03


楓から四魂の玉を元に戻すよう告げられた翌日。二人はやはり自宅へ帰りたいという強い思いを抱えていたが、野盗に襲われたばかりであるうえに楓の指示があり、もう一度帰宅を試みることができずにいた。
しかしいつまでもここで無意味な時間を過ごしているわけにはいかない。そう思うとついため息が漏れ、頭を抱えるように顔を押さえた。
そんな時ふと感じた、得も言われない嫌なべたつき。少しぎょっとしながら自分の顔や髪を触ってみると、どこもかしこもべたべたと不快な感触にまみれていた。


(そういえば私…こっちに来てからお風呂入ってない!)


途端に思い出した事実にさー…と血の気が引いていく。
いくらなんでも三日間風呂に入らないのは女として、否、人としてダメだ。それを思ってはすぐにかごめを呼びだして事情を話した。自分たちはずっと風呂に入っていない、もう返り血や泥なんかでべたべただ、と。それを告げれば案の定かごめも顔を青くして慌てだし、二人はすぐさま外出している楓を捜しに駆けていった。


「あっ、楓さん!」
「楓おばあちゃんっ」


楓の家から少し離れた場所にある畑の中央。そこに求めていた姿を見つけては、彩音もかごめも声を揃えるようにその名を呼んでいた。
その只事ではなさそうな様子に一体どうしたのかと目を丸くした楓は、微かに戸惑いながらもいそいそとこちらへ歩み寄ってきてくれる。


「二人ともそんなに血相を変えて、どうかしたのか?」
「「お風呂はどこっ!?」」
「風呂? そんなものはないぞ」


それだけか? と心底不思議そうな顔をする楓とは対照的に、二人は突然雷に打たれたように強く絶句する。
どれもが小屋のようだとはいえ、これだけの家が並ぶ村だ。どこかに一つくらいは風呂があるだろうと信じていたのだが、そんな期待は無情にもあっさり打ち砕かれてしまったようだ。


「そんな…お風呂がないなんて…」
「こんなことなら、せめてウェットティッシュくらい持ち歩くようにしてればよかった…」


そんなどうしようもない後悔に見舞われてはがっくりと膝を突く。その様子が余程大仰に見えたのか、楓はどこか呆れた表情を垣間見せると二人にも分かるよう遠くを指で差し示した。


「向こうに行けば川がある。そこなら汚れも流せるだろうが、行くか?」
「え…川、ですか…?」
「この際なんでもいいわっ。彩音、行きましょ!」


川と聞いてわずかに躊躇う彩音に対し、かごめはすぐにでもと彩音の手を取った。確かに、もう贅沢など言ってはいられない。それを思っては彩音も強く頷き、楓に川までの道案内を頼み込んだ。

そんな二人の圧力にやれやれといった様子を見せた楓は近くの村人に言付けると、急かす二人の前をゆっくりと歩き始めたのであった。



* * *




楓に案内されたのは村を離れた山の中、大きな川が流れ込む溜め池のような場所であった。落ち葉は浮かんでいるが、特に淀んでいるわけでもなく水質も綺麗な様子。それを目の当たりにするなり二人はすぐさま服を脱ぎ捨て、飛び込むように駆け込んだ。

これで三日ぶりに体を洗える――そう思ったのも束の間。二人は瞬時に凍りつくようぴし、と硬直してしまった。

なぜなら、今はまだ寒さの残る春先。細く吹き抜ける風は何枚もの木の葉を散らしているし、そもそも自分たちはしっかりと長袖を着ている。そんな状況、水がひどく冷たいことなど少し考えれば分かったはずだった。


「むっ…無、理っ…!」


ぶわりと身を震わせた彩音は一瞬で冷え切った体を抱き、固まりかけていた足をなんとか繰り出して川から這い出した。

いくらなんでも冷たすぎる。これでは汚れを落とすどころではない。そんな思いを抱えながら歯をがちがちと鳴らしては、震える手で脱ぎ捨てたスカートを手繰り寄せた。
冷たい水には浸かれない、だが汚れだけはどうしても落としたくて、ポケットからハンカチを取り出してはしっかりと濡らした。これで拭けば全身浸かるよりはマシだろう、と。


「うううううっ。さ〜む〜い〜」


ふとそんな声が聞こえてきたのは川の方。顔を上げてみれば、涙を浮かべながらも必死に水に浸かるかごめの姿があった。見ているだけで凍えそうなものだが、それでもかごめは肩まで浸かってしっかりと身を清めている。


