「……くん、ねえ、起きて」
柔らかい声が聞こえて、俺の肩を揺らす。
「ん……、まだ、あとちょっと」
「だめ。ご飯できたから、起きて?」
「飯……?」
もう少し寝ていたかったのに……、と思いつつ、うすっらと目を開ける。
ベッドに腰掛けたあかりの顔が目に入る。俺が目を開けたからか、あかりがにっこりと笑った。
上半身を起こして、あかりに軽くキスすると、予想していなかったのか、頬がぱっと赤く染まる。もういい加減、これくらい慣れればいいのに、と思うけど、こういうところがあかりのいいところでもあると思う。
「もう……っ、瑛くんなんかニヤニヤしてる」
「いや、おまえが面白いから」
「面白くないよっ。もう……、早く起きて? 朝食が冷めちゃう」
恥ずかしそうに、唇を尖らせたエプロン姿のあかりがベッドから離れようとする腕を掴んで、引き寄せると、簡単に俺の腕の中にあかりがおさまる。
「きゃっ、ちょっと、瑛く……っん」
そのまま唇を塞ぐと、あかりがわずかに身じろぎした。そのままベッドに押し付けると、あかりがそっと俺の胸を押した。
「だ、だめ」
「……なんで?」
「朝ごはん……、せっかく作ったんだから」
不満そうな顔に、ため息を落としてあかりから離れる。どうやら、どうしても朝飯にこだわっているらしい。
「早く顔洗ってきてね」
ベッドから降りたあかりがキッチンに向かうのを見て、洗面所に向かった。洗顔を済ませて軽く髪を整えてからあかりが待つキッチンに向かうと、テーブルの上にはパンケーキと珈琲が準備されていた。
「パンケーキ?」
「そう。最近流行ってるし、練習してみたの」
「ふぅん……。サンキュウ」
あかりらしいチョイスに少し笑う。俺の方には結構綺麗な焼き目がついていたけれど、自分の方は失敗したのか、少し焦げた部分があった。
「いただきます」
あかりが手を合わせてそれに倣う。
あかりの作ったパンケーキはバナナパンケーキとフルーツパンケーキで、朝から結構頑張ったんだろうと思った。
珈琲もいい豆を使ってるのが分かる。
「美味しい?」
「ん。たまにはこういうのも悪くない」
俺の言葉が気に入らなかったのか、あかりがむぅ、と拗ねたような顔をした。
「……美味いよ。朝から頑張ってくれてありがとな」
「うん、お誕生日おめでとう」
「ああ、そっか。さんきゅ」
昨夜は誕生日前夜、珍しくあかりが泊まってもいいかと聞いてきたときにはちょっと驚いたけど、誕生日のお祝いをしたかったらしい。
だから、この朝食か。そう思ったら、あかりが余計に可愛く見えてきて困る。たぶん、このあとも色々とあかりの中で予定があるんだろう。それを台無しにしかねない自分の理性を必死で抑えて、黙々と朝食を平らげた。
「瑛くん、どうかした?」
「え? いや別に。ほら、皿は洗ってやる」
「いいよ! わたしがやるから!」
「いいから。俺にも手伝わせろ」
遠慮するあかりの皿も一緒に片付けて、そのまま洗う。そもそも、いつも一緒にやっているんだし、誕生日だからってやってもらうだけってのも、なんか違うと思うし。
「じゃあ、わたし拭くね」
「頼む」
ふたりでやれば、片付けもあっという間だ。
大学はもう夏休みだからほとんど講義もない。今日はふたりでゆっくりしようとあかりが言っていたけれど、なにをするつもりなのか。
「じゃあ、瑛くん。出掛けるから準備ね」
「出掛けるのか?」
「せっかくいいお天気だし……、それに、行きたい場所があるの」
「へえ、珍しいな」
「準備してくる」
あかりが寝室へと入っていく、俺も着替えて出掛ける準備を終わらせた。
「……お待たせ」
「けっこう遅かった、な……」
寝室から出てきたあかりをみて言葉に詰まる。
少し胸を強調したようなデザインの水色のセパレートのワンピース。色の分かれている部分にリボンが巻かれている。少し高級感があるから頑張って購入したんだろうことが分かる。この日のために買ったのだと分かって、思わずドキッとした。
