彼の上に雨は降らない ※カケル、と呼んでいますが本編同様名前変換はありません。 「ちょっと」 それ、やるんじゃないだろうね 臨也の声が響いて、カケルがちらりと視線を向けた。 タオルで口元の拭いながら部屋のドアを閉める臨也を横目に見ながら、まさか、と笑みを浮かべて返す。カケルのその笑みに、臨也は呆れたようにため息を吐いた。 ベッドサイドで音もなく時を刻むデジタル時計は午前2時を回っている。 青色の錠剤をカケルが手の中でころりと転がした。MDMA。羽を広げた蝶の絵の描かれたそれは、少し前までは確かにカケルの手によって売りさばかれていたものだ。 歯を磨き、眠りにつくべく寝室に向かえば目の前にあるその光景。 薬物乱用はやめるんじゃなかったのか、とのど元まで出かけたその言葉を臨也はぐ、と飲み込んだ。 わかっている。 あれから一度もカケルはやっていない。 それに、こんなのは自分の意志でやめてもらわないといけないのだ。 だから、やめろ、なんて頭ごなしに言いはしない。 本当は言いたいのだ。そんなもの捨てて、断ち切ってしまえ。 だけど臨也にはできなかった。 「どうしてもっていうから1個だけ処分しないで取っておいたけどさ、それが形見替わりって…」 「えー、悪い?」 「悪くはないけど人間性を疑うよね」 「人間性…おにーさんには言われたくないセリフだわ」 「ちょっとそれどういう意味?」 MDMAを透明の袋に戻しながらカケルはごまかすように笑う。 人間性を疑うなんて、確かに全人類に向けて歪んだ愛情を豪語する臨也にだけは言われたくもない台詞だ。 だがそんな、人間性に些か問題のある臨也でも、カケルにMDMA錠剤を捨てろ、と強く言えないのには理由があった。 形見なのだ。カケルのもとにただ一つ残った、兄の形見。 脱獄、再逮捕、それからすぐに訪れた死。 何の遺留品も遺すことは許されなかった。すべてを押収されて、正真正銘空っぽになったカケルの兄の部屋。 臨也はその光景を見てはいないが、がらりと何もない部屋のもの悲しさは分からないでもなかった。 まるで、そこに誰かがいたという痕跡を消してしまうように、すべてが終わった後に足を運んだカケルは、いったいそこで何を思っただろう。もう何年も、触れることのできなかった自身の養父ともいうべき人物が居なくなって、何も残らなかった。 だから、 せめて形見に、とそれを今も手の中においているのだ。 だが臨也は思う。 もし、 カケルが唯一手元に残したその錠剤が、形見でなければそれを捨てろと言えただろうか。 答えは分からなかった。 言えたかもしれないし、言えなかったかもしれない。 幸いなことにあの日から今の今までカケルは禁断症状に襲われているような素振りはないようだが、もし依存しているのならば、薬物の乱用をやめさせたところでカケルが壊れてしまうのではないか。そう、思う。 カケルが、カケルでなくなってしまうのではないか。 滑稽に思う。 こんなことを考えている自分がひどく滑稽だと、臨也は頭を振った。 そんなことを恐れたって、今このとき、目の前にカケルは居る。カケルのままだ。 「しかしまあ、まさかあの亡霊の息子だったとはね」 「弟ね、息子じゃなくて」 「戸籍上は息子だろ。いや、もうどっちでもいいよ別に。でもさあ、彼が逮捕されたとき君はまだ10歳やそこらだろ?なんでまたバイヤーなんかになったの。亡霊にたぶらかされたとか?」 「あー…あれかな。兄貴のさ、力になりたかったんだよ。兄貴愛してる子だったから俺」 「うげ、何それ。ラブ?」 「いやいやいや家族愛ね」 力になりたかった。 どんな形であれ。ほんの数回だけ許された面会と、極秘裏につながったネットの向こうでしか会うことのできなかった養父でもあるあの兄の、力に。 幼いころから周りにあふれていたその犯罪行為は、カケルにとっては何の恐怖でもなかった。日常の一環、ありふれた光景。生活の中に溶け込んでいた薬物の売買はただの手伝い感覚でもあったのかもしれない。 「じゃあ家族愛のもとにバイヤーやらされたんだ」 「まさか。兄貴にやれ、なんて言われてねえし」 「じゃあ100%自分の意志?さぞ喜んだんじゃない?亡霊はさ」 「喜びはしなかったなー、まあ反対もしなかったけど」 バイヤーとして動く、と告げた日、兄は反対こそしなかったものの芳しい反応でもなかった。ただ、そうか、と短く返事をして、それだけ。 亡霊と呼ばれる彼の兄、黒木が何を思ってそういったのかはカケルには分からなかったが、ただ兄のために動けることが彼にとってはうれしかった。 「だろうね。俺だってそうすると思うよ」 「なにそれ、どういう意味?」 「もし、将来俺に子供ができるとするだろ?」 「……無理じゃね?」 「…例え話だから。で、その子供が情報屋を継ぎたいと言ったとする。そして俺はその子供を愛していたとする。