「まさか、自分がカミサマになる日が来るとは思わなかったなぁ」
窓から雲ひとつない空を見上げ、そろそろ五年も経って現状に慣れつつある自分に言ってみた。
ここの原作は、途中までしか知らない。
死神が斬った張ったをする世界とか、そのぐらいのざっくり具合に、この後起こることの黒幕ぐらいのもの。
今回は自分が死神で、シャミが斬魂刀。
とはいっても、シャミは人の形で、やっぱり姿は長門さんそっくりに僕の目の前にいる。
刀になれるのか、と聞いたことがある。返答は不可能ではない、というものだった。
ただし僕の認識変更が必要、ってことはつまりなれないのと同義。まあ問題は今のところない。
死神になって何をしているのかといえば、書類整理なんかしている。
見事な書類の捌きっぷりのシャミのお手伝い、というほうが正しいのかもしれない。
絶対に普通のスピードなら三日は掛かっただろうものを半日も掛からずに終わらせたシャミには、感服せざるを得ない。
お陰で僕の斬魂刀は書類整理のためにあるんじゃないか、なんていわれている。僕らにとってはとても好都合だ。
ちなみにだが、死神になるための真央霊術院とやらにも通っていない。だから剣術も鬼道もさっぱりだ。
ズルというなかれ。真央霊術院に通えば、僕が死神どころか霊ですらないことがバレてしまう可能性が格段に上昇するのだから。
受けたのは卒業試験だけ。今まで受けた覚えのないテストの実績も残っていたから、まあいいかと思っている。きっとカミサマの特典だ。
ああ長閑だなぁ、と現状確認をしていると、目の前が白くなった。
被せられたのは書類の束。シャミに頼んだ分の書類が完成したらしい。
顔から紙を退けると、目の前にシャミが立っていた。
「ありがとう、シャミ。これで四番隊に持っていく分は完成。隊長は…」
「道場」
「そっか…今行ったら確実に怒られるなぁ。勝手に使って問題発生するかな?」
「しない」
「ならいいや」
あまり使われた痕跡の無い隊長の綺麗な机まで行って、迷いなく判子を手に取った。
判子の番号は十一。そう僕が属しているのは十一番隊。しかも四席。
実力さっぱりな僕が四席なんかいるのかといえば、それなりに重要な書類に触れられるのが五席以上だからという、ただそれだけの理由だ。
特にねたまれたりとかそういうことはない。
僕と立場を交換した場合、もれなく書類整理という雑務が待っているためだ。
軽んじられることは有るが、別に構わないと思っている。特に嫌がらせとかそういうことはないし。
それも僕が倒れると十一番隊が機能停止し、自分たちが書類整理に追われるハメになるからだ。
逆に僕を黙認しておけば、十一番隊の人たちは自分たちは肉体的な強さを高められる。
あるのは単純な利害一致の構造。
いずれこの世界と別離する僕としては、居心地よく、ありがたいポジションだった。
リズムよく朱肉と紙に判子を行き来させ、三十分をかけて全て押し終わる頃には肩が凝り固まっていた。
「判子終了。持っていこうか、シャミ」
気分転換も兼ねて。
言外の意味が伝わったのかどうかはわからないけれど、シャミが頷き、書類を持ち上げた。
シャミの持ち上げた山の中から三分の一ほどを取り上げて持ち、シャミに並んだ。
三分の一と言う量は、シャミ一人に持たせるのはなんとなく悪いからと言う理由と、三分の一以上は持てないという現実問題からの妥協だ。
廊下を歩いていると、向こうから見知った人が歩いてきた。
「叶ちゃん!のっぺり!」
「こんにちは、隊長、副隊長」
今声を掛けてくれたのが副隊長で、のっぺりとはシャミのあだ名である。
無表情だからだろうか。今のところ理由は聞いたことがない。
頭を上げると、隊長の視線が書類に注がれているのに気づいた。
「それは?」
「四番隊に持っていく分です。重要なものは特にありませんでした。概要はいつものように纏めて机においてあります」
「わかった。見ておく」
「判子を勝手に使わせてもらったんですが…」
「あ?構いやしねぇよ」
「そうですか。よかったです。それでは、行ってきます」
「ああ。いつも悪いな」
「いえ。それでは失礼します」
そのまま一礼してから行こうとしたところで、頭の上に何かが乗せられた。
「叶ちゃんにぴったり」
