遙かの夏、リクエストの夏 | ナノ


▽ 夏色(龍馬×瞬)


瞬はいつも涼しそうにしている。
否、涼しげに見える、の方がより正確だろう。
江戸の、蒸し暑い夏真っ盛りだというのに本を繰る手は白く涼やかで、俯き加減の顔の、そう広くない額にも汗一つ掻いていない。
瞬の弟曰く作り物めいた美しさだからか、顔の造りそのものが冷たく見えるせいかもしれない。
内側は驚くほど情のある、熱い男ではあるのだけれど。

「なあ瞬、あっちの世界じゃどうやって暑さを凌いでたんだ?」

着流しの裾を思い切りたくし上げて胡坐を掻いて座る俺に、きちりと正座をして袷すら乱していない瞬がちらりと視線を寄越した。
こうして見れば本当に暑さなど感じていないかのようだ。

「あちらにはエアコンや扇風機があったからな。室内にいれば大体は暑さを感じずに済む」
「えあこん?」
「空調……温度を調整する機械がある。そこから涼しい風が出たり、温かい風が出たりするんだ」

では、さぞかしこの江戸の夏はつらかろう。
そんな便利なものは当然ここにはないし、お嬢の世界にあったような面白いものも、冷たくて甘くてしゅわしゅわした飲み物もない。
瞬をこちらに引き留めたのは俺で、瞬は瞬の意思で決断してくれたわけだが、それでもあちらに戻っていたらこんな苦労をかけなくても済んだのにと頭の片隅にちらりと過ぎる。
そんな考えが顔に出ていたのか、瞬は柳眉を寄せると視線を畳に落として軽く息を吐いた。

「龍馬。俺はこの生活に何ら不満はない。だから、お前が気に病む必要はない」

瞬は優しい。
その上こうと決めたら梃子でも考えを覆さない頑固なところもあって、その真っ直ぐな強さが弱さでもある。
危うさに惹かれ、手を伸ばした。
薄い玻璃のような瞬を放っておくことなど俺には出来なかったから。
否、ただそんな綺麗な瞬を、ただ頑是無い子供のように欲しいと思っただけかもしれない。
とはいえ人を好きになる理由とか、そんな御託はどうだっていいことだ。

大事なのは今ここに瞬がいて、俺がいて、二人で暮らしていること。
そして俺の隣にいる瞬は、あの頃の危なげな様子など微塵もなく。
静謐で、落ち着いていて、少しだけまあるい印象になっているということだ。

「……すまんな、気を遣わせちまった」
「気を遣っているのはお前だろう」

こんな言葉だって、あの頃の瞬だったら出てこなかったに違いない。
俺といて変わった瞬は、俺だけが知る瞬の姿だ。
それがたまらなく嬉しく、誇らしい。

「じゃあお互い様ってことにするか」

に、と笑うと、瞬は笑う代わりに菫の双眸を僅かに細めた。
相変わらず言葉は少ないし、表情だってそれほど豊かというわけではないが、それでも随分と穏やかな表情をするようになった瞬だ。
そんなほんわりと柔らかな視線に、ばくんと心臓が跳ねる。
無自覚なその目にそわそわと落ち着きをなくした俺は、何とかそれを誤魔化そうと勢いよく立ち上がった。
俺の突飛な行動に驚いている瞬もまた可愛くて、どっどっ、と凄い勢いで全身に血が巡っているようだった。
次いで、汗がぶわっと噴き出してくる。

瞬とはもうそれなりの付き合いになるが、未だに瞬に惚れっぱなしなのだ、俺は。
こんな無防備な顔をされては色々とたまらなくなるのは男として当然だ、と自分を正当化したくもなる。

「あー、その、何だ。急に暑くなってきたな!」
「…そうか?今日は曇っているからいつもよりは涼しいと思うが」
「いやいやいや、風がないから昨日より暑いはずだぜ。よし、こうなったら涼むに限る、ああそれがいい、涼を取ろう!えあこんっちゅうもんは用意出来んが、江戸にゃ江戸なりの涼み方があることだしな」
「おい、龍馬、」
「ちっと待っててくれや、瞬!今すぐ用意してくるからな!」
「龍馬っ」

