あかりの料理が出来上がったのは、それからほどなくしてからで、お皿を運んで並べていく。
「お待たせ」
準備ができたあかりが満足そうに笑う。誕生日だというのに、和食が中心の料理で、なんだか渋い。豆腐に、焼き魚、豚の冷しゃぶ、サラダ、ご飯に味噌汁。ちょっとしたコース料理みたいに綺麗に盛り付けてある。
「どうかな?」
「うん。美味そう」
いただきます。と箸をつける様子をあかりがちょっと不安そうにじっと見つめる。ひと口食べて、ちゃんと下味をつけているのが分かる。
「へえ、美味い」
「ほんと?」
「ああ。ほんと。ずいぶん練習したんだな」
「もうっ、そこは隠しておくものでしょ?」
俺が思っている以上に、相当練習したらしい。あかりが恥ずかしそうに唇を尖らせる。
「いや、料理だって、お菓子だって練習は必要だろ? やらなきゃ腕が落ちるだけだし」
「それは、そうかもしれないけど」
まだ少し納得いかないみたいに、あかりも料理を口に運ぶと、出来に満足したのか、頬が綻んだ。こういう風に美味そうに食べるあかりは見ているだけで幸せな気分にさせてくれる。
ああ、なるほど、穏やかな幸せってこういうことかもしれない。
内心でそんなことを思いながら、魚に手をつける。焼きたてはやっぱり違うな。
「弁当もいいけど、こうして出来たてを食べるのもいいな」
「……喜んでくれて嬉しい。たまには和食もいいかな。って思って」
ふわりと笑ったあかりの顔に、思わず見惚れて箸が止まる。
「瑛くん? どうかした?」
「え。ああ、いや……別に。これも美味いな。ポン酢も作ったのか?」
「うん。なるべく自分で……って思って」
「サンキュウ」
こういうところが、すごく好きだ。あかりはいつも一生懸命で、前向きで……、どんどん綺麗になる。どんどん、輝いていく。
「ご馳走様でした」
すっかりと全部を平らげて、あかりがお粗末さまでした。と片付けを始める手を止める。
「片付けくらいはやるよ」
「だめ。瑛くんは、今日はなにもしなくていいの」
「いいんだよ。それに、ふたりでやった方が早く終わるだろ?」
あかりから食器を奪い取ってキッチンに運ぶ。それなりに片付いていて、へぇ、と思う。
「だいぶ手際もよくなったんだな」
「そうかな? わたしだって、成長してるんだよ」
わざとらしく胸を張るあかりに軽いチョップを落とす。全然痛くないやつを。
「だったら、怪我もしないようにならないとな?」
「はーい」
「じゃあ、俺が洗うから、おまえは拭き上げな」
布巾を渡すとあかりが少し驚いた顔をして、申し訳なさそうな表情をする。オマエがそんな顔をする必要はないのに。
狭いけど、ふたりでやる片づけは、珊瑚礁の時以来かもしれない。隣同士で立って、こうして洗い物をしてるのは、あの頃と同じ。なんだか懐かしい。
「……なんか、懐かしいね」
あかりも同じことを考えていたらしい。
「俺も同じこと思ってた」
「ふふ、あの頃の瑛くんは鬼のように厳しかったよ」
「出来の悪いバイトがいたからな……」
「そ、そんなの最初の頃だけでしょ?」
むぅ、と膨れるあかりにハハッと笑うと、あかりも笑った。
珊瑚礁が閉店するまでは何度もあった光景だ。今は少し、懐かしく思う。
こんな風に思えるのも、俺が今立っていられるのも、笑っていられるのも全部あかりのおかげだと思う。
二人分の食器はそんなに多くないし、あっという間に終わった。
「お茶、煎れる――」
手を拭いたあかりが、全部を言い切る前に、ぎゅっとあかりを抱きしめる。
「てる、く」
「あかり……」
俺の腕の中にいるあかりは小さくて、もう少し力を入れたら壊れてしまいそうな気さえする。少し身体を離して、驚いているあかりの唇に自分の唇を重ねる。
一瞬ピクリと身体が震えたけど、大人しく俺のキスを受け入れるあかりが可愛くて、角度を変えて何度も唇を重ねていると、苦しかったのか、トントン、と俺の胸を叩くから少し顔を離すと、はぁ……っ、とあかりが息を吐く。
「もっ、いきなり……きゃっ」
文句を言うあかりの背中に手を回して、サッと膝裏に手を入れて、素早く抱き上げる。驚いたあかりが俺の首にしがみついてくる。
「え。ちょ、瑛くん!?」
そのままあかりを運んで、ベッドに下ろすと、あかりが驚いたように俺を見た。
もしかしたら、あかりはこんなつもりじゃなかったのかもしれないけれど、ただ、泊まるだけ、なんて無理に決まってる。
「あかり……」
ベッドの上に座るあかりの頬に、そっと指を滑らせて、顎に手を添えるともう一度軽くキスを落とす。
「てる、くん……」
「なあ、俺……、結構期待してるんだけど」
あかりの髪を梳くように撫でて、髪を指先で遊びながらそう問えば、あかりがちょっと困ったように視線を逸らす。
「え、えっと……、ちょ、ちょっと、待って」
その反応に、少し首を傾げる。嫌だとか拒否するとか、そんな態度ではない。と、言うことはこのまま進めてもいいのか?
