04


「傷の手当てだあ?」


のどかな昼下がり、村の一角からそんな不満げな声が上がった。それは木の枝に寝転ぶ犬夜叉のもので、彼を見上げる彩音に対してこぼされたらしい。その彩音の手には救急箱がひとつ。犬夜叉があれほどひどい怪我を負ったため、かごめが気を遣ってわざわざ現代から持ってきてくれたのだ。
しかし二人の気遣いとは裏腹に、当の犬夜叉は「いらねーよ、んなもん」と一蹴してこっちを向いてくれようともしない。それに腕を組んだ彩音は呆れた様子で「強がっちゃって…」とため息混じりにこぼした。


「あんな怪我したんだから、手当てしないともっとひどくなるよ?」


そう説得を続けるが、彼はつんとしているばかりで全然取り合ってくれそうにもない。試しに何度か「降りてきてよ」と声を掛けてみたものの、素っ気なく「ふん」と鼻を鳴らされるだけ。その様子にもう一度大きくため息をこぼした彩音は腰に手を当て、彼へ向ける目をすうっ、と細めた。


「これが最後だから。降・り・て」
「けっ。勝手に言ってろ」
「…へえー、いいんだー? ふーん…」
「な…なんだよ」
「おすわり」


即座に吐かれた言霊。それによって犬夜叉の体はどご、と鈍い音を立てて顔面から叩き付けられる。すると彩音はすかさずそこへ駆け寄り、わざとらしい声を上げながら犬夜叉の衣を掴み込んだ。


「も〜急に飛び降りちゃって〜。ほんとは手当てしてほしかったんでしょ〜? 素直じゃないんだから〜〜」
「てっ、てめーが無理やり落としたんだろっっ」
「え〜? ちょっとなに言ってるか分かんな〜い。いいから脱げ! ほら早くっっ」


雑な演技もほどほどに、彩音は力ずくでも衣を脱がそうと犬夜叉を抑え込んでやる。しかし犬夜叉も意地を張っているのか絶対にそれを許そうとはせず、「やーめーろーよー」と声を上げながら必死に彩音の手を剥がそうとしていた。そんな二人はお互いに譲らず、脱げ離せと押し問答が続くばかり。中々決着がつく様子がない状況に徐々に苛立ちを募らせた犬夜叉は突然彩音の両手首を掴み込み、その体をグイ、と強く押し返してしまった。


「えっ」


ぐらりと傾く体に思わず短い声を上げる。一瞬世界が反転したかのように見えた直後、彩音の体はあっという間に犬夜叉に組み敷かれるよう地面へ押さえつけられていた。


「へっ。これで手も足も出ねえだろ」


自分の真上で、犬夜叉が意地の悪い笑みを浮かべている。そんな状況に理解の追いつかない彩音が呆然としてしまっていると、突然近くから「むっ。見てはならぬっ」という焦りの入った声が聞こえてきた。
この声は楓のものだ。それをすぐに理解した彩音と犬夜叉が揃って振り返ると、そこには村の子供たちの視線を遮ろうとする彼女の姿があった。加えてその隣には、驚いた様子で目を丸くするかごめ。
二人はまるで教育に悪いと言わんばかりに子供たちを村へ追いやり、やがて固まったままの犬夜叉たちの元へ戻ってきてはまじまじとその姿を見つめ始めた。


「…いつの間にかずいぶん打ち解けたようだな」
「彩音…昨晩のうちになにがあったのよ…」
「ん゙!?」
「ばっ、そんなんじゃねえ!」


なにやら誤解をしているらしい楓とかごめの様子に驚いた犬夜叉はひどく慌てた様子で彩音から飛び退いた。それどころか彩音へ「てめえが突っかかってくるからだっ」と怒鳴りつけてしまう。すると彩音はその言葉のおかげで本来の目的を思い出し、「そうだった!」と声を上げてはすぐさま犬夜叉へ食い掛からんばかりに身を乗り出した。


「手当てしてあげるから、大人しく傷を…」
「だからいらねーって言ってんだろ。おれの体は特別だってのが分かんねーのか」
「…へっ? う、うそ…傷がない…?」


揉み合いで肌蹴た着物をグイ、と捲り、はっきりと見せつけられた犬夜叉の背中。確かに結羅の刀に斬り付けられたはずなのに、そこには傷口どころかその痕すら残っていなかった。それは背中だけでなく、刀を突き立てられた手も同じ。そんな驚異的な回復速度に、彩音は思わず言葉を失ってしまうほど愕然とした。

このように傷が早く治るのを目の当たりにしたのは彩音にとって自身の体以外で初めてだ。しかし彩音の体は祖先である美琴がとても強い治癒能力を持っていて、それを受け継いでいるからこそのこと。
それに比べて目の前の彼、犬夜叉は美琴のように優れた治癒能力など持ってはいない。それでも完治に数週間は掛かるであろう傷をあっという間に治してしまうのは、恐らく、彼が妖怪という特殊な種族の血を持っているからなのだろう。
そう、思い知らされたような気がした。


(だけど…犬夜叉は妖怪じゃなくて、半妖…なんだよね)


相変わらず慣れないその単語に少しばかり首を傾げる。人間や妖怪は分かる、ならば半妖とは一体なんなのだろう。字面を見れば“半分が妖怪”ということは明白だが…
そんな思考を巡らせていた時、衣を着直していた犬夜叉が突然「いでっ」と大きな声を上げた。その声に驚きながら目を向けてみれば、衿を開いた犬夜叉の胸元にほんの小さななにかがくっついているのが見える。どうやらそれは犬夜叉の血を吸っているらしい。瞬く間にその体をむくむくむくと膨らませていくと、それはようやく満足そうに歪めた顔を犬夜叉へ持ち上げた。


