23


欠けた月が照らす夜。ざわつく森の中で腰を据える犬夜叉と弥勒は、緩やかな夜風に煽られて不規則に揺れる焚火を前にしながら神妙な面持ちを見せていた。


「奈落は…私を殺すつもりだったのでしょうな」
「ま…息の根は止め損ねただろうが…」


弥勒の真剣な言葉に犬夜叉は濁すような声を返す。
最後まで言い切ることができなかったのは、奈落の狙いを完全に防ぎ切れなかったからだ。自身が今しがた言ったように、奈落は弥勒を殺すことはできていない。だが風穴を傷つけ、いつ訪れるかも分からない死期を早めることには成功しているのだ。

それゆえにこちらの勝利と喜ぶこともできず、さらには不安を煽るように夢心から告げられた言葉が脳裏へと甦ってくる。


「少なくともひと月…傷が癒えるまで、絶対に風穴を開けちゃいかんぞ」


寺を発つ前、釘を刺すよう確かに向けられた忠告。それに表情を硬くした犬夜叉は不安定に揺らめく影へ落としていた視線を持ち上げながら、先ほど濁した言葉の続きを口にした。


「お前の風穴を封じることには、まんまと成功したってわけだ」
「……この機にまたなにか仕掛けてくるでしょうな」


犬夜叉の言葉を受け、弥勒は使用を禁じられた風穴を見つめて言う。
奈落がこのような好機を逃すはずがないことは誰しもが分かり切っていること。だからこそこれからはより一層片時も気は抜けないだろうと、言い表しようのない嫌な緊張感を強く大きく与えられているような気がしてひどく落ち着かなかった。

――そんな二人が重く口を閉ざす中、離れた場所ではその様子を窺うようにじっと見つめる七宝の姿があった。その傍には隠れるよう身を屈めながら服に手を掛ける彩音たち。


「なんかマジメに話し合っとるぞ」
「そお? じゃあ今のうちに温泉に…」
「さっさと入ろ入ろ」


七宝の声を聞いてそう囁き合ったかごめと彩音は慣れた手つきで素早く制服を脱ぎ捨てる。
たまたま道中に温泉を見つけたため、こうして弥勒たちに干渉されない隙を見計らっていたのだ。そして絶好のタイミングだと分かった二人が早くも温泉に浸かるのに対して、手甲などを外し始めたばかりの珊瑚は脱衣を進めながら不思議そうな顔で二人に問いかける。


「法師さまはともかく…犬夜叉も覗きとかすんの?」
「見ないわよ。カッコつけてるから」
「近付こうともしないからねえ」
「(見られたいのか)」


呆れたようにため息をつきながら答えるかごめと乾いた笑みを浮かべる彩音に珊瑚は少しばかり首を傾げてしまう。そんな言葉と態度が裏腹な二人を不思議に思いながら、着物をスル…と滑らせるように下ろしてはようやくゆっくりと温泉へ足を踏み入れた。

――その時、不意に吹き抜けた風が珊瑚の黒く長い髪をなびかせる。すると彼女の透き通るような白い背中が露わにされ、そこに似つかわしくない痛々しい傷痕が刻まれているのを二人は見逃さなかった。


「あ…」
「珊瑚…それって…」


たまらず声を漏らしたかごめに続き、彩音が躊躇いながらも小さく問いかける。
あまり聞くものではないのかも知れない。だが目にしてしまった以上気にするなという方が難しく、このままかごめ共々気にして落ち着かない様子を見せるよりか、いっそ素直に尋ねてしまった方がいいのではと感じたのだ。

それに対して珊瑚は特に嫌がる様子も恥じる様子もなく、むしろ二人の声で思い出したかのように自身の背中の方へ振り返りながら言う。


「ああ…この傷。残っちゃったな…」
「あの…それ妖怪に?」


静かに温泉の中へ腰を下ろす珊瑚にかごめが遠慮がちに問いかける。妖怪退治を生業としてきた彼女だ、過去にそのような深い傷を負わされることもあったのかもしれない。
珊瑚の淡々とした様子からそう感じた彩音とかごめであったが、珊瑚の口から語られた言葉はそんな予想とは遥かにかけ離れたものであった。


「傷をつけたのは…死んだあたしの弟…奈落の城で妖怪に操られ…父上や仲間まで殺させられて…最後は…」


“殺されてしまった”。
言葉にされずとも否応なく感じさせられる事実に二人はたまらず言葉を失くしてしまう。それでも珊瑚は苦痛に顔を歪めることもなく、ただ静かに寂しげな色を滲ませる程度の声音で言葉を続けた。


「臆病で優しい子だったんだよ。でも…死ぬ前に…元の琥珀に…弟に戻ってくれた」


計り知れないほど最悪で地獄のような状況の中、それだけが唯一の救いであったと言わんばかりに儚く語られる言葉。
まさか珊瑚にそのような過去があったなどとは露ほども思わず、それを知った今どのような言葉をかけるのが正解なのかと彩音たちが迷ってしまっては、いつしか三人の間には避けがたい重い沈黙が立ち込めていった。

