学校の制服に身を包んで、更衣室から出ると瑛くんがいなかった。
「あれ…?」
「ああ、お嬢さん、こちらへどうぞ」
ニコニコとマスターさんがわたしに椅子を勧めてくれたけど、そろそろ帰らないと。明日から夏休みだし、遅くなっても大丈夫だけど、マスターさんも疲れているのに、これ以上迷惑をかけたくない。
「帰りは瑛に送らせますから」
「え?いえ、大丈夫です。今日はひとりで帰りますから」
「ダメです。女の子ひとりで帰すわけにはいきません。すぐに瑛を呼びますから、ちょっと待ってくださいね」
「待ってください。瑛くんは、まだ疲れてるんじゃ…」
「大丈夫ですよ」
「でも…」
心配してくれるのは嬉しいけど、そこまで甘えていいのかな?
「もしご自宅が心配でしたら、僕が連絡を入れておきます」
「…家は、大丈夫です」
お母さん、マスターさんと瑛くんには絶大なる信頼をおいてるから。
「では、少しコーヒーでもいかがですか?」
「…はい。ありがとうございます」
「瑛もすぐ降りてくると思いますので」
マスターさんの笑顔に、つい頷いてしまう。たぶん、これ以上何か言ったとしても、瑛くんが送ってくれることは変わらないだろうし。チョップされても、口が悪くても、瑛くん優しいからな…。
「さ、どうぞ。今日はありがとうございました」
「わあ、ありがとうございます」
淹れてくれたカフェ・オレを飲んで、幸せな気持ちになった。
「そう言えば、お嬢さん、あのケーキですが…」
「うわっ」
「え?」
マスターさんが何かを言いかけた時、厨房から瑛くんの声が響いた。
「瑛?どうかしたのかい?」
「あ〜…、ごめんじいちゃん、これ、落とした」
「おや、それは…」
マスターさんが厨房に入っていくと、声が聞こえなくなる。何か話しているのは分かるんだけど…。向こうに行こうか迷っていると瑛くんが顔を出した。
「待たせたか?」
「あ、ううん。マスターさんにコーヒー頂いてたから」
「あの、さ」
ほんの少し申し訳なさそうにわたしを見た瑛くんが、チラリとわたしを見た。
「ん?」
「悪い。おまえが客に貰ったケーキ、落とした」
「え?」
お客さんに貰ったケーキってなんだっけ?
思わず首を傾げると、苦笑されてしまった。
「ま、おまえが気にしないならいい。代わりにこっちやる」
「え…?こ、これ…」
真っ白いお皿に乗った綺麗なケーキがコーヒーカップの横に置かれる。
小さな小さなホールケーキ。ホワイトチョコレートの細工に桃のフルーツ、その横に小さなピンクのバラがふたつ乗っている。
「可愛い…これ、瑛くんが作ってくれたの?」
「まぁ、な。あのさ……誕生日、おめでとう」
「え…?」
瑛くんの言葉にビックリして顔を上げる。
「覚えてて、くれたの?」
「つーか、さすがに忘れない。俺と同じ誕生日なんだからさ」
「…ありがとう」
どうしよう、なんか…なんか、すっごく嬉しい。
きっと瑛くんは覚えてないんだろうと思ってた。ううん、覚えていてくれたとしても、こんな風にケーキを作ってくれるだなんて思ってもみなかった。
だって、今日は…すごく大変だって、瑛くん自身が分かっていたはずなのに。
「いいから、早く食えよ」
「う、ん、いただきます」
食べてしまうのがもったいないけど、中身は、桃だった。だけど、お店で出しているのとは違う。
「て、瑛くん、これ、まさか、今仕上げたの?!」
「ん、そう。やっぱおまえでも気づくか」
「当たり前だよっ」
上に乗ってるの、生の桃だもん、少しでも置いておいたら、すぐに変色しちゃうし…。普通はコンポートとかにして使うものだけど、旬の今は生のまま食べたほうが美味しい。
「さすがに中はコンポートだけどな」
「……っ」
すごく手間暇かけてくれたことが分かって、胸が熱くなる。
「どうした?」
「な、なんでもない。すっごく美味しいよ」
泣きそうになったのを堪えて、笑顔を向けた。こんなに嬉しいプレゼントは初めてかもしれない。だけど…、わたし、もっと瑛くんの喜ぶプレゼントあげたかったかも。
「…ごめんね」
「は?」
「なんか、わたし…プレゼントいまいちで」
「…誰もそんなこと言ってないだろ」
「だって、あまり嬉しくなかったんでしょ?」
じぃっと瑛くんを見つめると視線を逸らされた。
「やっぱり…、気に入らなかったんだね」
瑛くんの反応で分かってはいたけど、やっぱり落ち込む…。
「違う。別に気に入らなかったわけじゃない」
「いいよ。フォローしてくれなくて」
来年こそ、きっと瑛くんがすっごく喜ぶプレゼントを考えるんだから。
「はぁ…」
「えっ?!なんでため息?!」
「…ちょっと待ってろ」
「瑛くん…?」
そう言って、二階に上がっていく瑛くんを見送りながら、首を傾げた。
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