Blue Moon (サンプル)
※一部抜粋(実際の本では縦書きです/読みやすいように改行入れてます)
静かな波の音が響く自分の部屋。最後の梱包のガムテープを切った。
「……よし」
荷物は、ほとんどない。それでも、こうしてまとめるとそれなりの段ボールの数になった。
片付けると本当に机とベッドしか残らないんだなと、さらに殺風景になった部屋を見て苦笑した。ベッドに腰掛けて、ぼんやりと天井を見上げる。
珊瑚礁の、俺の部屋。
「終わり、か」
ここを出て行く日が来るなんて思ってもいなかった。
いや、予感はあった。ただそれに気づかないふりをしていただけだ。
壁にかかったままになっているカレンダーは十二月のままだ。あれから一ヶ月が経ったなんて、信じられなかった。
今月中には家に帰る約束だ。期限ぎりぎり、この一ヶ月は、誰にも会わずに過ごした。もっと早く帰ろうと思えばできたはず。だけど俺は、未練がましく縋りついていた。この街に。
ここを明日には出て、両親のもとへと帰る。
俺のしてきたことは無駄だったのか…?
空しい気持ちが胸を過ぎる。だけど、きっとそれは違うんだって……、そう思えるのは、あいつが傍にいてくれたから。
珊瑚礁が閉店した日。ひとりじゃなかったから。
「ほんと……、どうしてこうなったんだろう」
どこで間違ったのかなんて、もう分からない。
ここで過ごした時間は実家にいた時間よりもずっと短いのに、それでも……、俺はここが大切だった。
高校三年間で、俺は少しでも成長できたのかと問われると、胸を張ってイエスとは答えられないけれど。
高校生活を振り返ってみると、俺の記憶の中にはいつもあいつがいる。たいていの場合、その笑顔は俺に向けられたものじゃないけれど、たまに学校で隠れて話した時や、一緒に見上げた空が、きらきらと輝いて……。
「は……、情けな……」
俺は、なにもできなかった。学校なんか面倒だと思ってた。それをよしとしないじいちゃんに気づいていたのに。
店のことを一生懸命やっていれば認められると思ってた。認めて欲しいだけの、ただのガキだった。
この手に残るものなんてなにもない。俺の夢は粉々に壊れてしまったのだから。
あいつと最後に会ったのは、初詣の時。
少し心配そうな瞳に、嘘はつきたくなくて、本心を打ち明けたつもりだった。……だけど、全部が現実的に上手くいくなんてこと、あるはずがなかったんだ。
珊瑚礁という守りたいものがなくなって、ここにいる理由はなくなった。だけど、どうしても残りたくて親とも話してみたけれど、認めてはもらえなかった。
無力な自分に腹が立つ。親から出された条件はクリアしてきたのに……、そもそもの理由――珊瑚礁がなくなってしまっては、いくら俺が説明しても理解なんてしようとしない。そう。俺の親はいつまでも変わることなくそのままだった。
結局……、俺はなにもできないガキで、約束のひとつも守れない。ただの……子供だった。
大人に、なりたかった。早く、大人に。
だけど、そう思うってことは、自分が子供だって自覚している証拠だということにも気づいてた。
喫茶珊瑚礁。美味しいコーヒーを提供する。ちっぽけだけど、温かい場所。
なにもかもが順調だったわけじゃないけど、それでも、この場所を守りたかった……、守りたかったんだ。
その唯一の願いも、叶わなかった。
俺には、もうなにも残っていない。なにも……、そう思った時に浮かんだのは、あいつの顔。
ばかみたいに人のことに一生懸命で……、どんなに悪態をついても、めげることもなく、怒っても拗ねても、最後にはいつも笑ってた。その笑顔が、好きだった。
――やり残したことは、あとひとつ。
この街に、未練は残さない。家に戻るときに誓ったんだ。全部捨てて戻る……って。だから、許してくれなんて言わない。許されたいとも思わない。
どうか……、全てを忘れて欲しい。
俺のことも、珊瑚礁のことも―――出会ってからの全てをなかったことにしよう。そうしないと、きっと俺は前に進めない。
諦めることなんて、簡単だ。諦めないと、いけないんだ。
ゆっくりと電話に手を伸ばした。電源を切ったままの携帯に久しぶりに触れる。別れを告げるための、最後の電話。
「―――もしもし?」
※2016.1.31 ラヴコレクションにて発行予定
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