#epilogue ( teru side )#1
――瑛、くん
「あかり?」
どこか、遠くで聞こえたような気がしたあかりの声に顔をあげる。
「――は?」
クルクルとメリーゴーランドが回る。向こうから来た馬の上に、ちょこん、とあかりが乗っていた。白い水玉模様の赤い服、赤い靴。初めて見る格好だったけれど、見間違ったりしない。
あかりの目線は遠くて、なんだかぼんやりしているようにみえる。
「あかり…?」
おかしい。さっきまで、誰も乗っていなかったはず。それとも…見落とした?イヤ、そんなはずはない。頭が混乱して、目を瞬いた。
あかりが、俺の前を通過する。俺には気づいていないらしい。
その横顔に、ハッと我に返った。細かいことはどうでもいい。とにかく、あかりがそこにいる。馬に乗ったあかりが向こう側に消えるのが嫌で、走った。
大型のメリーゴーランドのスピードはそんなに早くない。普段だったら、この周りで父親がカメラを構えて子供が回ってくるのを待つのだろう。有難いことに、追いかけやすかった。
走りながら、頭を過ぎるのは嫌な予感。もし、もう一周して来た時にあかりがいなかったら…?
そんなはずはないと思う。もちろん、あり得ない。
だけど、今はみつけたあかりをもう見失いたくなかった。
「――あかり!」
けっこう大きな声で呼んでいるけれど、あかりは振り向かない。メリーゴーランドの音楽が大きくてこっちの声が聞こえていないみたいだ。
ぐるぐると回る馬、その周りを走る俺。滑稽だ。それはもう、笑えるくらいに。
「あかり!!」
もう一度大声で呼んだ時、あかりがゆっくりと振り向いた。
ぱちり、目が合う。
「――」
驚いたように見開いた目。なにをそんなに驚いているのかと思う。だけど、確かにこれはおかしな構図だ。馬に乗っているあかりを追いかけている俺。
「てる、く、ん――?」
まるで、信じられないものを見たというように、あかりが俺の名前を呼んだ。俺がこれだけ大声を張り上げてやっと届いた声。あかりの呟くような声が聞こえるはずもないのに、なぜか、俺にはあかりの声が聞こえたような気がした。
あかりが、足元を見つめて、馬から飛び降りる。
「バカッ、乗ってろ!」
だけど、そう叫ぶには遅すぎて、あかりは上下する馬の前。回転床に立った。そのまま、俺の方へと走ってくる。
「走るな!」
そう言う俺は走っているけれど。メリーゴーランドはまだ止まる気配はない。
「瑛くん…っ」
あかりが俺の名前を叫ぶ。
「止まれ!!」
ようやくあかりが立ち止まった。変に足を踏み出したら、あかりなら転ぶに違いない。そう思った。不安げな瞳で俺を見つめてくるあかり。
「…からっ」
「え…?」
「そこに、行くから…、待ってろ!」
息が切れる。あかりが、少し泣きそうな顔で頷く。俺と距離が離れないようにあかりが足を進めるから、多少スピードを落としても、距離は変わらない。
見えてきた乗り場の入口、そこに駆けこんで、柵を乗り越えた。
「瑛くん…」
あかりが、床の流れに乗って、近づいてくる。ゆっくりとこっちに向かって手を伸ばす。俺も手を伸ばして、あかりの指先に触れようとした瞬間、ぱ、と音楽が止んで、回転が止まった。
「きゃっ」
突然止まった床にあかりがよろけた。あかりの腕を掴んで、その身体をぎゅっと受け止める。伝わる体温に、ふわりと香るあかりの匂い。久々に感じるあかりの存在に、ドキリとした。それを悟られたくなくて、憎まれ口を叩く。
「バカ…こんなとこで何やってんだよ」
「瑛、くん…」
ぽつん、と俺の名前を呼んだあかり。
「なんだよ?」
「瑛くん……?」
「だから何?」
ぎゅ、と腕を掴んで、少し俺の身体を離すと、じっと上目遣いで俺の顔を見つめてきた。
「瑛くん…、だよね?」
なんの確認をしているのかよく分からない。
「あかり?おまえ…大丈夫か?」
ふいに俺の腕を掴む手が震えている事に気づく。真剣な瞳は揺るがない。
「当り前だろ?…俺以外の誰かに見えるのか?」
「瑛くんの、アルバイト先、は?」
質問がまた飛んで、思わずきょとんとする。
「知ってるだろ?」
「答えて」
「…Casa Cafe」
俺の答えに、緊張していた頬が少しだけ緩んだ。
「瑛くん、だ」
「は?」
「瑛くん…っ」
ぎゅと、突然俺に抱きついてきた。
「ちょ、あかり?どうした?」
「…なんでもない。……瑛くん…会いたかった」
尻すぼみにポツリと呟いた言葉が聞こえて、頬が熱くなる。あかりは俺の胸に顔を埋めているから、赤くなった顔は見られないで済んだけど。そっとあかりの頭を撫でた。
「…今日、ごめんな」
ひとりでこんな所に来させて。寂しい想いをさせて。…我慢させて。
結局、思ったことの半分も伝えられなかったけれど。あかりが俺の胸の中で、首を振ったのが分かった。