なら俺はそう言われたことをうれしいとは思わない」 「意味わかんねえ」 たとえば、その子を愛しているからこそ。 「だからつまり、背中を追ってほしくないんだよ。お世辞にも胸を張って言える仕事じゃないし、なにより危険が伴う。やりたいというのなら断固反対はしないけれど、できるならば、そうだなあ…」 「できるなら、何だよ」 「自分の好きなように生きてほしい」 臨也が一心にカケルの瞳を見つめながらいう。 交差した赤と黒の瞳。絡み合って、そのまま、少しの時間が流れた。 自分の好きなように生きてほしい、 唐突に理解した。 カケルの中で兄と慕う黒木の表情が反駁して、やっと、分かった。 臨也が言った言葉と、あの時の黒木の表情が、つながったような気がしてカケルはすくりと立ち上がる。 「え、なに、どうしたのいきなり」 「ここ屋上入れたっけ?」 「入れるけど…って、ちょっと?」 立ち上がった勢いのまま、振り返りもせずカケルは歩みを進めた。 背後で困惑の声を上げる臨也はただわけもわからないまま、足早に部屋を出るその後ろ姿を追う。屋上に向かっているのだろう。コンクリートで固められた側壁に、冷たい空気が跳ね返って肌寒い。 屋上へつながる扉をあけ放つと、夜の空気と、一面に広がる夜景の光の海が飛び込んできた。 風が頬を撫ぜて、そのまま逃げていく。その風の音に混じって、わずかなビニールの音が臨也の耳に届いた。 「ちょっと!」 もしかして、あの手元にある一粒を、 そう思って声を掛けるも、止めようとすることに意味があるのかと思えばその続きを言えなかった。何も言わずにただ夜を見つめながら、ビニールを手元でいじるカケル。 なにこれ、これが禁断症状? 分からなかったが、わずかに照らす月明かりのもと、臨也はカケルの顔を覗き込んだ。 少し下にある頭。 視線を合わせるようにして見れば、瞳が交差することはなかったが、ゆっくりとカケルが口を開いた。 「やっとわかった」 「は?」 「兄貴はさ、たぶん俺に、好きなように生きてほしかったんだろうなーって」 「……」 「だから、」 がさり、 ビニールの小さな袋の、チャックが外される音がする。 臨也がカケルの手元に視線を移せば、砕かれてほぼ粉末になった青のそれがさらさらと手中に落ちていた。 「じゃあな、兄貴」 「え、ちょっ…、」 屋上の柵の向こうに腕を伸ばし、手のひらを返せば青い粉末はそのままこぼれた。 風に煽られて、光の海の中に緩やかに広がる。 夜の闇に隠れて見えなかったが、きっと、それらは風に乗って飛んだだろう。 カケルは見えもしない破片を解放するように腕を広げた。 「ありがとう、義父さん」 風がまた通り過ぎていく。 光の海は変わらず輝いていた。 「よし、終わり!ってことでおにーさん、これからよろしく!」 「よろしく、って…形見じゃなかったの」 「まあ、人間性を疑われるのはいやだし?」 「けど、カケルさあ…」 「あとカケルもなし。本名で」 カケルの言葉に臨也は思わず呆ける。 今まで、惰性のままカケル、と呼んでいた。 だがそれを本名で呼べ、というのだ。 いまさらだとも思うし、改めてそういわれるとなぜだか気恥ずかしい。 「じゃあ君もおにーさん、っていうのやめなよ」 「折原サン」 「一生カケルね」 「あはは、冗談!だから本名で呼んでよ、臨也さん」 臨也さん、 呼ばれた名前に思わず目を見開けば小さく笑みを浮かべた姿が目に入る。 カケル、カケル。 今までそう呼んできたが、彼の本名は違うのだ。 今まで1度も呼ぶことのできなかった名前。彼自身の、本当の。 「っ、」 妙な居心地の悪さから、視線をそらしてその名を呼べば、風が強く吹いた。 ひゅう、と掛けたその音に呼んだ名が届いただろうかと、視線を戻せば目の前で嬉しそうに、そして少し寂しそうな満面の笑みがあった。 何、臨也さん、 笑みを浮かべたまま悪戯をする子供の如く楽しそうにそう言う彼に、呼べって言ったから呼んだんだろ、とそっけなく返す。 だけど自分でも顔が綻ぶのが分かっていた。 だから袖で顔を隠すようにするも、きっと目の前の笑みを浮かべたこいつは、わざと言っているんだろう。反応を楽しむために。本当にもう、子供だ。くそがき。 「よろしくー、臨也さん」 そう言って、二人で、また笑った。 彼の上に雨は降らない さおり様、リクエストありがとうございました。 カケルと臨也が一緒に暮らしてる、な話のつもりでしたがなんか思った以上に重い内容に…すみませんorz 名前呼びって同棲するにおいて結構重要な第一歩だと思うんです。思うんです…! 本編では折原さんやらおにーさんやら呼んでいたカケルですが、やっと臨也さんと呼ばせることができて、楽しく書けました^^* 本当にリクエストありがとうございます。そしてXXXXを好いてくださってとてもうれしいです。 では短いですがコメント返信とさせていただきます。これからもどうかよろしくお願いいたします。 [*前] | [次#] |