晩夏


夏季休暇、私はバイト三昧の日々を送っていた。お金はあるに越したことはない。今のうちに稼ぎを貯めておこうというわけだ。
ようやく接客というものにも慣れてきて、最近は客と話をするのも苦ではない。
カランカランとドアベルが音を立てたので、品出しする手を止めてそちらを見やる。
お洒落なおばあさまと生意気な孫という感じの二人組だと思ってから、二度見してしまった。
相手とバチリと視線が重なって、私は息を飲む。いらっしゃいませすら出てきそうにない。
ウールーみたいな頭のそいつは、私を見るなり百八十度回転して店を出ようとした。だが、おばあさまがそれを許さなかった。
「逃げるんじゃないよ」
その一言とともに腕を掴まれたビートは観念したのかゆっくりと店の中へ入ってきた。
「あ、あの、いらっしゃいませ」
ようやく喉から声が出る。
おばあさま、もといジムリーダーのポプラさんは、まっすぐ私の方に歩いてきた。ビートを引きずって。
「ビート、引っ張るんじゃないよ」
「ポプラさん、悪いことは言わないのであっちにしましょう」
「何言ってんだい。どこでも一緒だよ。そこのお嬢さん!」
呼ばれて「ハイ!」と背筋が伸びる。声に有無を言わさぬ響きがある。
「二、三着見繕っておくれ」
居心地悪そうにビートがポプラさんの後ろに立っている。
私とビートの間に流れた不思議な空気を察したのだろう。
「なんだい、あんたたち」
そう、ポプラさんが私とビートに訊いてくる。
すうっとビートが目をそらしたので、代わりに私が答えることにする。
「えっと、何と言えばいいか、幼なじみのようなものです。元気にしてるみたいで良かった」
何か信じられないものを見たかのような顔でビートが私のことを見る。
「もしかしてあの手紙の娘かい?ビート、さては返事を出さなかったね?」
ジロリとポプラさんに睨まれて、ビートはようやく声を出す覚悟を決めたらしい。
「彼女には彼女のやることがあるんです。僕のことに構ってる場合じゃないはずなんですよ。第一僕のことなんかどうだって良いじゃないですか。同じところに三年ばかり一緒に居ただけなんです。大して話したこともないでしょう?」
まぁ口を開けば憎まれ口がスラスラと。こんなことばっかり言うからビートはビートなんだ。
「それはそうかもだけど。それで、どんなお洋服がお好みですか?」
これ以上話し込むとビートの機嫌が悪くなりそうなので、話をもとに戻す。
「そりゃお前さん。ピンクだよ」
ニヤリとポプラさんが笑う。
ビートはといえば「なんでもいいですよ、着るものなんて拘り無いです」などと言う。
私はお店の在庫を頭の中でザッと流してみた。
こういうときに、私の記憶力はちょっと便利だ。頭の中で、ビートに次々服を着せ替えてみる。
全身まっピンクにするわけにもいかないし、メインはピンクで、白とか彼はとても似合うからそれをあわせて、挿し色に爽やかなブルーもいいかも。
ブルーベルの花畑で楽しそうにしていたビートの姿を思い出す。あれはとてもフォトジェニックだった。
私が持ってきた服と共にビートを試着室に押し込む。ビートが着替えている間にさらに二着ほどポプラさんがピンクの服を持ってきた。
「生意気言う割に、ビートは遠慮するからね。びっくりするほど荷物が少ないもんだから、服ぐらい持てって言って連れてきたのさ」
ジムリーダーのポプラといえばガラルでは偏屈な人として有名だ。確かに少し変わった人だけれど、この人はビートのこと大事に思っているのだと少し話しただけの私にもわかった。
試着室のドアが開く。
白のスキニーにピンクとブルーのスタジャン。それから今度は、白いシャツとピンクのジーンズ。ピンクのジーンズやスタジャンは派手だと思ってたけど、どれも綺麗に着こなしている。
ビート本人はずっと不服だというような顔をしていたけれど。
「昔からビートは綺麗だったけど。ほんと、おもしろいくらいピンクが似合いますね」