「わたしも…ごめんね」
あかりがなんで謝っているのかが分からなくて、少し不安になる。
「なんだよ?なんであかりが謝るんだよ」
「……」
その問いにあかりは答えない。
「あかり?」
「瑛…く…」
疲れたのか、緊張が解けたのかは分からないけれど、あかりが俺に凭れて、頽れる。
「ちょ、おい…っ」
咄嗟にあかりの身体を支えると、静かな寝息が聞こえた。
「…ったく、驚かせんな」
軽いため息をついて、あかりを抱きかかえる。そのまま、メリーゴーランドを降りた。
近くのベンチにあかりを降ろして、背負い直す。いつの間にか、遊園地はシンと静まりかえっていた。あかりを連れて帰ろうと立ち上がって、ふいに視線をあげると、さっきの手品をする着ぐるみのクマが赤い風船を持ってじっと俺を見つめていた。
間違いなくさっきのクマだ。相変わらず可愛くない。距離にして3メートル弱。いつの間にそこにいたのか、さっきと同じように、ライトに照らされてぼんやりとその場に浮かんでいた。
クマが首を傾げて、赤い風船を差し出す。…といっても、遠くて受け取れはしないし、そもそもあかりをおぶっているから無理だ。
受け取る意志が無いのが分かったのか、着ぐるみのクマは、そのまま、大げさに手を振りながら恭しく一礼をして、風船の糸を離した。風船が空へと舞い上がっていく。思わず赤い風船を見上げる。暗い空に吸い込まれるように、風船はどんどん上昇して、小さくなる。
さわ、と風が吹いて視線を戻すと、そこに可愛くないクマはもういなかった。
「え…?」
確かに、そこにいたはずなのに。また手品で行方をくらませたか。
さっきはあんなにクマの事が気になったのに、今はもう、別に追いかける気もなかった。大切なものは、自分の背中にいる。この、小さな存在。
「帰ろう」
誰に言う訳でも無く呟いて、遊園地の出口に向かった。遊園地はとっくに閉園したらしく、人影も全くない。唯一いたのは、あの可愛くないクマだ。手品をする着ぐるみクマ。あかりが起きていたら、すごく喜んだかもしれない。喜ぶあかりの顔が想像できて、見せてやりたかったな。と思った。
長い、長い一日が終わる。そう思ったのに…。
「……げ」
遊園地の外に出て、バス停の時刻表を見て、思わず呟いた。
最終バスはとっくに出てしまっていた。
「マジかよ…」
タクシーを使おうと思っても、周りには車も人影もない。ため息を吐いて空を見上げる。あかりはまだ目を覚まさない。バスが無いものはしょうがない。ゆっくりと、あかりを背負ったまま歩きだす。ぷらぷらと揺れる足には赤い靴。
そう言えば、まだ見たことのないワンピースを着ていた。もしかして、今日の為に準備をしていたのだろうか?そう思うと、堪らなく嬉しかった。
今日一日、ずっとあかりを探して、あかりのことを考えていた。
『……もういいもんっ』
あの時のあかりの言葉が無かったら、もしかしたら、俺はまた同じような間違いを繰り返したかもしれない。しっかり掴んでいたと思い込んでいた手は、いつの間にか、違うものになっていて、気づいたら、隣にあかりはいなくて、俺はひとりで…。そんな想像をして、ゾッとした。
我慢しなくていい。言いたいことは言ってくれていい。どんなに忙しくても、あかりの話を聞くから。もう…傍にいてくれて当たり前だなんて思わないから。
「大切なんだ…誰よりも」
呟いた言葉がジワリと胸に沁み込む。
俺が決めた進路も、笑顔で『応援する』って、『待ってるから』って、言ってくれた。だけど…、そうだ、あかりは泣き虫で、強がりで、自分の事より他人のことを優先するヤツだった。寂しくない訳、なかったのに。
「バカ…」
どれだけ深く傷つけたんだろう。反省したはずなのに、いつも一緒にいると誓ったはずなのに。俺が守らなくちゃいけないのに、俺が一番傷つけていた。その時、ふと、あのカピバラのぬいぐるみが思い浮かんだ。なにかを、訴えるような黒い瞳。哀しそうな瞳で俺を見るあかりと重なる。
もしかしたら、あのカピバラも俺達のことを心配してくれていたのかもしれない。そんなはずはないけれど。だって、ただのぬいぐるみだ。
…そんなの分かってる。だけど、なんだかしっくりと心に落ちた。
こんなことを考えるなんて、俺らしくない。そうだ。今日の俺は、らしくない。
だけど、なぜかそうしないといけない気がしていた。あかりをみつけられなかったら、取り返しのつかないことになるような予感があった。だから、俺はホッとしている。今、背中にいる温もりと重みは現実だ。
俺は…ちゃんとあかりをもう一度捕まえられたか?
○
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