初夏A


私は走っていた。
下り坂を転がるよう駆け下りて、黄昏時の石畳に汗の滴を飛ばした。
だけど、石の橋に飛び出したときにはビートはもういなかった。
かわりに女の子が立っていた。いつかスボミーインで見たあの女の子だ。確かユウリとかそんな名前だったと思う。
もしかしたら、ビートを見ているかもしれない。
「あの」
少女に声をかける。
彼女は私の顔を見上げる。まだあどけない。それが「なんですか?」と人懐こい様子で返してくれる。
「人を見なかった?ウールーみたいな頭してて、ピンクの上着の男の子」
息を切らしながら話す私に、彼女は瞬きを二つ。それから、ニッと口角を上げた。
「ビートくんなら、ポプラさんが連れてっちゃった。お姉さんはビートくんの友達?」
私と彼は友達ではない。もっと遠くて、でも知り合いとか他人とかでもなくて。
「さ、さぁ。……いや、今はそうじゃなくて。ポプラさんって、ジムリーダーの?なぜ?どっち行った?」
矢継ぎ早に私が浴びせかけるのを聞いていた彼女は、のんびりと頷いた。
「うんうん。ビートくん、友達いたんだね。ちょっと安心したかも。
えっと、ポプラさんはね。ビートくんのこと気に入ったみたい。弟子にするって言ってた。多分大丈夫だと思うけどな」
マイペースな子だ。でも、私の方はそれどころじゃない。
「お、追わなきゃ。まだ間に合うかもしれない。ありがとね」
慌てて走り出そうとする私を「待ってダメダメ!!」と少女が止めた。
「お姉さんポケモンも持ってないのにダメだよ。それにこの時間から行ったらルナミスメイズに入る頃には夜になっちゃう」

夜の洋食屋に、私とあの女の子。
辛うじてお互いの名前だけは名乗った我々が、同じテーブルを囲んでいる。
「ビートくんと仲良しなんだね」
おもむろに、ユウリが切り出した。
「全然。私とビート、ずっと喧嘩したままなんだ。私が悪くて、ずっと怒らせてる。もう、きっと許してもらえない」
初対面の年下の女の子に私はいったい何を情けないこと言ってるんだろう。自分が嫌になる。
視線が窓に逃げる。窓に反射して、情けない私が見つめ返してくるので、視線を目の前のユウリに戻す。
「お姉さん、ちょっとビートくんに似てる」
めいっぱい頬張ったミートソースのスパゲッティを飲み下しながらユウリが言った。
「似てる?」
思わず聞き返す。
ユウリは「うん」とはっきり頷いた。
「二人とも、もっとはっきり自分の気持ち言えばいいのになって。お姉さんはビートくんに嫌われたくないんだよ。だから追いかけて謝りたかったんでしょ?」
なんてことないことだとでも言うように、彼女は言い放った。
私が衝撃を受けてる間にも、「私も幼馴染がいて、ホップって言うんだけど。時々喧嘩しちゃったりもして。でも、ちゃんと謝ったらホップは必ず許してくれると思う。私も、多分許しちゃう。友達ってそういうものじゃないかな」と彼女はつらつらと話した。
「私とビート、友達、なのかな。なんとなく同じ空間にいることは多かったけど、一緒に遊んだわけでもなくて。あ、でも、私とビートだけが知ってた場所があった、けど……」
言い淀む私をカラカラとユウリが笑いとばした。
「それはもう、友達だよ」
「そういうものかな……」
ピンとこない私に、ユウリは言い足した。
「それに、ビートくん、言ってたよ。もし誰かがビートくんを探しに来たら、僕に構わず自分のことやってろって言っておいてって。あれ、お姉さんにだと思うんだ」
ね、とユウリが意味ありげな視線を送ってくる。
「ああ、勝手なことを言うでしょ、ビート。私もだけど、ユウリちゃんには気を使わせちゃったね」
ごめんねと言うのを彼女は首を横に振って制した。
「ううん。どちらかと言えば、私、ちょっとお姉さんと話してみたくなって。好奇心が八割くらい。だからね」
ずいと、彼女が身を乗り出してくる。
「教えて欲しいんだ。ビートくんって小さいとき、どんな子だった?私、ビートくんと戦うときは、誰と戦うときより負けたくないの」
キラキラした視線に当てられて、ドリアを頬張ったまま一瞬固まる。
切磋琢磨とかそういうことではなくて、誰より負けたくないときた。誰よりも、彼の実力を認めているのが、もしかしたら彼女なのかもしれない。彼女にとってのビートはまごうことなきライバル、なのだろう。
私は話せるところをかいつまんで、自分の見た子供の頃のビートの話をする。
始終ユウリは楽しそうに聞いていて、ときどき「変わってないね」とか「素直じゃないなぁ」とか相槌を打った。
「私ね、ビートのこと、ほんとはそんなに知らないんだ」
食後の紅茶を飲みながら、私は切り出す。
「私の知ってるビートは昔のビート。今のビートがなんであんなことをしたのかとか、そもそもどうしてポケモントレーナーになったのかとか、どんなポケモン連れてるのかとか、何にも知らない」
そのどれもユウリは知っていた。彼女はビートとの出来事をつらつらと話しだした。
彼のこと最初嫌なやつだって思ったこと。バトルがすごく強いこと。ミブリムやポニータを連れてること。ポケモンには優しい目を向けること。ローズ委員長のために、ねがいのかたまりを集めていたこと。ラテラルでの彼の過ちのこと。それから、ビートを連れて行ったポプラさんのこと。
私は話を聞きながら、ビートにとってのポプラさんが、私にとってのエツみたいな人でありますようにと、ガラにもなく祈ってみたりなどした。
神様なんか居ないけど、願うもののところには時折気まぐれに星が降ってくるものだ。

私は家に帰って、しまいこんでいたポニータの缶を取り出した。
今なら、開けられる。
そっと缶の蓋を開けて、中のバラバラの画用紙を床に並べていく。あのとき描いたビートの横顔が出来上がっていく。今と比べると随分と拙い絵だ。
だけど、絵の中のビートは不思議なほどに優しい横顔だった。微笑んですらいた。
この絵は破れてもずっと、私の宝物だった。だから私は、ずっとこの絵を手放せなかった。

私は、生まれて初めて手紙を書いた。
想いを言葉にするのが苦手な私には、便箋一枚書くのも結構大変だった。でも、遠い昔と今日のこと、手紙とはいえごめんと言えた。それだけで体が軽くなった気がする。
手紙の返事はついぞ来なかったけれど。

 




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