「だろう?私の見立てに狂いはないのさ。それで、お嬢さん今日は夜までかい?」
急に予定を聞かれて驚きながら「夕方までなので、もう少ししたら終わりです」と返す。
「そうかい。今日はありがとうね」と言うと、ポプラさんは気に入った組み合わせを数着買って、ビートが元の服に着替える前にさっさと帰ってしまった。
試着室から飛び出てきたビートが、スマホロトム片手に「あのばーさん!」と悪態をついていたから、メールか何かで先に帰ると言われたのだろう。
さて自分の仕事に戻ろう、とする私をジッとビートが見つめてくるので、しょうがなく振り返る。
ビートは何か言いたげな視線を十秒ほど私に浴びせたあと、はぁぁと大きくため息をつく。
「今日このあと予定がないなら、少しだけ時間をください」

私が仕事を終えて店を出るのに合わせて、ビートは私を迎えにきた。二人無言のまま一緒に歩いて、手近な喫茶店に入る。
紅茶が二つ私たちの目の前に置かれるまで、私は何を話すべきかはかりかねていた。
さっきはあんなに饒舌に憎まれ口を叩いていたビートもずっと黙ったまんまだ。
紅茶に口をつけて、ようやくビートは話しだした。
「あ、あのときはどうも」
どうやら迎えに行った時の話らしい。
というか、それよりも、今もしかしてお礼言ったのか。
つい、私はビートの顔をまじまじと見つめてしまう。
「なんですか、そんなに変ですか?」
喧嘩腰になられて慌てて首を横に振る。
「いや、その、なんというか、私もあの日はなんか勝手にヒートアップしちゃって申し訳なかったっていうか」
「ああ、それはもういいです」
「そう」
途切れかけた会話を繋ぐために、「あの、さ」と声をあげる。
「女の子に会ったよ、あの日。面白い子だね」
ユウリさん、とビートが呟く。彼の眉間にみるみるシワが寄っていく。
「気に入らないんです、あの人。この世の幸福と祝福を一身に受けたみたいな人でしょう。人の心を勝手にぐちゃぐちゃにかき混ぜて、そのくせ本人はそんなことも知らずのほほんとしてて。
それに、あの人強いですよ。腹立つくらいにはね。センスがあるんです。でも、僕だってその点では負けてないはずなんですよ。だから、ユウリさんには負けたくない」
言葉が紡がれていく。ビートの真っ直ぐの本音。
ビートの言わんとしていることが、私にもすぅっと理解できた。
「私もね、羨ましいと思ったんだ。あの子のこと。勇気があって、明るくて、多分みんな彼女のことを好きになる。きっと優しい人に囲まれて育ったんだなって。
それで、彼女を見てて私気がついた。私はずっと、一人でちゃんと生きていけるって思ってたけど、本当はそうじゃなかったんだって。
一人は寂しいね。忙しくしてなるべく考えないようにしていても、時々、寂しさが隙間にやってくる」
はぁ、とため息が聞こえた。ビートに目線を合わせると彼は今度は、はぁぁぁと更に大きなため息を、これ見よがしに。
「何当たり前のことを言ってるんです。一人で生きてける人間なんかどこにもいませんよ」
ビートの目が、真っ直ぐ私を射抜いている。
「と、友達いないのはビートも一緒でしょ」
私の精一杯の強がりを顔を顰めるだけでスルーして、彼は机の上にモンスターボールを置いた。
「僕に友達がいないのは、僕の性格が悪いからです。でも、僕にはずっと隣に彼女がいた」
ボールの中で、ブリムオンが私に微笑みかけてくる。突然知らない人間の前に置かれて笑顔を人に見せられるのは、トレーナーとの間に信頼関係があるからだ。ブリムオンとビートの間には絆が確かに存在している。
「あんたが一人なのは、誰にも、何に対しても心を開かないからだよ。
六年前、スケッチブックを取り上げられたあのときだって、今みたいに言えばよかったんだ。助けてって、僕に、最初から言えばよかった。別にあんたの為に喧嘩ふっかけたって僕は良かったんですよ。
