼女が背負うつづらからはカタカタカタと微かな音が鳴り続けている。

なにやら不穏なその姿にかごめが「よ、妖怪…」と小さな声を上げるが、相手はこちらに気付くこともなく山の向こうへと姿を消す。ただそれを見つめる犬夜叉は、老婆から微かに漂ってくる匂いに顔をしかめていた。


「(新しい血の臭いがまとわりついてやがる…ん!? この血の臭いは…)」








「どうしたのよ犬夜叉、いきなり村に帰ろうなんて…」
「なんかあったの?」
「うるせえっ」


夜が明けた頃、真っ直ぐに楓の村へ引き返していく犬夜叉に二人が問いかけるが、それは不機嫌そうに一蹴されるだけ。
彼は一体どうしたというのか。なにも分からないままあとを追っていれば、やがて村に着いた途端、こちらの姿を見た村人たちが「犬夜叉じゃ」「彩音さまたちが帰ってきた」などとこぼし始めた。その村人たちはなにやら怪我をしている様子。それに彩音が眉をひそめると、声を聞きつけたのか傷だらけの楓が弓を杖代わりにしながらこちらへ歩み寄ってきた。


「楓さま! 動かれん方がよい」
「大したケガではない」
「ど、どうしたの楓おばあちゃん」
「なんでそんな傷…」
「……なんでえ生きてたのか楓ばばあ」


驚き戸惑うかごめと彩音とは打って変わり、犬夜叉はまるで分かっていたかのように淡々と言いやる。それが意外だったのか、楓も同様に驚いた表情を見せながら「犬夜叉お主…」と小さな声を漏らしていた。




「そうか…妖怪からわしの血の臭いを嗅ぎつけて…」
「ったく、生傷の絶えねえばばあだなおめーも」


楓の案内で鳥居をくぐり石階段を上がっていく中、犬夜叉は呆れたように楓へ小言を向ける。どうやら犬夜叉はあの老婆妖怪から楓の血の臭いを感じたため、こうして村へ引き返してきたらしい。それをようやく把握すると、かごめとともに楓を支える彩音は意外そうな顔を犬夜叉へ振り返らせた。


(態度は素っ気ないけど、あの時から楓さんのこと心配してたんだ…)


仏頂面さえ見せる彼の真意を理解しては、なんだか小さく微笑みを浮かべてしまう。するとそれに気が付いた犬夜叉が一度こちらを見て、顔を逸らしながら「なんだよ」と素っ気なく呟いた。それに彩音は「なんでもー」と返し、微笑みを浮かべたままの顔を再び前へ向ける。

だがその表情も、石階段を上り切った楓の悔しさを孕む声に掻き消された。


「わしの力では防ぎ切れなかった…」
「あ…?」
「なにこれ…」


楓に導かれるままに歩みを寄せた場所、そこには深く掘り返すように穿たれた大きな穴があった。それだけでなく、穴にはなにかで斬り付けたような深く大きな傷が刻まれている。
このような穴を掘ってなにがしたかったのか、そう疑問を抱くと同時に視線をとどめたのは、穴の傍らで切り刻まれるように破壊され崩れている小さな祠であった。


「これは…桔梗お姉さまの墓だよ」
「「え…!?」」


唐突に告げられる言葉に彩音とかごめが揃って声を上げるほど驚愕の様子を見せる。驚いたのは彼女たちだけではない、その向こうで聞いていた犬夜叉もわずかに目を見張るほど、強い反応を露わにしていた。

楓はそれに視線も向けず、穿たれた地面を見つめたまま重々しい声を漏らした。


「あやつが襲ってきたのは昨夜(ゆうべ)のこと…」


どこからともなく現れた老婆は手にしていた鎌で躊躇いなく祠ごと地面を切り裂いてしまう。その轟音に楓たちが駆け付ければ、老婆は掘り出した骨壺を手にして不気味な笑みを向けてきた。


「我は鬼女裏陶(きじょうらすえ)。桔梗の霊骨もらい受けてゆくぞ」


その宣言通り、阻止しようとした楓たちを振り払った老婆、裏陶は桔梗の骨壺を持ったままその場を去っていった――


その話を聞き、彩音は得も言われぬ奇妙な感覚に眉をひそめる。


(なんで、桔梗の骨なんて…)
「お姉さまは巫女の中でも並外れた力を持った方だった。その骨が妖怪の手に渡らば…どのように悪用されるか…」


よほど悔しく、そして悪用されることを恐れているのだろう。楓は一層神妙な面持ちを見せながらそう語り、次いでは縋るように「犬夜叉…」と声を漏らし振り返った。だがその犬夜叉はなんの躊躇いもなく「断る」と言い退けてしまい、ついには厳しく眉根を寄せた表情を振り返らせてくる。


「忘れたのかばばあ、おれと桔梗は敵同士だったんだぜ」


素っ気なくもはっきりと、切り捨てるように言い残して先に階段を下りてしまう。そんな犬夜叉の背中を見つめていた楓はやがて悲しげに視線を落とし、悲痛に歪めた表情で弱々しく声を紡ぎ出した。


「そうか…そうだったな…」

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