あてのない旅の途中、古き良き時代の背景を残した町に着いた。今はあまり見ることのない平屋の一戸建てが古都を思わせる。外装が少し剥がれ落ちているのもまた、味わい深いものにしていた。ひときわ大きな屋敷の前で一人の若い娘が番傘を売っていてそれもこの古い景色に溶け込んでいた。本物の番傘を今まで目にしたことが無かったので、私はその娘に近づいていった。娘はいらっしゃい。と一言声をかけただけで、どれを私にすすめるわけでもなく、袴姿で片膝を立てプカプカと煙管を吹かしていた。旅の記念と持ち合わせの傘がずいぶんくたびれていたので、一本いただくことにした。いくらだい?と尋ねると「一本二千円、二本なら千円。」とニヤリと笑って私を見上げた。
「どうして二本の方が安いんだい?」
私が不思議がって聞くと
「この町を散策するんやったら必ず二本必要になる。バラバラに後で買うより安いやろ。」
少し手荷物は多くなるが、私は娘の言うとおり二本買うことにした。おおきに。と娘は代金を受け取ると反対側の膝を立て直して
「この町に来たかりゃな、堂々寺の桜がこん時期オススメや、今頃は青くなってそりゃあ見事なもんやで」
そう言い残すと店じまいをしてどこかへ去っていってしまった。桜?今は初夏を迎えしばらく経ち汗ばむような季節である。そもそも桜は白か桃色が妥当だ。青い桜など有りうるのだろうか?これまでの旅でもいくつか驚かされることはあったが、これは見るべき価値がありそうだぞと、堂々寺なる寺へ足を運ぶことにした。寺への道順は街の看板に従い歩くと何の苦もなくたどり着けた。寺に人気はなくひっそりとしており、早速、どこに桜があるものかと散策する。轟轟という水音に何か惹かれるものがあって、そちらへ向かうと小さいながらも滝が流れていてその脇には娘の言っていた青い桜が見えるではないか。心躍らせて、近づくと真っ青な桜が目の前に広がる。もうフィルムがわずかしか残っていないポラロイドカメラにそれを撮る。今日の昼食はこの桜の下でいただくとしよう。桜の下でおにぎりにかぶりついていると、花弁らしきモノが、ぼとり、と落ちた。はて桜の花弁はこんなにも重い音を立てて落ちるものだっただろうかと、地面の花弁を掴もうとして絶句する。それは真っ青な毛虫がもぞもぞと蠢いていたのである。ぼとり、またぼとりと落ち始めたため、慌てて番傘を広げる背中にも毛虫が入ったらしく、むず痒く痛い。急いで服をばさばさとはたき毛虫を払い終えると、その桜からさっさと逃げ出した。桜からずいぶん離れた所で番傘を見ると潰れた毛虫やら体液やら糞やらが付着していてとてもそれ以上持つ気にはなれなかった。寺の坊主を見つけて処分してくれないかと頼むと、快く引き受けてくれた。帰り際に、番傘売りの娘さんに一杯食わされてしもうたね。と声をかけられ苦笑してその場を去った。さて、残りは一本になったが、これ以上はおかしなこともあるまい、あの娘も予備用に一本安くしてくれたのだろうと、堂々寺を後にし、町へ降りる空には厚い雲がいつの間にかかかり今にも雨が降り出しそうだ。町の人々も慌てて洗濯物や外に干していた桶等をしまい始めたので、私も少し早めに番傘を広げることにした。早速、ポツリ、ポツリ、と降り始めた雨が番傘に当たった瞬間、ジュウウっと何かが溶け出すような音がして番傘から上を見上げると所々に焦げた跡があり、そこから透けて黒い雲が見えるではないか。何だこれは。素肌に当たったらそれこそ化け物の様になってしまう。見れば周りの屋敷の外装は古ぼけて落ちたのではなくこの雨の所為なのたと理解した。気を利かせてくれた老婆が家に入るようにと促してくれたので、その心遣いに感謝して中へ入る。
「酷いもんやろ、この町は、桜は気色悪い毛虫にやられるは、厄介な雨は降るわで。あの毛虫はこの雨でもくたばらんのや、おかしなもんやで。」
「この雨は酸性雨ですね、どうしてこんなに強いものが・・・・」
「西の街からの公害や、自分の街じゃ降らんことをええことに毒の煙を撒き散らしよって・・・・。」
雨が上がった頃、老婆に礼を言うついでに
「桜は外から見る分には大変綺麗でした。この町の雨でやられてしまった部分も古都の様で素晴らしいと思います。」
と、告げると嬉しそうに口元を綻ばせ背中越しに、おおきに。と声をかけられた。
町の出口でまた番傘売りの娘と出会った。煙管を相変わらずふかしながら、一層にやついた顔で、「一本五千円、二本で三千円。」苦笑して五千円を手渡して番傘をもらい去ろうとすると、おおきに!っと上機嫌な声が後ろから聞こえた。商売上手なもんだね。全く。
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