今日初めて袖を通したということもあるんだろう。ほんの少し恥ずかしそうにしながら、どうかな? と首を傾げて聞いてくる。
「……瑛くん?」
「つーか、誘ってんのか?」
「えっ?」
胸の下にあるリボンをつい解きたくなって、あかりを抱き寄せてキスをする。
俺を喜ばせようと思ってやってるんだろうけど、全力で出掛けたくなくなるような行動は避けてほしい。
「ん……っ、んんっ」
つい、深く口づけると、あかりが慌てたように腕を抑えようとする。
「は……んっ、てる、く……」
ぎゅっと俺の服をにぎるあかりの行動が可愛くて、もうこのまま押し倒してもいいんじゃないかと思った時、あかりが唇を離して、肩口に頭を押し付けてくる。
「あかり……」
「も……、だめっ、おしまい」
「ダメなのか?」
「だ、ダメ……今日は、その……、そういうのは、あとで」
最後の呟くようなセリフに一瞬耳を疑う。
「え」
「ほら、もうでよ? 今日は、デートするんだから」
俺の手を握ったあかりが部屋を出ようと促す。さっきの言葉の意味を問いただしたかったけど、たぶん、聞き間違えじゃないだろうし、あかりが口に出したってことは、あとでならいいってことだよな。
「わかった。じゃあ、あとでな?」
あかりの耳元で囁くと、ぴくっと身体が震えて、次の瞬間、顔が真っ赤に染まる。
「もうっ、瑛くん!」
「ハハッ、じゃあ行こう」
あかりと一緒に玄関を出てから、自然と手を繋ぐ。
はばたき市の今日の天気は快晴。そして、真夏の日差しだ。あかりはきちんと帽子をかぶって日を避けている。うっすらと化粧もしているようだから日焼け対策はばっちりなんだろう。
俺も夏の日差しは好きだけど、ここ最近は猛暑で木陰がないと少しキツイ。
いい天気だからってサーフィンに向いている波が来るとは限らないから、最近はサーフィンもご無沙汰だ。夏が早まったようで、海開きも早いし、この時期は海水浴の客でサーフィンどころでもないしな……。
「あっつ……。で? どこに行くんだ?」
さすがにこの日差しの下ずっと歩き続けるのはキツイだろう。
「大丈夫。ちゃんと涼しいところだよ」
あかりが俺の手を引っ張って、向かった先は水族館だった。
「水族館、か」
「うん。館内は少し涼しいよ?」
「へえ、なんか久しぶりだな」
「……瑛くんと初めてデートした場所だよ? 覚えてる?」
「そうだっけ? 忘れた」
「えっ」
あかりの表情が嬉しそうな顔から、ショックを受けた表情に変わる。
「バーカ。冗談だよ。ちゃんと覚えてる」
「ほんとに?」
疑いの眼差しに、拗ねたような唇。無自覚って分かってるけど、キスしたくなるからやめてほしい。
「覚えてるって。……ほら、この水槽。おまえがずっと見てて迷子になりかけたろ」
「べ、べつに迷子になってないし。瑛くんがさっさと行くのが悪いんでしょ」
「ま、あん時はなんで誘われたのかもよく分かんなかったしな……。思えば、あれからふたりで結構いろんなところに行ったな?」
最初は、なんで水族館に誘われたのかも分かんなかったし、そもそもあかりとも仲良くなんてなかった。入学式の日に素をみられてから、唯一気を遣わない相手ではあったけど。
「……そうだね。あの時水族館に誘ったのはね、瑛くんがちょっと疲れているみたいに見えたから」
「え?」
「珊瑚礁でバイトして、わたし、しょっちゅう怒られてたでしょ? いっぱい頑張ってたつもりだけど、足りなくて。でも、瑛くんの努力を間近でみてたから……ここなら、癒されるかな、って」
珊瑚礁のバイトに来た日。じいちゃんが採用、って言わなければきっと追い返してた。あの時の俺は、なによりも店が大事で、そのせいで、視野が狭くなっていたように思う。
きっと、じいちゃんにはお見通しだったんだろう。だって、履歴書で知ってたはずなんだ。あかりが俺と同じ高校だってことを。
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