しかし、それは申し訳なさそうに眉を下げたかごめによって破られる。


「ご…ごめんね。そんなつらい話…」
「私が傷のこと触れちゃったから…」
「いいよ別に。ここにいるみんな、それぞれ理由(わけ)ありなんだろ?」


二人が謝罪の意を見せるものの、珊瑚は全然気にしていないといった様子でそう返してくれる。

誰がどう考えてもひどく苦しい、耐え難いほどのつらい思い。それをずっと胸のうちに抱え続けているはずなのに、それでもこうして毅然と振る舞うことができるのは、きっとその変えようのない最悪の事実を自身の中でしっかりと割り切っているからなのかもしれない。

彩音がそう感じながらどこか感心のような、尊敬のような念を抱きかけた――その時、突如「それに…」と口にした珊瑚が目を鋭く細めた。


「やっぱり覗いてやがる!」


そう声を上げると同時、手近な石を木の陰へ向かって勢いよく投げつける。それが見事命中し倒れ込む音を聞いては、すぐさま覗き魔の姿を確かめるべく全員で身を乗り出した。

だが、


「ん?」
「サル!?」
「弥勒じゃない…」


温泉から上がってまで確認したその姿に揃って目を瞬かせる。どうやら珊瑚が感じ取った気配の正体はサルだったようで、目を回し気を失っているそれは投げられた石を頭に乗せたままきゅう、と力なくへたり込んでいた。

絶対に弥勒だと思っていたのに…そう感じてしまう三人が予想外の事態に呆気にとられていた、そんな時。


「おいっ、なんの騒ぎ…」


突如声が聞こえるとともに目の前の木の陰から犬夜叉と弥勒がひょい、と姿を現してしまう。だが犬夜叉のその言葉が言い切られるよりも早く、脊髄反射のごとく咄嗟に炸裂した彩音の“おすわり”の声が――犬夜叉が地面に沈められる轟音と悲鳴が、暗い夜の森に強く広く木霊した。

――そうして三人から“粛清”を受けた犬夜叉と弥勒は腕を組んで元いた焚火の前に座り、七宝からも追い打ちを掛けるように呆れの視線を向けられる。


「マジメに話を続けとったのにのう」
「おれまで疑いやがって」
「よいではないか。結構なものを見せていただいた」


たんこぶをひとつ膨らませる犬夜叉の不服そうな文句に弥勒はしみじみとした様子で朗らかに返す。そんな彼はたんこぶだけでなく目元に痣までつけられていたのだが、そんなことなど全然気にした様子もなく、むしろ状況に似合わないどこか満足そうな笑みを浮かべていたのであった。



* * *




騒がしい夜が明け、一行は再び旅を進めていく。周辺に四魂のかけらの気配は感じられず当てもないが、同じ場所に留まっていてもかけらを見つけることはできない。情報や手掛かりを捜すためにも、とにかく歩みは進め続けなければならなかった。

そうして人気(ひとけ)のある場所などを探していた――その時、不意に前方からヨロ…と覚束ない足取りで歩く男が姿を現した。


「ん…?」
「あの人…」


老人ではない、だがそれにしては足取りが危うすぎる。そんな違和感を抱いた彩音とかごめがつい声を漏らせば、男は徐々にこちらへ近付きながら縋るように手を伸ばしてきた。


「た…助け…」
「え…あっ!?」
「きゃっ」


彩音が男の話を聞くべく駆け寄ろうとしたその瞬間、男は目の前でドタ、と鈍い音を立てて倒れ込んでしまった。
地面に突っ伏す男の背中には大量の血。只事ではないその様子に慌てて駆け寄った弥勒はすぐさま確かめるよう男の口元に手をかざした。


「…息がない…」
「! こいつだけじゃねえ。この血の臭い…かなりの人数だ!」


男がきた方角から彩音たちには気付けないほど微かな臭いを確かに嗅ぎ取った犬夜叉がすぐさま駆け出してしまう。そんな彼の声に不安を抱きながら、彩音たちもすぐさま犬夜叉の背を追うよう走り出した。








やがて犬夜叉に導かれるように辿り着いたのは小さな村。そこへ踏み入っては目の前に広がる光景に絶句し、一行はたまらず息を詰まらせてしまった。


「皆殺しだ…」
「そんな…」
「ひ…ひどい…」


地面を埋め尽くさんばかりに広がる、壮絶な惨状。村の人々が力なく横たわり、斬り裂かれた着物や周囲の地面は血で真っ赤に染められていた。
恐らく、誰一人生き残ってはいないだろう。


