faster,花は盛り月は朧な春宵


もう、桜も散り出した頃なのに肌寒くて風の強い日だった。


4月の初頭から中旬までは、春哉にとって気分が沈む日が多い。
それは数年前にこの世を去ってしまった春哉の憧れた人が関係していて、未だにそれに縛られている。


今日だってそうだ。


部屋に閉じ込まったまま出てこない。たまにトイレに出てきたかと思えば声を掛けても何の反応もなく魂が抜けたような動きで用を済ませてまた部屋に戻る。

最近、ずっとその調子だ。

飲まず食わず。俺が仕事に煮詰まってそんな食生活してるとすぐに起こるくせに。俺には怒るような時間すらくれない。

きっと今、春哉の頭の中に俺の存在は無い。全てが遮断されて、ただバイクの事とあの人のことだけが占めているに違いない。冗談だとか、考えすぎだとかそんなレベルじゃなくて。

人は、そんな時、誰かを求めるのだと思っていた。必ずしも誰もが、誰かを求め、愛されたいと願い、温もりを探す。そうして自身の存在を認めてくれる他者にすがって安堵するものだと。事実、今で見てきた様々な人達はそうであった。
解りやすく言うならば、ドラマなどフィクション作品でも良く有る‘危機にさらされた時’。必ずしも登場人物は誰か助けて、とお決まりの台詞を吐く。
身体的と精神的との違いはあるけれど、根もとは同じ。

俺だってそうだ。残念ながらね。


だけど春哉は違う。




ガタガタと窓ガラスが揺れる音がやけに大きく聞こえる。視線をパソコンのディスプレイから背後の窓に移すと、闇の中に浮かび上がる光が見えた。

だが光が滲んでいる。
じわりと薄く広がって見えるそれに違和感を覚えて目を凝らしてみると、なるほど。雨が降っているらしい。


そしてその雨は次第に強く、窓ガラスを打ち付け始めた。


ああ、これはやばいかも。
雨は気分を暗くさせる。ざあざあと雨の音がそうさせるのかはわからないが、不安を煽るその音はあまり頂けない。それに加え風も吹いている。最悪だ。