「かごめ頑張ってるなあ…へっ…くしっ」
「彩音にかごめ、無理せずに上がって来い」


見ているのも寒々しいのか、楓は河原にこしらえた焚火にあたりながらそう呼びかけてくる。しかしそれにいち早く「やだっ、」と反論したのは川の中のかごめであった。


「血だらけだし、泥だらけだし、もー我慢できないっ」
「わ、私もせめて、体のベタつきくらいは落としたい…」


かごめ同様震えた声でそう返した彩音は、とにかく早く済ませようと濡らしたハンカチをごしごしと体に擦りつけた。すると体を伝い落ちていく水が明らかに濁り淀んでいるのが分かる。ハンカチを見てもくすんだ汚れが付着していて、思わず顔を引きつらせると同時にぶるりと身震いした。
知らない間にここまで汚れていたらしい。それを実感してはすぐに垢すりの如く必死に擦り、体中をくまなく洗い尽くしていった。


「も、もういいでしょ…っくしゅ!!」


水が濁らなくなったのを確認しては、大きなくしゃみをしてそそくさと楓の元に駆け寄っていく。すると手ぬぐいらしき布を渡され、それに包まりながら焚火にあたろうとした、そんな時。ふと視界の端に赤いなにかが写り込んだような気がした。
一瞬では分からなかった、が、その一瞬で嫌な予感を覚えた彩音がそぉー…と視線を持ち上げると、ばっちりとこちらを見つめる犬夜叉と目が合ってしまう。


「おっ、おすわりいっ!!」
「ぐえっ!!」


強く木霊する彩音の声の直後、崖の上にいた犬夜叉は楓の背後の地面へ思い切り叩き付けられた。その音に気が付いたらしいかごめがすぐさま川から上がってくると、二人は揃って近くの茂みの中へ逃げるように隠れていく。そんな慌ただしい二人とは対照的に悠長に振り返った楓はというと、「おや、いたのか犬夜叉」と落ち着いた声をかけていた。

だがその犬夜叉は楓に目をくれることもなく、首元の念珠に憎らしそうな目を向けている。


「(ち、ちくしょう。言霊の念珠のこと、忘れてたぜ)」
「こんの、変態!!」


決して外れない念珠に唇を噛んでいれば茂みから罵声が上がる。地面に伏したままその声の元へ視線を上げてみれば、茂みから顔を出す彩音とかごめが不満げな表情を向けてきていた。


「いやらしいわねっ、コソコソ覗いたりしてっ」
「コソコソっていうか…ものすごく堂々としてたよ」
「え、そうなの?」
「うん。それはもうしっかりばっちり堂々と」


彩音が見ていなかったというかごめにそう教えれば、二人は揃ってじとー…と軽蔑の目を向けてくる。だが犬夜叉はその様子に大きく顔をしかめ、「あ〜?」と不機嫌そうな声を上げた。


「けっ、バカかお前ら、おれはただな――」
「四魂の玉のかけらを盗みに来たんだろう」


犬夜叉の声を遮ってそう言い切る楓。その手には小さなかけらが摘ままれており、それを見た犬夜叉は体を起こすと不貞腐れるように背を向けて座り込んだ。


「分かってんじゃねーか、楓ばばあ」
「全く、先が思いやられるがな…四魂の玉を見極める彩音たちの目と、犬夜叉、お主の力を合わせねば…」
「だから、玉のためにそのいけ好かねー女どもと組んでやるつってんだろ」
「あんた、そんなにあたしらが嫌いなんだ」


犬夜叉が不満そうに楓へ言い返した直後、かごめが不機嫌を露わにした声で言いつけてくる。どうやら着替えが終わったらしい。そんな二人に振り返った犬夜叉だったが、突然「あ…?」と小さな声を漏らし、まるで目を奪われたかのように呆然としてしまった。

なぜなら、二人の着物が違ったのだ。犬夜叉にとって見たこともないセーラー服を着ていたはずの彼女たちが、どうしてか今、共に馴染みある巫女装束を身に纏っている。


「(桔梗…美琴…)」


二人の姿に、かつて共に時を過ごした巫女が重なる。
覚えている限りでは美琴の巫女装束は蒼色を基調としていたため、彩音が着ているものとは違っていた。だがそれでも、二人が並んで歩くその光景は確かに、かつて見ていた普段の彼女たちと全く相違ないもの――


「なんて顔しとるんだ、犬夜叉」


つい警戒するように後ずさっているとそれを不思議に思った楓に呆れられる。だが彩音とかごめはそんな犬夜叉に目をくれることもなく、ただ不機嫌そうに口をつぐんだまま川で洗った自分たちの制服をパン、と伸ばしていた。

そしてそれを棒に通した頃。彩音はいやに黙り込んだままの犬夜叉へ振り返り、その表情に小さく眉をひそめた。


「…美琴さんじゃないから」
「なにがだよ」
「どうせ私が美琴さんそっくりだとかなんとか思ってたんでしょ、その顔」
「……」
「図星か」


分かりやすく黙り込むその姿に眉根を寄せ、ついにははあ…とため息をこぼす。しかしそれには犬夜叉もむっと顔をしかめて、途端に逸らすようそっぽを向いてしまった。


「けっ。なんとも思ってねーよ。勘違いすんな」
「へー。そーですかー」


どこか馬鹿にするような犬夜叉の声に彩音は適当な声を返す。それだけ似ているのか、何度言っても犬夜叉は彩音と美琴を、かごめと桔梗を重ねてしまうらしく、そのうえで決して二人を認めないつもりらしい。
それをこれだけ確かに思い知らされれば、彩音ももう言及する気など起きず。呆れた様子で物干し台代わりの流木を手にすると、石の隙間にそれを突き立てた。