僕は、あのとき、あの花畑が取られたことが嫌だったんじゃないんです。あなたが自分の中に閉じこもって震えてるだけで、何にも見ていないのが何より許せなかったんです」
「そう、だったんだ」
ビートはもう一度はぁぁとため息をついた。
どうやら、切り出しにくいことを言うときの彼の癖なのらしい。
「こんな話をしにきたわけじゃない」
カバンの中から一枚の封筒と小さな石を取り出して私の前に突き出してくる。
「え、なに、手紙の返事?今頃?」
そう困惑する私に「馬鹿なんですか?そんなわけないでしょう今更。いいから開けてください」と言い、ビートは私から視線を逸らす。
封筒の中身を見て、私は飛び上がりそうになった。
二週間後に迫ったファイナルトーナメントの観戦チケットだ。
ジムチャレンジを勝ち上がったチャレンジャーとジムリーダーによるトーナメント。ここで勝ち上がったものはチャンピオンとタイトルをかけた一騎討ちになる、という、あの。
「ねえ、これって。こんななかなか取れないチケット。なんで私に?」
半ば身を乗り出した私に、ビートは「本当は自分が観に行くつもりで取ったんですが、いろいろあって必要なくなったので」と。
「それにあなたに先日の感謝を伝えていなかったので。予定が合うなら観に来てください」
不思議な言い回しだった。
ビートの出場資格は剥奪されてしまった。彼は出ることができないのだから。
でも、そんなこと言えば彼の古傷を不要につつくことになるので、私はただ「うん」と言った。
それから石の方を手に取ってみる。
私にはその石がなんなのかよく分からない。
「これはなあに?」
「ねがいぼしです」
こっちも、とても、とても貴重なものではないか。
「ポプラさんに連れてかれたあの日の夜。何故か僕のところに落ちてきたんです。でも、僕は自分のをもう持っていますから」
そう言って彼は腕にはめているダイマックスバンドを見せる。
手に乗ったねがいぼしをそっと胸の前で握り込む。
確かに、ビートとナックルで別れたあの夜、お祈りなんかガラにもなくしてみたけれど。
「……ありがとう。大事にする」
渡すものを渡してようやく落ち着いたのか、ビートは思い出したかのように紅茶のカップに砂糖を二つ落として、ゆっくり口に運んだ。
私は彼が甘党であるのを、このとき初めて知った。
西日がカフェに差し込んできて、ビートの瞳に光が反射するのを私は見た。
ビートは穏やかな目をしていた。もしかしたら、この静かで穏やかなのが、彼の本質なのかもしれない。
そうか。だから、私はあの横顔が好きだったんだ。
ブルーベルの花畑を見ていた、あの横顔。今ならはっきりとどんな顔をしていたか思い出せる。
紅茶に、私も口をつける。ふわりと心地よい香りがする。
「嫌じゃなかったら、また、暇なときに私とお茶してよ」
自然とそう口をついて出た。
「は?」
ビートの顔に何言いだすんだお前と書いてある。分かりやすい。
「昔からビートが近くにいて、不思議と居心地悪く感じたことがないの。他の人が近づいてくるといつもすごく怖かったのに。ビート、キッツイ性格してるけど、でも、ビートの近くはすごく落ち着く。だから、その、なんというか。……私と、友達でいて」
ビートは私からつんと目をそらして、ブリムオンのボールを腰にしまった。
「仕方ないですね。僕は忙しい身ですけど、時々くらいなら構いませんよ」
その言葉と態度が照れ隠しなのだと、私にも分かったけれど。
「かわいくない」
小さな声で言ったつもりが、はっきりと彼にも聞き取れたらしい。
「別に可愛いとか思われなくないんで、構いません」
ピシャっと言い返されてしまう。
か、かわいくない!
でも、自然と顔が綻んだ。
いつもの愛想笑いじゃなくて。心の底から楽しくて笑った。久しぶりに。

 




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