06


至極平和な空気に包まれる小さな村。晴天に恵まれて田畑の手入れに励む村人たちの元へ訪れた楓はそこで聞いた話に少しばかり目を丸くした。


「彩音たちが戻ってきたと?」
「へえ、楓さまそれが…二人とも帰ってくるなり…血相変えて骨喰いの井戸の方に走って行きよりました」
「またか」


もう何度目だろう。顔を見せることもなく真っ先に井戸へ向かってしまう彼女らの姿を想像しては楓も呆れたように森を眺める。

――その頃、視線の先の彼女らはこののどかな雰囲気とは対照的なまでに騒がしく、慌ただしく懸命に森の中を駆け抜けていた。


「待ちやがれーっ」
「来た! お願いかごめ、もっと急いでっ」
「分かったわ!」


焦りを露わにした彩音が言えばかごめは必死に自転車を漕ぎ進める。そう、彼女たちはかごめが現代から持ち込んでいた自転車で必死に犬夜叉から逃げているのだ。もちろん向かう先は骨喰いの井戸。彩音たちが今度こそ二人で現代へ帰ろうと話し合ったものの、犬夜叉だけはそれを認めず猛反対し、こうして逃げる二人をしつこく追い回しているのだ。


「てめーら逃げる気かーっ」
「だからっ、すぐ帰ってくるって言ってるでしょー!」
「ほんと三日だけだからっ」
「四魂の玉集めはどーすんだよっ」


彩音が言い放った直後、犬夜叉は突然叫ぶと同時に自転車と井戸のわずかな隙間へ飛び込んでくる。それにはかごめも思い切り急ブレーキを握り、その反動で彩音は荷台から投げ出されるようによろけてしまった。それでもなんとか体制を立て直して振り返れば、断固として通さないという態度を見せる犬夜叉がこちらを睨むように見つめてくる。
しかしこちらも負けてはいられない、そう意気込んだかごめが食い掛かるように身を乗り出した。


「どいて。明日からテストなのよ。あたしたち中三なのよ、高校受験控えてるの。このままじゃ出席日数だって足りなくなっちゃうし…」
「向こうで調べたいことだってあるんだから…って、ちょっと。あんたなにしてるわけ」


かごめと彩音、二人が口を揃えて説得を試みているというのに犬夜叉は背を向けてしまう。それどころか近場の大きな岩を高く持ち上げて井戸に足を掛けていた。


「ふっ…この骨喰いの井戸がなくなりゃ、おめーらは向こうのヘンな国に行けなくなるんだろー」
「まさか犬夜叉…」
「ぶっ壊してやる!!」
「「おすわりっ!」」


彩音の予感通り犬夜叉がその大岩を井戸へ叩き込もうとした瞬間に二人の声が大きく木霊する。当然犬夜叉の体は否が応でも地面に沈められたのだが、二人はそれだけで留めることなく呪文のように何度も何度も言霊を放ち続けた。


「「おすわりおすわりおすわりおすわりおすわりおすわりおすわり!」」
「ぐおおおおっ」


絶え間なく発せられる言霊に犬夜叉の体が激しく抑え込まれていく。それでも二人は決してその口を止めることなく、犬夜叉の邪魔が入らないこの隙にリュックを背負いそそくさと井戸の縁へ足を掛けた。


「三日! 三日後にはちゃんと戻るからっ」
「絶っっ対追って来ないでよっ」


かごめの声を最後に、二人は虚しく地面にめり込む犬夜叉から逃げるよう躊躇いなく井戸の中へ飛び込んだ。その瞬間に溢れる不思議な光。二人はそれに包まれながら井戸より長い浮遊感に身を任せ、対となる現代の井戸に向かって姿を消してしまった。



* * *




――現代。かごめの実家である日暮神社境内の枯れ井戸の祠からは不思議そうな声が上がっていた。それはかごめの弟である草太のものだ。どうやら祖父と共にここへ訪れた彼はその祖父の行動をずいぶんと訝しんでいるらしい。


「じーちゃん、本当に効くの〜? そんな祈祷」
「効く。この祈祷は我が日暮神社に代々伝わる由緒正しい…」
「もー三日もやってるけど、ねーちゃん帰ってこないじゃん」
「か〜え〜り〜た〜ま〜え〜も〜ど〜り〜た〜ま〜え〜」


草太の痛い指摘にも動じず、祖父は諦めることなく祈祷を続ける。そんな時、暗い井戸の底に「よしっ着いたっ」と声を上げるかごめと彩音の姿が現れた。どうやら以前と同様、問題なく戻ってこられたらしい。それを確信したその時、頭上から燃えたお札がはらはらと降り注いできて思わず不思議そうにしかめた顔を持ち上げた。なぜ井戸にこんなものが降ってくるのか、二人してそんな疑問を抱いた次の瞬間――


