馬肥ゆる秋。そんな言葉もあったな、と出勤間際に通り沿いの紅葉を見ながら思った。まだ緑色の残るそれは未完成の絵画のように何故か惹かれるものがある。見とれていると、ビル街の風に煽られた紅葉が抵抗に適わず、ひらりと舞い落ちてきた。なんとなしに拾い上げ、栞にでもしてやろうかと企てていた矢先に、カツカツっと蹄の音が前方から聞こえてくる。それも複数の。こんな時代に馬?私は顔を上げた。そこに居たのは確かに馬の群。それでも珍妙な光景だというのに、それに輪をかけているのが、全ての馬に頭部が欠損しているのである。デュラハンの伝説が思考をよぎるが、あれは乗馬している騎士の頭部がないものであり、ここにいるものとは訳が違う。混乱する私を後目に、馬の群は静かに去っていった。その場にいた女性が、「ああ、もうこんな季節なのね」といって紅葉の木を揺さぶる。ごとんごとんという音と共にやけに太い馬の頭部がわらわらと落ちてきた。通行人がそれに気付いて、寄ってくる。皆、口々に「風流」だの「趣」だのと言って馬の頭部を眺め、ある者はそれを抱き抱え、ある者はそのままその場を後にしていく。不意に、手が重くなったように感じ、手元を覗くと、周りに転がる馬の頭部と同物が私の手にあるではないか。しかし、これは、栞に出来そうにないと、それを道路に放り投げる。不満そうな馬の嘶きは、突っ込んできた車に跳ねられた音に紛れてしまった。おっと、こうしては居られない。出勤途中だったのだ。私もまた、人の群の中へ混じる。ふと、疑問に思う。今、馬達には私達の頭部は見えているのだろうか?私には自分の頭さえ見えていないというのに。
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