22


「こっちに追い出すんだよっ」


のどかな山間の村の中――退治屋の戦闘服に身を包んだ珊瑚が防毒面越しにそんな声を上げた。その眼前には床下から白い煙を大量に立ち昇らせる宿屋があり、飛来骨を担ぐ彼女はそこをじっと見張っている。

その珍しい光景が目立ち、見世物かと言わんばかりに集まってくる村人たちが「うわっくせえっ」「なんだこの煙!?」と口々に声を上げ、周囲は瞬く間に騒がしくなっていた。


「法師さま、本当にこれで退治できるんで?」
「ご安心ください。あの娘は専門家ですので」


ざわめき立つ村人たちの中、この宿屋の主人である男が問いかければ弥勒は穏やかな表情で珊瑚を見ながら答える。

――このようなことを始めた理由は数分前に遡る。
一行はこれまで通り四魂の玉のかけらを捜し歩いており、その道中で村を見つけては情報収集と休息を兼ねて立ち寄った。するとそこで宿屋の主人が妖怪に困っていると聞き、事情を聞く限り雑魚妖怪だろうと判断した珊瑚が退治を買って出たというわけだ。

そうして宿屋の床下にいるというそれを追い出すため、かごめと彩音が珊瑚に渡された竹筒から上がる煙を床下へ送り込むようばたばたと扇子で扇ぎ続けている。


「なーんか害虫駆除みたい」
「だねー。珊瑚ー、出てきたー?」


宿屋の裏から煙を送り続ける二人には様子が分からず、彩音が向こう側の珊瑚へ届くよう大きく問いかける。
そんな時、宿屋の表では煙のひどい臭いに当てられた犬夜叉が両袖で鼻を覆いながらおえ〜、と苦しげにうずくまっていた。


「わっ妖怪」
「退治された奴か!?」
「犬夜叉は臭いに弱いからのー」


驚く村人たちにまじまじと見られている犬夜叉を見やりながら七宝が言う。
人間でもひどい臭いと感じてしまうくらいだ。鼻の利く犬夜叉には相当きついようで、いつもなら怒鳴り散らす見物の衆も散らせないままこの作業が早く終わってくれることを願っていた。

そんな彼へ七宝同様に振り返っていた弥勒だが、ふと視界の端、野次馬の村人たちの奥に顔を覗かせた一人の女に目を引かれる。まるで誘われるようにそちらへ顔を向けてみれば、被衣を被ったその女は弥勒を見据えてにこ…と小さく微笑んできた。


「(これは美しい…)」


整った顔立ちの美麗な彼女に率直な思いを抱く。ただでさえ若い女に弱い弥勒だ、彼女に心を奪われるのはとても容易かった。

それと同時、ずっと宿屋の床下を見つめていた珊瑚から突然「出たっ!」という大きな声が上がった。それを合図とするように複数の目を持った化けネズミがシャー、と威嚇の声を上げながら鋭い前歯を剥き出しに珊瑚へ襲い掛からんとする。
だがその威勢に反して体はとても小さく、子猫ほどの大きさのそれは軽々と振り下ろされた飛来骨に呆気なく潰され、きゅっ、という可愛らしい声を最後に退治されてしまった。

――そうして後始末を済ませた一行は、主人に言われるがまま宿屋の中へ身を移す。謝礼代わりに宿泊させてくれるという主人に案内されたのは、この宿屋の中でもとりわけ大きな部屋であった。


「化けネズミでございましたか」
「巣も駆除しときましたけど、また出るようならこのダンゴを床下に撒いて…」


一行が休むように腰を下ろす中、珊瑚は主人へ今回の成果を伝えながら駆除用のダンゴを差し出す。そんな彼女に主人は嬉しそうにぺこぺこと頭を下げ続けており、彩音はその様子を見つめながら“さすが妖怪退治屋”と感心するような思いを抱いていた。

だがその視線を下へ移しては、目を回してへたり込んでいる犬夜叉の背中をさすりながら困ったような笑みを浮かべる。


「だいぶ効いたみたいだねー。大丈夫?」
「まだつらいの? 犬夜叉」


彩音が覗き込むようにして問えば、かごめが同様に続く。しかしそのかごめは不意になにかに気が付いたよう顔を上げると、「あれ?」と不思議そうな声を上げた。


「弥勒さまは…?」
「えっ? そういえば…」


彼女の声に気付かされると、彩音はその姿を捜すようにきょろきょろと辺りを見回し始める。だがやはり、弥勒の姿はどこにも見当たらない。
少し席を外しているだけだろうか、そう思った時、犬夜叉を見ていた七宝が顔を上げて淡々とした様子で言った。


「知らない女についてったぞ」
「まーっ」
「ほお〜」
「なにそれ。人が働いてた時に…」


驚くかごめに目を据わらせる彩音、それに続くよう主人との話を終えた珊瑚が呆れたようにぼやく。すると七宝は腕を組み「美人じゃった」と、いかにも弥勒がついて行きそうであったことを伝えるよう言い張った。
そして顔を上げるとともに、人差し指を立てて続ける。