乗せられたのは花だった。乗せた主は副隊長。
結い上げた髪にしっかりとささっている。
これは何の花だろうか。わからないけれど、多分副隊長の頭に刺さっているのと同じ種類だろう。
「ありがとうございます。副隊長とおそろいですね」
「剣ちゃんともおそろいだよ!」
隣を見遣れば、隊長の頭にもピンクの花が刺さっていた。
なんともシュールな光景だ。きっと三席さんが見たら爆笑するんじゃなかろうか。
まあ、それは僕の感知しないところだ。
「みんなでおそろいですね」
いうと、嬉しそうに笑うものだから、こちらも嬉しくなった。
今回の脱出条件はわからない。
けど、もうしばらくこのままでもいいかなぁ、なんて思ってる。
十一番隊はガラが悪いといわれるけれど、結構居心地のいい場所だったりもする。とりあえず、僕にとっては。
「何見てたん?」
今日もまた書類の処理に勤しんでいると、かなりの至近距離から声を掛けられた。
いつの間に部屋に来たのか、なんてことはわからない。
驚きをひた隠しにして顔を上げると、狐顔と目が合った。
確か、三番隊の隊長さんで、これから起こることの黒幕さん。
目をつけられたり敵対したりとか、そういうのは避けたかったのになぁ。
「ばれちゃいましたか」
「ばれちゃったねぇ」
けど、相手はどうも確信を持っているようなので、肯定することにした。
"何"というのはやっぱりさっき窓から見えていたことだろう。
この市丸隊長と話していた更木隊長が、何故だか明後日の方向を向いて話をしていた妙な光景。
それを見て、僕はうっかり首を傾げてしまった。
失敗だったと。気付いてももう遅い。
蛇のような目はしっかりと僕を捕えて離さない。
そして壁は一つから二つに増え、退路なんて元々無かったのだけれど、これで完全に逃げられなくなった。
「藍染隊長もいらっしゃいましたか」
「気になるからね。何故目が見える君が、僕の鏡華水月の完全催眠に掛からないのか、とね」
言葉尻に強い力が灯ったと同時に、藍染隊長の目が怪しく光ったような気がした。
一瞬だけ息苦しさのようなものを感じて、けれどすぐに霧散する。
「ほぅ」
「へぇ」
感嘆の声が二つ並ぶ。二人が見つめるのは僕の少し後ろで、僕には振り返らずとも誰が居るのかわかった。
いつの間にか、書庫まで本を探しに行っていたシャミが戻ってきたらしい。
多分シャミが何かしたからだろうけれど、僕にはさっぱり。
とりあえず目の前の二方に倣って笑顔を浮かべてみる。
笑顔掛ける三、プラス無表情。この場に第三者が居なくて本当によかったと思う。
「おもろい斬魂刀やなァ」
「ありがとうございます」
褒められているのかはよくわからないけれど、お礼を言って置くことにした。
自分の声で発した言葉にも関わらず、なんとなく空々しさが抜けない。
相手もそれを感じ取ってか、いやホンマに、と続ける。
「ホンマおもろいなァ。始解の状態のままっちゅうのはいくつか見たことあんねんけど、具象化したままっちゅうのは初めてやで」
「きっと才能がないのですよ」
「まあ、そういうことにしておこうか」
藍染隊長のそれは、シャミが斬魂刀でないと見抜いてのものか、それともただのカマかけか。或いはもっと別のことか。
泥沼の気配を感じたので話題の転換を図ることにする。
そう、たとえば、相手の興味のある話とか。
「鏡華水月の完全催眠…でしたっけ」
「ああ、そうだったね。けど、説明は不要だ。今ので納得した」
とても置いてけぼりだけれど、納得してもらえたようだ。
なら、これ以上つつくことは無い。
納得してもらえたのならとっとと帰ってもらいたいところだ。まあ無理だろうけれど。
「さて。君には二つの選択肢がある。僕に従うか、それともここで死ぬか」
「じゃあ、従うほうで」
僕が即答したことで、二人は瞠目した。
「僕が何をしようとしているのか、とか聞かないのかい?」
「あんまり興味が」
「君の信条にそぐわないことをするのかもしれないよ」
「僕は貴方が何を探していようと、世界がどーなろうと知ったことではありません。僕らが生き残れば、それで問題ないんです」
自信たっぷりに笑顔を沿えて言い放った。
深読みをすれば、何をしようとしているのか分かってますよー、というところだろう。
