豚の乳を吸う赤子を見て、果たして何人が、その赤子を哀れに思うだろう。私の答えとしてはNOだ。母乳が飲めない場合には粉ミルクを使うし、まぁ、豚の母乳を飲むということは免疫作用こそ付きはしないが、粉ミルクを飲ませることと、さして変わりはない。人々が哀れに思うとすれば、乳の供給者が豚であることではないだろうか。人間というものは時として、大きな矛盾の精神を持つ生き物だ。豚という言葉に悪意のあるイメージを持ちすぎて、本来持ち合わせている事実を見ようとしない。あまり知られてはいないだろうが、豚はとても綺麗好きである。不潔な場所で育てると、ストレスでお互いの尾を喰いちぎる事さえある。豚の肉は生でこそ食べれはしないが、加工処理を行えば、皆こぞって、それを頬張るではないか。だから母体となる豚を清潔に洗い流し、その上で赤子に乳を与えることは、先程述べたことと大差ないことなのである。だが、私がそれを主張したところで、人々は赤子を哀れむことを止めないだろう。そういった矛盾が私は大嫌いだ。では、もっと人間に近い動物、例えば猿であったらどうだ。この場合においても人々は赤子を哀れむだろう。99%近くの同じ遺伝子を持った動物にさえ、人間たちは、自分たちとは壁を隔て自分たちを、唯一無二のものにする。また、腹立たしいのが、母親を亡くした子猫が犬の乳を吸う映像を観て、人々は感動と愛らしさを覚えるのだ。全くもって見当違いも甚だしい。種も違う生物同士が乳を与えられ、供給する様は、自分たち以外の動物であれば、愛らしいと思うのだ。だから私は人間が嫌いだ。さて今日はどの仲間がソーセージやら、ハムになるのだろうか。私だとしても、それは構わないが、人間の赤子に乳を与えるのだけは、勘弁してもらいたい。同族から哀れみの目で見られるからだ。
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