観測者がいなければ月は存在しない。これを提唱したのは誰であったか。誰であったとしても今の私には然したる問題では無い。問題は今、私の存在を証明する者が誰もいないか否かということだ。部屋に閉じ籠り窓からの光は分厚い黒のカーテンで遮断する。今、私を観測するものは誰もいない。私はこの世界に存在しない。と我、思う。この場合、デカルトからしてみれば、私は存在することになるのか。では月に意識が有ったとするなら、観測者がいなくとも月は存在するわけだ。いやはや量子力学と哲学を混合して考えるのはいささか障りがある。さて、今、何時だろうか?私が試験的に存在を消している間にもしかしたら、数年たっていたなどという、センスのある結果がでてやしないだろうか。ふと、手元で発光と振動を繰り返す物体がある。折り畳み式のそれを開けば、そこには私の観測者がいた。遅れてごめん、お誕生日おめでとう。観測者の第一声であった。カーテンを勢いよく開けたので眩しくて目が熱くなった。時計をみれば、実験からまだ15分しか経過していなかった。
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