「みんな一撃でやられていますな」
「(これ…刀傷じゃないな)」


弥勒とともに村人たちの亡骸を見つめながら珊瑚が冷静に察する。妖怪の仕業にしては村人の体が喰われておらず違和感があり、それでいて野盗にしては傷の形状や荒らされた形跡なども見えないことから可能性は薄く感じられる。

そんな不可解で悲惨な状況に顔をしかめてしまう彩音は、息絶えた人々に視線を落とすまま小さく呟いた。


「誰がこんなこと…」
「誰がやったか…そこの奴に答えてもらおうか!」


彩音の声に続くよう突如声を荒げた犬夜叉が同時に鉄砕牙を振り抜く。その勢いでザン、と大きく弧を描くよう断ち切って見せたのは、傍に立つ民家であった。

両断された民家は屋根や壁の破片などを散らしながら崩れ、激しい砂埃を舞い上げる。その瞬間、砂埃の向こうに確かに人影が動いた。
それに気が付いた珊瑚と弥勒、そして彩音が瞬時に身構えれば、突如その砂埃の向こうからなにかが勢いよく投げつけられる。


「(鎖鎌!?)」


ひどく覚えのある武器に珊瑚の顔が強張る。その間にも「けっ、こんなもん…」と声を荒げた犬夜叉が鉄砕牙でそれを強く弾き返してみせれば、鎌は繋がれる長い鎖を引きながら一人の少年の手に収まった。

いつしか砂埃も晴れ、血にまみれた鎖鎌を握り締めるその少年の姿をしかと目にした途端、珊瑚の表情は強い驚愕に染められる。


「(え…!? 琥珀!?)」


大きく見張った目に映る、自身の弟の姿。彼はあの時確かに殺され、葬られたはずだ。だがそんな事実を否定するかのように、彼は自らの足でしかと目の前に立ちはだかっている。


「なっ…ガキ!?」
「あの服…珊瑚ちゃんと同じ退治屋の…」


犬夜叉が思わぬ相手に愕然とすると同時、かごめが気付いたようにそう口にする。するとその瞬間、彼は突然身を翻し逃げ出してしまった。
それに「待ちやがれ!」と声を荒げた犬夜叉がすぐさま駆け出すと、同様に地を蹴った珊瑚が雲母を呼びつけ、変化したその背中へ勢いよく飛び乗り少年を追いかけていく。

ただならぬ空気。それを感じ取った彩音も彼らに続くよう少年を追えば、その後ろ姿に覚えのある光を見てはっと目を見張った。


(あの子の体…四魂のかけらが入ってる…!?)


右肩付近、そこに光る思いもよらない存在に眉をひそめる。

珊瑚は退治屋の里から出たという四魂のかけらを集めていた。だがそれは自分たちで使うためではなく、悪しき存在に渡らないように守るためだ。そんな正義感の強い退治屋の人間が、自らの体に四魂のかけらを入れたりするだろうか。

そんな違和感に胸騒ぎがするような感覚を抱き追っていれば、傍を走る犬夜叉が疑うような声を上げた。


「あのガキが…村の奴らを皆殺しにしたってのか!?」


駆け続けながら、到底信じられないといった様子を見せる犬夜叉。

だがその真偽を確かめる前に、今しがた目の前にいたはずの少年の姿が瞬く間に消えてしまっていた。それどころか、背後から犬夜叉を追い越した珊瑚の姿までもが突然目の前でフ…と消えていく。
それに彩音共々目を疑った直後、先を走っていた犬夜叉の体がバチッ、という衝撃によって進行を阻まれてしまった。


「な…」
「(ちくしょう…結界…)」


目を見張り咄嗟に足を止めた彩音の隣で、犬夜叉が愕然とした表情を見せる。その様子を横目に彩音が景色を歪ませるそこへ試すように手を伸ばしてみるが、それは犬夜叉同様バチッ、と音を立てて弾くように拒まれてしまった。

少年と、珊瑚だけを通す結界。それに嫌な予感を一層強めながら、彩音と犬夜叉はどうすることもできない現状に悔しさを滲ませる。
するとそこへ追いついたかごめたちが現れ、犬夜叉の肩へ跳び移った冥加の言葉に彼は眉をひそめた。


「あのガキが珊瑚の弟だと!? 本当なのか冥加じじい」
「間違いございません。あれは確かに…珊瑚の弟琥珀じゃった」


冥加自身も驚いたように目を丸くしながら語られる言葉。
珊瑚と知り合いであった彼が断言するのだ、それは間違いのない事実なのだろう。だがそれを耳にした彩音とかごめはやはり信じられず、昨晩の珊瑚の話を思い返しながら顔を強張らせていた。


(でも弟は殺されたって…珊瑚がその最期を見てるはずなのに…)
「(生きてたってこと…!?)」


食い違う話と事実。それに強く眉をひそめては、珊瑚が琥珀を追って消えた歪な結界をただ静かに見つめていることしかできなかった。

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