「斬魂刀共々、おもろいなぁ」
発作的に起こった市丸隊長の笑いは、延々藍染さんが嗜めるまで続いた。
「よくもまあ、こんなところに引きこもらせてくれるなぁ」
二束のわらじ、というのが案外疲れるものだとわかった。
まあ実際がんばっているのはシャミなんだけれど…と、入り込んだ僕らのことなんか気にも留めず、だけれど僕らの思い通りに仕事をしている四十六室の皆さんを見ながら思う。
もちろん、彼らを操っているのはシャミで、更に言えば藍染さんに頼まれての行動である。
今までどおり十一番隊の仕事もこなしつつ、ここの仕事もやりつつで…。
「ホント、シャミってすごいねぇ」
僕の声に特に反応もせず、シャミは黙々と仕事をこなしている。
さて、シャミの話だとそろそろ彼が来る頃…と扉を見ると、まるで図ったようにそこには人影があった。
「本当はみんな殺してしまって完全催眠をかけてしまうつもりだったのだけれど、適材適所だね」
自分が入ってきたことに全く構うことなく、皆仕事を続けているのを見て藍染さんが言った。
どうやら目的物は無事に捕獲できたようだと、そこはかとなく窺える機嫌の良さでわかった。
「それにしても、こんなに重要なこと、僕らに任せてしまってもいいの?」
「バレたら君たちを切り離すだけだ。僕と君につながりが有るなんて知っているのはギンと要だけだからね」
「ああ、なるほど。捨て駒か」
僕の言葉に、藍染さんは笑みを崩さなかった。
恐らくそれは肯定。
リスク分散と、後は僕が勝手なことをしないように、という監視の意味もあるんだろう。
「それにしても、よかったね。目当てのものが見つかって」
「ああ、ありがとう。けれどまだ不十分だ。万が一処刑が失敗したときのことも考えておかないと」
藍染さんが向かうのは、地下議事堂。
そのまますれ違おうとした藍染さんの衣を、がしっと僕は掴んだ。
振り払うのは容易いだろうそれを、藍染さんは腕を振りもせず、ただ僕を振り返った。
「約束。覚えてるよね」
「現世に連れて行って欲しい。だったね。
けれど何故だい?君は十一番隊だろう。君の隊長さんに頼めば、嬉々として突き落としてくれそうだが」
「それじゃ困るんですよ。僕は現世に行きたいだけで、虚を倒したり魂送をしたりはしたくないので」
だってできないから。
僕は一応死神だが、魂送なんてことはできない。本当は死神じゃないからだろう。
虚は…倒せるのだろうか。よくわからない。けど、その後の魂送ができないのではどうしようもない。
けれどそれは全て綺麗に隠して、言葉を綴る。
「だって、面倒じゃないですか」
シャミが黙々と仕事をこなして、僕がお茶を啜っているその光景を見て、ああ、と藍染さんは納得してくれたようだ。
「そうかい。まあ、うまくやってくれれば、約束は果たすよ」
「お願いしますね」
笑顔を交し合って、そして僕は手を放した。
「こんなもんかな」
警鐘を鳴らす槌を置いて一息。
後は、あわただしくなってきたセイレイテイ内で、見つからないように隊舎に戻るだけ。
どうせ十一番隊の隊舎はからっぽだろうから、僕がいなくなったことに気づいている人はいまい。
シャミに僕らの姿を誰にも感知できないようにするための遮蔽フィールドを張ってもらって隊舎に戻ると、そこには既に人影があった。
窓の外で慌しく右往左往する死神たちを、細い目でじっと見下ろしている。
こちらには気付いてない…と思う。いつも同じ表情を浮かべて変化が無いからよく分からない。
「責任追求を受けているはずの隊長さんが、こんなところにいてもいいの?」
シャミがフィールドを解除すると同時に背後から声を掛けた。
三の字は揺れることなく窓の外を見つめ続けている。
驚かせるのには失敗してしまったようだ。
「なんてね」
そこまで言うと、その人はこちらを振り向いて、自分の手をわざとらしく頭に置いた。
「いやー、助かったわー」
「それは良かった」
「いやホンマ。叶ちゃんはいい仕事しはるなァ」
「ほめても何もでないよ。ところでホントに、こんなところにいていいの?」
言うと、これもまたわざとらしく市丸隊長は首を回して見せた。
「誰が見るん?」
「確かに」
十一番隊は完全に出払っていて、侵入者を捕えんと躍起になって走り回っているか、或いはサボっているか。