そうして制服を干し終えた時、不意に茂みから子供を連れた村の女が姿を現した。どうやらそれは楓に用があるらしく、楓の元へ歩み寄ってくるなりどこか困ったように「うちの娘が…」と話を切り出している。小さい声で彩音たちにははっきりと聞こえなかったが、なにやら倒れたなどと話しているようだ。
なにかあったのだろうか。彩音たちが不思議そうにその様子を見つめていると、話を終えた楓が女とともに村の方へ歩き出しながらこちらへ振り返ってきた。


「わしは先に戻るでな、ケンカするなよ」


そう言い残すと楓はあっという間にその姿を見えなくしてしまう。そしてこの場に残されたのは犬夜叉と彩音とかごめ。彩音とかごめが顔を見合わせても、犬夜叉だけは決してこちらを向こうともしなかった。


「「「……」」」


誰も声を掛けようとはせず、重い沈黙が三人を包み込む。気まずささえ覚えてしまうほどの静寂の中、彩音は楓の“ケンカするなよ”という言葉を思い出し、きっと無理だろうなと不安を覚え始めていた。
するとそんな時、背を向ける犬夜叉が「おい」と声を掛けてきた。


「なに」
「なによ」
「脱ぎな」


――突然爽快な青空に鈍く大きな音が響き渡る。あまりの早業に驚いた彩音が隣を見れば大きな石を抱えたかごめがいて、目の前にはタンコブができた頭を押さえながら震える犬夜叉の姿があった。


「…てめえ、なにを…」
「いやらしいっ」
「裸になれって言ってんじゃねえっ、あのヘンな着物着ろっつってんだっっ」
「なんで? 美琴さんたちと同じ格好されるのが嫌?」


食い掛かるように制服を指さしながら言う犬夜叉へ彩音がはっきりと問いかける。すると犬夜叉はどこか面食らったように目をぱちくりと瞬かせて固まり、やがてそれも不機嫌そうな顔に変わると、へっ、とそっぽを向いてしまった。


「関係ねえだろ」
(うわ、めんどくさ…)


思春期の子供のような反抗的態度に呆れて言葉を失うほかない。そう思った彩音がため息をついて顔を背けると、それを見兼ねたらしいかごめが犬夜叉を諭すように「とにかくねー、」と声を掛けた。


「そんなにケンカ腰じゃ…とてもこれから一緒になんか…」
「けっ。だったらいいんだぜ。おれは一人でも行く」
「あ、そう。あたしたちがいなくても大丈夫なのね。行こう、彩音」


視線だけを寄越して偉そうに言う犬夜叉にとうとうかごめまでもが冷たく言いつけ背を向けてしまう。かと思えば干していた制服を全て回収し、同じく制服を抱えた彩音の手を取ってそそくさと歩き出した。


「ん…? どこ行くんだよ」
「決心がついた。あたしたち帰るわ。さよなら犬夜叉」
「あたしたちって…そいつは帰るとは言ってねえだろっ」


呆気なく背を向ける二人に驚いたらしい犬夜叉が彩音を指差して言いつけてくる。それに足を止めた彩音は振り返り、半分ほど伏せた訝しげな目で犬夜叉の顔を見据えた。


「なに、私に残ってほしいの?」
「んなこと言ってねーよ」
「そーですか。せっかく残ってあげようかと思ったのにな〜。どおぞ、お一人で頑張ってくださ〜い」
「こいつ…」


適当に手を振り再び背を向けてしまう彩音の態度にわなわなと体を震わせる。それでもお構いなく、さっさと井戸の方へ向かおうとする二人。それに痺れを切らせた犬夜叉は突然「おいっ!」と大きく声を荒げて二人を振り返らせた。


「なによ。止めたって無駄よ」
「玉のかけら持ってんだろ」
「あーかけらね」
「私が持ってるよ。ほら」


彩音がかけらの入った小袋を掲げると犬夜叉はすかさず「置いてけ」と手を差し出してくる。しかし彩音はそれににこーっと笑みを浮かべると、とても可愛らしく「おすわり」と言い放った。
その瞬間犬夜叉の体はあっさりと地面に押さえつけられ、起き上がることすら許されない彼は「てめ〜〜」と恨めし気な声を上げてくる。

それでも二人は構わず背を向け、


「おあずけよ」
「お元気で〜」


そう一言ずつ言い残してすたすたと歩き出してしまった。かけらが入った小袋を、まるで犬夜叉に見せつけるようにくるくると回しながら。

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