「きっと子供を産んでくれるよう、頼みに行ったんじゃ」
「え゙」
「(そうかも…)」
(そうだろうな…)


初めて聞くそれに驚く珊瑚だが、何度もその現場を見ているどころか言われたことさえある彩音はかごめとともに強く呆れた様子で大きなため息をこぼしたのだった。



* * *




「ははあ、さる名家の姫君であられると…」


彩音たちが呆れ果てている頃、件の弥勒は微笑みかけてきたあの美女と連れ立って村の外れの草原に赴いていた。
被衣に身を隠し事情を話す女の表情は儚く、漂う哀愁すらも綺麗だと思えてしまうほど美しい。そう感じさせる女はそっと歩みながら、控えめな声で話を続けた。


「なれど家は戦で攻め滅ぼされ…私は最後の生き残り…再び家を興すために、強い殿方の子を産みたいと…」
「それで私を…お目が高い」


紳士を気取る弥勒が真剣な表情を見せながら淡々と言葉を返す。すると先を歩いていた女が踵を返し、弥勒の胸へ体を預けるよう静かに寄り添ってきた。


「願いを叶えて…いただけますか?」


そう囁きかけた女は弥勒の背に手を回し、ギュ…とその体を抱きしめる。情熱的とも思えるその仕草であったが、次の瞬間、突如被衣の下から凄まじく大きな蟷螂(かまきり)らしき双腕が不穏な音を立てながら伸ばされ、まるで弥勒を脅すように高々と掲げられた。


「ま、話がうますぎるとは思ってましたがね…」


取り乱すことなく、ただ心底がっかりした様子でため息をこぼしてしまう――直後、弥勒は女の顔面に容赦なく錫杖を叩き付けた。瞬間ジュッ、と焼けるような音を立てたそれは断末魔に等しい悲鳴を上げ、鋭い鎌のような腕を弥勒へ振り下ろす。
だが弥勒は「おっと!」と短い声を上げる程度で動じることなく容易くそれをかわしてみせた。


「おの…れ…」


怒気のこもった声を漏らす女の目が赤く染まり左右へ離れるよう大きく見開かれる。次の瞬間、突如バリッ、と凄まじい音を響かせて被衣の下から巨大な大蟷螂が姿を現した。
それは頭全体が脳みそのように皺だらけで、巨大なその体中には無数の血管らしき筋を浮かび上がらせる、まさに妖怪らしい姿をしていた。

そんなおぞましい正体が露わにされるに伴い地面に投げ出された女の体は、不穏な風に煽られてバタバタバタと大きな音を立てる。


「おなごの皮を被っていたのか…」


眉間にしわを寄せて不快そうに呟く。その言葉通り、地面ではためく女の体は人間の形をしていながら肉も骨もない皮のみとなっていた。
恐らく、いや間違いなく生きていた人間のものであろう。それを悟った弥勒は厳しく眉根を寄せながら大蟷螂を見据えた。


「お前が殺したのか?」
「中身は喰ってやった。法師お前も喰ってやる」
「ふん…狙った相手が悪かったな」


大蟷螂が絶えずギチギチギチと不気味な音を鳴らしながら言うが、弥勒は右手を持ち上げながら吐き捨てるように返す。同時にその手をギュッ、と握りしめた直後、大蟷螂が二本の大きな牙に唾液を滴らせながら強く地を蹴った。


「喰ってやる!」
「喰われるのはてめえの方だ! 風穴!!」


ジャッ、と凄まじい音を立てて取り払われる封印の数珠。その瞬間右手の風穴が解放され、とてつもない強風とともに大蟷螂の巨大な体を吸い寄せては、それを押し潰すようにして底なしの闇の中へと飲み込み始めた。


「!」


瀬戸際の抵抗か。大蟷螂が風穴に鎌の先を引っ掛ける姿に弥勒は目を見張る。だが無慈悲で暴力的な呪いにそれが敵うことはなく、やがて大蟷螂は呆気なく全てを飲まれて消え去ってしまった。

ただし――風穴の縁に、小さな傷を刻んで。

静けさを取り戻した草原に立ち尽くす弥勒はただ重く黙り込み、右手に数珠を巻き直しながらその表情に厳しく苦痛の色を滲ませた。


「(ちくしょう…穴を切られた…)」


悔しさ、そしてそれだけではない複雑な感情に苛まれながら唇を噛みしめる。
胸のうちに込み上げ、膨らむ不安。とめどないそれにやるせなさを抱き、弥勒はただ感情を押し潰すように右手を一層強く握りしめていた。

――その姿を木に潜み見ていた影が一つ、フ…と空へ上がる。
それは奈落の最猛勝であった。まるで監視するように一連の出来事をその目に焼き付けた最猛勝はただ静かに飛び、薄暮に沈む山々の彼方へと遠ざかっていった。

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