【牧場問答】





いやはや今日は不思議な患者さんばかりですな。もっともこの深海に落とされてからはヒトも元々存在していた生物もまとめて面倒を見ているので差異がはっきりしてしまうのでしょう。今朝、最初にいらしたのはシロヤギ・・のようなものでしたよ。角の代わりにクロワッサンがついていて非常に空腹には堪えました。プンプン、バターのいい香りがこっちに漂ってくるものだから。シロヤギともう命名しておきますか。どうせこの世界に地球上のヤギはいないのだから差支えはないでしょうよ。私達、石十字はヒト、及びあまたの生物の治療を生業とする組織です。診療に金銭は要求せず、見合った食料や生活用品をいただく。お金なんて今に至って何の意味も成さないですからねぇ。あぁ、そうそうシロヤギの話でしたね。「今日はどうされましたか?」と訪ねたら「クロヤギさんがお手紙を読んでしまったのです」なんて悲痛そうな声で答えました。それがどうしていけないのか、私はクロヤギ氏とは別のモノから送られてきた手紙をクロヤギ氏が読んでしまい、恐らく、その内容は彼(彼女?)にとって不都合なものだったのだろうと解釈したわけです。でもそれは違っていた。もっと複雑だったんですよ。いえ、我々、ヒトから見ては簡単なのかもしれませんがねぇ。

「まさかクロヤギさんがお手紙を読んでしまうとは、これは深刻なことです。ぼくの意思は何も伝わっていなかったんですよ。ああ、嫌だ寒気が止まらない。少し暖房を効かせてはもらえませんかね?散髪に行ったばかりでして堪えるのですよ」

シロヤギの要求通りにストーブの火力を若干強めると。ルェェェェェっと嬉しそうに鳴いた。前足と後ろ足を折り床に座ろうとしていたので私は「何かクッションでも敷きますか?」と聞いたがシロヤギは丁重にそれを断って話を再開した。

「用事はお手紙にして送ります、と私は予めクロヤギさんにお教えしました。ですがその言葉の意味のすれ違いがありまして。私は『お手紙を送ること』が用事そのものだったのですがクロヤギさんは『お手紙の内容』が用事だったと判断されたようでして・・頭がカッカしますね。窓を開けてもらって宜しいでしょうかね?角を今朝こんがりと焼いたものですからまだ粗熱が取れていなくて」

だったら、ストーブを消した方が早いでしょうと私が申し出ると、シロヤギは頑としてそれを拒否した。何故かは理解できなかったが、話が進まないのでその通りにしてやった。

「シロヤギさん。どうしてクロヤギさんに問題が?」

「我々はそのような定義で動いております故、クロヤギさんはそれを犯してしまってのですよ」

「ほうほう。法律的なものでしょうか?意味を解さないと罰せられるような?」

「ええ、ええ。その解釈で構いません。定義を犯してしまったクロヤギさんは角を剥奪されました。それはもう見事な角だったのですよ。固く太長い。みんなして羨ましがったものです。たしか賞も何度か貰ってらっしゃったと思いますねぇ。それでもってクロヤギさんは大層落ち込んでおりまして。私が代わりに精神安定剤をいただこうか、と思ってやってきたのです」

「ほうほう。クロヤギさんが『病院に行って薬を貰ってくれ』と?」

「はいはい。その通りでございます。『病院で薬を貰ってくれ』そうおっしゃっておりました」

私はその話を聞いて即効性のあるメジャー精神薬、レキソタンを処方した。シロヤギは私に礼をのべると水が欲しいと要求してきた。構いはしないので椀に注いでくれてやると、今、私が渡したレキソタンを全て飲み干して、げふり、大きなげっぷをする。唖然とした私は聞いた「なぜ、あなたが飲むのですか」それにシロヤギは答えた。

「私たちの定義ですからねぇ。クロヤギさんの言いつけは私に『病院で薬を貰ってくれ』ですから」

ほうほう。なんとまぁ、無意味なコミュニケーションもあったものだ。私はそう思いましたよ。ですがシロヤギの素敵なクロワッサンは無事なわけだ問題はありませんとも。シロヤギは毛糸で作ったというブランケットを診察代として渡してきまして。これが非常に肌触りがよく愛用していますよ。

立ち去る前に私は飲み干されたレキソタンのパッケージを見つめました。一週間分飲んだところで少しふらつく程度でしょう

さてと、今日は昼食をクロワッサンにでもしますかね。きっと出回っているでしょうから。味が落ちていなければいいですなぁ。


【石十字精神科医院長/2月のカルテ】


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