春哉は、人を求めない。
たった独りで、どん底まで落ちていく。



だから俺は、こんな時、春哉に声をかける事が出来ない。求められて居ないと知ってしまったから。

だけどそれが春哉のエゴだと言うなら、ここからは俺のエゴだ。

こんな最悪な天気の中で最悪な気分の春哉を独りにさせておくなんて出来ないんだよ。

がたりと椅子が揺れる。
俺は春哉の部屋へと向かった。



静かな廊下を進み、ドアの前で立ち止まる。何故か緊張した。拒絶されるだろうか。



「春哉?入るよ?」



ドアノブに手を掛けると、がちゃりと音を発ててそこが開く。鍵は閉めてなかったらしい。春哉、閉じ込もってないでそろそろ出てきなよ。サラダでも食べなよ。



「春哉、いつまでそうしてるつも、…え?」



捲られた布団。
暗い室内。

居ない。
春哉が居ない。


春哉が、居ない。














変わらず雨は降り続いている。
むしろ酷くなったかもしれない。あれから3時間近く。時刻はもう日付が変わってしまっていた。


何度、この家を出て探しに行こうと思ったか。


だけど出来なかった。もし春哉が帰った時に、誰も居なかったら。もし春哉が、俺を求めてくれていたら。


それに、バイクで出ている。いつも停めてある駐輪スペースに、その愛車は無かった。バイクの相手を、俺がどうやって止められる。


運び屋はこんな時に限って電話に出ない。新羅も同じだった。本当、こんな時に限って。


春哉が居ない事に気付いてすぐにコールした当人の携帯は、ベッドのサイドボードで着信を告げていた。


不安と焦燥感で一杯になる。何だってこんな雨の日に。春哉がバイクに乗り出した頃に良く感じた、転倒するかもしれない、という不安が再び押し寄せる。


なにも出来ない無力な自分が憎い。せめて頼ってくれれば良いのに今の春哉にはどうやったって俺の声は届かない。


そんな時だった。


甲高い音が雨の中で僅かに聞こえて、すぐ近くで止まった。
もしかして。


違うかもしれない。
だけど、体が勝手に動き出した。部屋を出て、エレベーターに乗り込む。

早く、早く。


浮遊感の後に開いたドアから駆け出して、駐輪スペースに向かう。

コンクリートの地面に残るまだ新しい水の跡は確かに二輪のタイヤだった。

駐輪スペースとは言っても、作りはしっかりしているし、セキュリティ圏内だからいたずらも無い。そもそもいたずらをするような子供が居る家庭が住める物件じゃない。

その十分な広さのある駐輪スペースに向かい、タイヤの跡を追うようにして視線を滑らせた。



「っ、春哉!」



愛車の脇に立って、ヘルメットを外している春哉が、そこに居た。
相変わらず、薄着でびしょ濡れで。


だけど俺は構わず走り寄り、春哉に抱きつく。よろけた体は、それでもその存在が確かにあるのだと俺に教えてくれた。


「…臨也、濡れる」

「っこんな雨風の中、馬鹿じゃないの!?転んだらどうするんだよ!」



後ろから、腰に抱きついたまま出任せに叫んだ。心配した。不安だった。悲しかった。帰ってきてくれて良かった。全ての感情が止めどなく溢れそうだった。



「俺に頼ってくれれば良いのに…!何で、いっつもいっつも、春哉は!そうやって!」



俺の声だけが反響していた。真夜中で誰も居ないから良かったけれど、こんな醜態誰かに見られたら最悪だ。
濡れた春哉の体は冷えていて、びしょ濡れの衣服から滴る水分で俺が着ている服も濡れかけていた。

腰に回していた手が無理矢理ほどかれて、冷たい体が離れる。ああ、やっぱりまた拒絶されるんだ。



「春哉ッ、」

「ごめん」

「、え?」



すぐに抱きしめられたのだと分かった。春哉の長い髪から落ちた水滴が俺の頬に降ってきたから。



「もう、大丈夫だから。今まで、ごめん」

「ちょ…っと、何それ…どう、言うっ」



そんな言葉をかけられるなんて思って居なかった。むしろ、何も言わないんじゃないかと、拒絶されるんじゃないかと、思っていたから。



「やっと、気付いた。ほんとに、やっと。いきなり、気付いて、そしたら今まで何やってたんだよ俺、って。お前が、ずっと居たのに、」



ぽつりぽつりと、零れるようにしてゆっくり告げられている言葉が静かに俺の胸に落ちた。


ぽつりぽつり
同じリズムで、髪の先から滴る水が俺の頬を伝う。



「お前が、居るのに、ずっと一人でうじうじして、心配ばっかかけて、」



春哉の腕に込められた力が強くなって、ぐ、と抱きしめられる。びしょ濡れの服は相変わらず気持ちが悪かったし、身体から体温なんてちっとも伝わってこない。


だけど、
何故だかとても温かかった。



「ごめん、待っててくれて、ありがとう…」

「春哉、っ」



誰も居ない、深夜の駐輪スペースで強く強く抱き合った。ごめん。俺こそごめん。拒絶されるのが怖くて春哉に歩みよれなかった。そしてありがとう。帰ってきてくれて。俺を、求めてくれて。


どっちからともつかず、キスをした。ゆっくりと、体温をわけあうように。




「部屋に戻ろうよ。風邪、ひいちゃう」

「…だな」

「…一緒に入る?」

「だな」

「えっ」





花は盛り月は朧な春宵




リクエスト有り難うございました。
匿名さま、臨也兄で切甘な話、でした!
切…甘?甘?あ、あま…
甘くなくて申し訳無いです。きっとこのあと風呂でイチャイチャするのでしょう!
頂いたコメント、本当に励みになりました。毎日通って下さっているなんて恐れ多い…!
こんな話で良かったのでしょうかいいえ良くない(自問自答返し)
それでは、失礼致します。
本当に有り難うございました。



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