海辺の防砂林の松をながめて散歩をするのが私の日課である。
長らく勤めていた工場を退職し、時間に余裕が生まれた昼間。テレビジョンの番組を見るのも楽しくはあるのだが、受動的すぎる行動はどうにも性分に合わない。六十年近く働き続けていたので無理はないか、と言い聞かせて右手に持った杖で砂浜をつつく。
松を見て思うのはいつもあの夏である。
私がまだ若く、十代の頃だ。
ジリジリと日光に焼かれながら皆で松の根を掘っていたあの頃だ。当時の我が国は敗戦を目前に控えていた。だが、悪あがきともいえる最後の力で松の根から戦闘機を動かす燃料を摂り、一人、一人と兵士たちを空へ散らせていたのである。私たちも必死であった。なにせ、東京大空襲の後、相模湾から米軍が侵略してくるという情報が入り、住んでいる地域の安全が危ぶまれていたからだ。現在、当時も神奈川県に家と職を置いていた私にとってそれがどれだけの驚異であったかご察しいただけるだろうか。
一度は出身地である群馬県に帰省はしたが「日本男児たるものがなんという情けないことを」と締め出されてしまった。今思えばそう言葉を投げつけることしかできなかったのだろう。
八月。
日本は敗北した。相模湾侵入はないままに。
負けたのに救われた。
負けたから救われた。
複雑でもなんでもない。ただただ安堵したことを今でも感じている。
砂浜独特の感触を踏みしめながら今日も歩く。
腰は曲がり、手も上手く上がらなくなってしまった老体ではあるが私は歩く。
遠くから家内の呼ぶ声が聞こえた。おう。と返事をしてからもう一度だけ海へ振り返る。静かな波音がザアザアと聞こえた。
あの頃は聞こえなかった音が、聞こえる。
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