「お懐かしい。犬夜叉さ…」


ばち。

小さな虫らしきそれが喋り終えるよりも早く、犬夜叉は彼のことを容赦なく平手で叩き潰してしまった。今なにか喋ってたんじゃ…と目をぱちくりさせる彩音に対して、手のひらを覗き込んだ犬夜叉はその薄っぺらい影を見つめ、どこか呆れを含んだ声をそれに向けやった。


「なんでい、ノミじじいの冥加じゃねえか」
「ノミ…?」
「ノミ…」


気になったかごめと彩音も犬夜叉の手のひらを覗き込んでは不思議そうな顔をする。本当に小さなそれは、確かにノミのような姿形をした老爺であった。どうやら犬夜叉の顔見知りらしいが、一体なにをしに来たのだろう。
そう思った一同はすぐに復活した冥加から話を聞くべく、揃って楓の家へと足を運んでいった。




「おれの親父の墓を暴こうとしてる奴がいる?」
「この冥加、墓守として居ても立ってもいられず…」
「墓を捨てて逃げて来たのかよ」


冥加の話を聞けばなにやら穏やかでない様子。だが、囲炉裏を前に項垂れる冥加へストレートにツッコんでしまう犬夜叉を見ては、つい乾いた笑みが自然と浮かんでしまう気がした。

どうやら冥加には昔から逃げ癖があるようで、危険を察知するなりすぐに安全な場所へ逃げてしまうらしいのだ。だから今回もそうなのだろうと犬夜叉は呆れていて、冥加もそれを否定しきれない様子。
そんなことで墓守が務まるのか、と誰もが思ってしまう中、楓は犬夜叉へ向き直って思い出すように彼へ語り掛けた。


「犬夜叉、お主の父は、西国を根城にしていた化け犬であったと聞くが…」
「あんまり覚えてねえけどな」
「強くて立派な大妖怪でいらした…なにより美味しい血をしておられた」


退屈そうに頬杖を突いて返す犬夜叉の代わりと言わんばかりに、冥加が惜しむような大きなため息をこぼして言う。血の話は余計だとしても、それだけ慕われ、惜しまれるほど立派な妖怪だったのだろうか。彩音がそう思うと同時にかごめが「へえ?」と声を漏らし、父の話にただ続くよう冥加へ問いかけた。


「じゃお母さんは?」
「うるせえな! 死んだよ、とっくの昔に!」


突然犬夜叉の顔色が変わり大きく怒鳴り付けられる。それもまるで、母親の話はするなと言わんばかりに。そんな彼の様子には、問いかけたかごめだけでなく彩音までもが驚き言葉を失ってしまうが、冥加だけはそれらと対照的に懐かしむような笑顔を浮かべてみせた。


「しかし母上さまも大変お美しい…あ゙」


突如冥加の体が犬夜叉の親指にブチ、と押し潰される。母の話を続けようとした冥加に痺れを切らしたのか、犬夜叉は思いきり潰した彼に目をくれることもなく「けっ」と吐き捨てて家を出て行ってしまった。余程気に障ったのだろう、彼が乱暴に退けた扉代わりの簾が大きく揺れている。
それを見つめていた彩音とかごめは、ただ当惑するようにそっと顔を見合わせた。


「あたし…お母さんのこと聞いただけ…よね」
「そう…だね。お父さんの時はなんともなかったのに…」


かごめに頷きながらそう呟き、は…と顔を上げる。わずかな可能性が脳裏をよぎったのだ。父親は大妖怪で、犬夜叉は半妖。半分、妖怪。ならばそのもう半分は、妖怪ではない別のもの――


(もしかして…犬夜叉のお母さんは、人間…?)


彼が出ていった外へ目を向けたまま、問いかけることもできない思いを胸のうちにこぼす。やがて彩音はもう一度かごめと顔を見合わせ、共に犬夜叉を追うことにした。

――そうして辿り着いたのは、いつも犬夜叉が座っている木が立つ場所。その木の傍まで来てみたはいいものの、いざ彼の姿を見ると掛けるべき言葉が分からなくなる。ひとまず聞かれたくないことに踏み込んでしまったと謝るべきか…しかし、それも違う気がしてならない。ならばどうするべきなのか。

そんなことばかりを考えていた時、不意にとてつもなくおぞましい気配が周囲を包み込んだ。思わずゾクッ、と震えを刻むほどの禍々しい空気。それに思わず顔を上げかけたその瞬間であった。


「伏せろっ」
「ぶっ」


犬夜叉が突然飛び降りてきたかと思えば同時にぐしゃ、と頭を押さえつけられる。一体なんの仕打ちかと二人が抗議の視線を向けてやるが、その犬夜叉は険しい表情をして「分かるか!? すげえ妖気だ」と呟きながら空を見つめていた。
その時、どこからともなくカラカラカラ…という小さな音が聞こえた気がして。それに釣られるよう二人も空を見上げれば、姿を覗かせた満月を背に走る牛車のような影が目に留まった。どういうわけかゆっくりと宙を走っているそれ。目を凝らしてそれを見つめると、不意に牛車の後方の御簾が風にめくれ、月光に照らされる人物が一同の視界にはっきりと映った。

それは鎖を絡められる、美しい十二単を纏った長髪の女性――

こちらを見据えるその姿に彩音が眉をひそめると、同時に隣から「あ…?」という小さな声が漏らされた。それは犬夜叉のもの。見れば彼はよろめくように立ち上がり、真っ直ぐその女を見つめていた。


「お…おふくろ…?」
「「えっ…?」」

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