何とか誤魔化すことに成功し、俺はばたばたと部屋を飛び出した。
真っ赤になった顔は隠せなかったが、一番ばれたくない部分は誤魔化せた、と思いたい。
瞬とそういう仲になって、何度もそういうことをしているというのに、些細なことでこうなってしまうのは情けない限りだ。

「だが瞬が可愛いのがいかん、俺の節操のないあれもいかんが……」

ぶつぶつと独り言を漏らしつつ目的のものを借り、庭先を使わせてくれと頼み込んで準備を整えた。
本当は氷を買ってきて甘い蜜を掛けて食わせてやりたかったけれど、氷は高級品だしおいそれとは手に入らない。
そもそも稼ぎらしい稼ぎなどあまりない俺だ。
変わり始めた日本を更によくするために走り回ってばかりで、職があるわけでもなく、根無し草のまま。
家だって未だに両国屋で世話になってるくらいで、情けないことにその日暮らしという有様。
金子を貯めて何とか瞬との所帯―――というか、一緒に住める小さい家を買いたいが、まだそこまで辿りつけていないというのが現実だった。

そんな俺についてきてくれる瞬を、身の丈にあった方法で大事に大事にしてやりたい。
背伸びをするほど若いわけでもないし、瞬は堅実な男だから無理をすれば逆効果だろう。

「瞬、用意出来たぜ。俺についてきてくれ」
「一体何をするつもりだ、まさか何か人に迷惑を掛けるようなことでも…」
「おいおい、そりゃあ俺に失礼だと思わんのか。迷惑なんざ掛けとらん!」

廊下を歩きながら軽口を叩き合う。
生温い床板を二人並んでぺたぺた踏んでいく、そんなささやかな日常。
目的の場所まで辿りつくと、俺は瞬に座るように促した。
リンドウの邸ほどではないがそれなりに整えられた庭には、夏の花が揺れている。

「着物の裾を捲って、あそこに足を入れてくれ」
「……これは、水、か?」
「ああ、井戸水だ。冷たくて気持ちがいいぜ。ほら、足漬けてみな」

今までこういうことをしたことがなかったのか、瞬はあまり乗り気ではなさそうにそろりと白い足を持ち上げてゆっくりと水の中に沈めた。

「……冷たい、な」
「だろう?」

水がゆらゆらと瞬の白い足を揺らめかせる。

「お前はいいのか?」
「俺は江戸の暑さにゃ慣れてるからな。これくらいどうってことはないぜ」
「さっきまではとてもそうは見えなかったがな」

小さく笑うと、瞬は足を動かして水を攪拌する。
動きに合わせて揺れる丸い頭のてっぺんを見下ろして、俺はその髪をゆっくりと梳いてやった。
指の合間からするすると抜けていく、細くて真っ直ぐな銀の糸。
瞬は珍しく俺の手を咎めずにただ水を掻き回している。
動作は小さくともちゃぷちゃぷと涼しげな音が立ち、水飛沫が白い足のあちこちを濡らした。
濡れないようにと捲り上げられた裾から覗く肌は目に毒だったが、思ったよりも気持ちよさそうにしている瞬を見ていると、すっと心が穏やかになっていく。

「龍馬、」

俺の手に、瞬の手が触れた。
ひんやりとした冷たい手のひらは俺の体温に馴染んですぐに熱くなってしまう。

「来年は、俺もこの暑さに慣れているはずだ。だから」

ジ、と蝉の声がした。
二人きりで過ごす初めての夏を知らせる音だ。

「来年は、お前も」

すっと手が離れていく。
見下ろす丸い頭の、髪の隙間から赤い耳が覗いていた。

「ああ、一緒にやろう。ちっさい庭と、でっかい盥を用意せにゃならんな」

二度目の夏はどんな夏になるのだろう。
首筋を流れ落ちる汗もそのままに、俺は雲の切れ間から顔を出し始めた太陽に手を翳して目を細めた。



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ひんやりしてそうな瞬兄+足水

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