「それいっ、清めのお御酒!」


聞き覚えのある大きな声と同時に勢いよく放り込まれた酒。驚く暇もなくそれを思い切り頭から被ってしまった二人は、頭上で涙を見せる祖父の姿に気付くなりその表情を引きつらせてしまった。


「おおっかごめっ。我が祈り成就せり!」
「じいちゃん…」
「……」


泣いて喜ぶ祖父に対して恨むような目を向けるかごめと、なにも言えず乾いた笑みを浮かべる彩音。なんとも最悪なタイミングで帰ってきてしまったようだ。全身から感じる酒臭さにそれを思いながら、揃って井戸を抜けだした二人はなんとも言えない気持ちのまま日暮家の自宅へと向かったのだった。








「二人とも、制服乾いたわよ」
「ありがとーママ」
「ありがとうございます」


かごめの母に呼ばれては朝食を済ませていた二人がすぐに着替えを始める。それが終わると彩音はかごめの支度を待ち、やがて草太と共に三人で神社の参道を歩き始めた。
これから草太とかごめはそれぞれ学校に向かうという。それに対して手ぶらの彩音は共に歩きながら学校とは違う、賑やかな街並みに視線を向けていた。


「彩音は本当にいいの? 学校」
「うん。私はちょっと用があるから」


不思議そうに問いかけてくるかごめに彩音はどこか誤魔化すように笑い掛ける。確かに学校は行かなければならない。だが初めてここに訪れた時に感じた違和感や、自身とかごめ、二人が共に戦国時代へタイムスリップした理由――それらの真相がどうしても知りたくて学校に行っている余裕もなかったのだ。

それらを調べるためにはまずどこへ行くべきか…そんなことを考え始めた時、石階段へ足を踏み出した草太が思い出したように問いかけてきた。


「犬のにーちゃんは連れてこなかったの?」
「当たり前でしょ。振り切ってくるの大変だったんだから」
「ほんと、あれは大変だったねー」


ふんぞり返らんばかりの様子で言うかごめに続いて彩音は乾いた笑みを浮かべながら呟く。なんとか抑え込んで振り切ることはできたが、彼のことだ。もしかしたら三日と待たずして自分たちを連れ戻しに来るかもしれない。
そんな予感がよぎっては不安になり、祠へ振り返る。だがそんな時、「あれ?」と漏らされた草太の声に気を引かれた。


「お客さん…かな」


そう呟く草太が見つめる先は石階段の前に設えられた鳥居の下。なにやら深く俯く女が一人、そこに立っていたのだ。こちらへ来るわけでも去るわけでもなく、ただ立ち尽くすように動かないその女の足元には広げられた包みと蓋の開いた木箱、そして不自然に割れた眼鏡が転がっている。
無意識に不安を感じさせられる、その様子。それに堪らず首を傾げそうになった時、こちらの視線に気付いたのかその女がスウ…と首を持ち上げた。その瞬間、三人の背筋にゾク、と悪寒が走る。思わず体を強張らせてしまった彩音たちが見た女の顔は奇妙なほど白く、生気のない目や唇になにかで斬り付けられたような大きな傷が入っている不気味なものだったのだ。

目が合う。女はそれでも動かない。ただこちらを真っ直ぐ見つめているだけ。否、こちらの方角を見ているだけで自分たちを見ているわけではないのか――それさえ定かではない。
そんな不安を掻き立てられる姿に三人は顔をしかめながらも、再びその足をそっと進め始めた。


「な…なんか気持ち悪い」
「しっ、失礼でしょ草太」


堪らず呟いてしまう草太を制しながら三人は女を避けるように石階段をあとにする。恐々女の横顔を盗み見るが、その視線の先は変わらず石階段に向けられたまま。やはりどこかおかしいと感じさせられながら女の固い顔を見つめていれば、不意にそれがクル、と呆気なく背を向けた。そして歩みを止めることなく、ゆっくりとした足取りで確かに離れていく。その背中を見つめていれば、怯えた様子の草太が気を引くようにかごめの袖を引っ張った。


「行こねえちゃん」
「う…うん」
「あ…じゃあ私、あっち見てくるから…」
「そう…気を付けてね、彩音」


落ち着かない様子のかごめの声に頷き、彩音は二人と違う方へ足を向ける。ふと気になって去り際に視線を向けた鳥居の下には、女に取り残された木箱や割れた眼鏡。それに一層の得も言われぬ不安を駆り立てられるような思いを抱きながら、彩音はすぐにそこから駆け出した。

背を向けていたはずの女の視線を、静かに受けながら。

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