「待ちたくない」
「へ? きゃっ、ちょ、ちょちょちょ、瑛くんっ!」
ドサリ、とあかりの身体をベッドに押し付けると、大きな目をまん丸くして、慌てだす。
「な。いいだろ?」
「……っ、だ、だからっ、ちょっと、まっ、」
もう少し、我慢できると思ったけど、ダメだった。あかりの言葉を最後まで聞かずにキスで唇を塞ぐ。
「ん……、ンッ」
あかりがなにかを言おうとして開いていた唇の隙間から、舌を伸ばす。今までは唇を舐める程度で我慢していたけど、いつも、ほんとはもっとって思ってた。
あかりの口の中は熱くて、驚いて逃げようとする舌を追いかけて、絡めると、苦しそうな、それでいてなんとも言えない色っぽい吐息があかりの唇から零れて、背筋がゾクリとして、腰が疼いた。
深いキスを繰り返していると、あかりの身体からくたりと力が抜ける。
「ふぁ、……てる、く」
乱れた息で、あかりが俺の名前を呼ぶ。力があまり入らないのか、俺の腕に縋るように捕まる。エプロンの紐を解いて、あかりからエプロンを脱がせて、ワンピースの背中に手を回すと、あかりが緩く首を振った。
「瑛くん、ま、って……、おねが……っ」
泣きそうな顔に、思わず手が止まる。
違う。あかりにこんな顔をさせたいわけじゃない。あかりに触れようとして、グッと拳を握って堪える。自己嫌悪に陥りながら、あかりから離れた。
「……ゴメン」
もう同じ失敗はしたくなかったのに、つい、突っ走りすぎたと思う。
「ち、ちがっ、」
ベッドから立ち上がろうとすると、グイッと袖を引っ張られてちょっとよろけて、あかりを振り返ると、すごく哀しそうな顔をしたあかりがいて、どうしたらいいのか分からなくなる。とりあえず、あかりが袖を掴んだまま放そうとしないから、ベッドに腰を掛けた。
「……ごめんなさい」
「は? なんでおまえが謝る……」
「違うの、その。……嫌、とかじゃなくてね。ちゃんと、準備したい、の」
「え?」
ちゃんと、準備って……?
「瑛くんを傷つけるつもりじゃなかったの」
あかりの瞳から涙が落ちて、泣いているのに、なぜかその姿が綺麗に見えた。
「ばか、俺は傷ついてなんかない」
そっと指先であかりの涙を拭う。
「おまえの気持ちを無視した俺が悪かったんだ」
今日はずっと一緒に過ごすって、そう言ってくれていたのに。まだまだ時間はある。
「……お風呂、借りていい?」
「は?」
「準備、するから」
「あ、ああ……、うん。……こっち」
場所はトイレの横だから案内なんてしなくても知ってるだろうけど。とりあえずタオルを渡して、洗面所から離れた。狭いけど、ちょっとした脱衣所がある。
一応、見えない場所……、と思ってベッドにまた腰を掛けた。しばらくして、水音が響いてきて、思わず視線を風呂場に向ける。この位置からだと扉も見えないけど。
「つーか……、どうすりゃいいんだよ。準備ってなんだ?」
あかりなりにいろいろ考えてはいるみたいだし、逃げる気もなさそうだということは分かったけど。
準備って、覚悟を決めるってことか……?
考えがまとまらないうちにシャワーの音が止まって、あかりが風呂から上がったのが分かった。
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