少なくとも隊舎にいる、なんて選択を取る人は居まい。
デスクワーク専門である僕以外がそんなことをすれば、更木隊長に切りつけられる。
市丸隊長と顔を見合わせていると、遠くの空に何か星のようなものが飛んできたのが見えた。
しばらく漂っていたそれは、四方に散った。原作どおりにことはしっかりと運んでいるらしい。
警鐘と侵入が逆になってしまっていることを気にする人間は、一体どのぐらいいるのだろうか。
十一番隊と十二番隊は気にしないだろうな、と思う。
それにしても、ど派手な侵入だ。
「すごいねぇ。アレに三回お願い事をしたら叶う…なんてことはないかな」
「アレは流れ星とちゃうねんで?」
「でもご利益ありそう」
「なら、自分は何を願うん?」
「うーん…」
お願いか。
「困ったな、考えてなかった」
さて、彼らが侵入したのなら、そろそろ次に備えないと。
「それじゃ、そろそろ僕は次のお役目に行かないと………って、あれ、四十六室はどうすればいいのかな?」
「そろそろ殺そうと思うよ。僕も表からは姿を消すつもりだ」
そう言ったのは、いつの間にか現れた藍染さん。
全く。死神は神出鬼没すぎていけない。
驚きは笑顔に隠して、僕は平常心を心がけて言った。
「そっか。それじゃ行こうか、シャミ」
シャミが頷いて、目の前にしゃがむ。ジェスチャーから察するに乗れということらしい。
確かに僕の足じゃ追いつけないなぁと気付いて、お言葉に甘えさせてもらうと、僕がシャミの首に手を回した瞬間、景色が一気に変わった。
いつの間にか外で。
いつの間にか夜で。
驚くべきなんだけれど、ここ最近驚くことが多くてなんとなく麻痺してきている。
まあ、神経が図太くなるのはいいことだろうと、思うことにして、視線を下に遣った。
見えてきたのは、オレンジ色の頭の少年と、二人の同行者。
石を蹴って水に落とせば、ぽちゃんという音が下水道に反響した。
「誰だ!!」
野太い男の声が響く。
弓親辺りが聞けば、醜い…とか頭を振りながら言ってくれるに違いないが、今彼は四番隊の方々に治療を受けているところだ。
さて、こちらの存在を気付かせるには成功した。
角を曲がった向こう側では、きっと戦々恐々としていることだろうから、そろそろ緊張を解いてあげねば。
「に、にゃぁ」
「何だ猫か………って誰が騙されるか!!」
わざとらしく猫の声を出せば、突っ込みと共に体格のいい男が角から飛び出してきた。
ノリのいい人のようだ。きっとキョン君と気が合うね。
僕らの姿を認めた男は僕を睨みつけながらずんずんとこちらに歩いてくる。
「待ってください!」
角から飛び出してきた花ちゃんこと山田花太郎は、僕を見つけて叫び、そして駆け寄ってきてくれた。
「花ちゃん!」
「叶さん!」
僕の方からも花ちゃんに抱きついて、親密っぷりをアピール。
今日のための交友関係、といってもいい。
まあ、花ちゃんとの付き合いはとても楽しいから、苦ではなかったけれど。
「何だ知り合いか」
「ええ、そうです!あ…」
僕を見て気まずそうに視線をさ迷わせる花ちゃん。
何故そんなことをしているのかは一目瞭然で、僕は笑顔を作って花ちゃんの頬を手で包むようにしてこっちを向けさせて目を合わせた。
「大丈夫、誰にも言わないから。っていうか言ったら僕が抜け出してきたのバレちゃうし…」
最後の方は尻すぼみに、今度は僕の方が目を逸らしながら言う。
「もしかして叶さん…」
「その…見学に、ね。そしたら迷子になっちゃって、それで戻れなくなったから、とりあえず隠れてたら……。
だから、ここから出るの手伝ってくれたら、内緒にしとくよ」
お願い、と目の前で手を合わせる。勿論全部嘘っぱちだ。
けれど日ごろのこともあってか花ちゃんは納得してくれて、そしていつもと立場が逆転したのが少し嬉しいのか、わかりましたと力強く言って、僕の合わせた手を自分の手で包み込んできてくれた。
そんな花ちゃんの後ろの男が呆れたような溜息を吐く。
少し安堵の色も混じるそれを聞き、警戒が解けたことを確認して僕は花ちゃんから少し離れて、頭を下げた。
「えっと、初めまして。十一番隊四席、東条叶です。こっちはシャミ」
自己紹介を終えた途端に、男の態度がころりと変わった。
「俺は岩鷲だ。十一番隊でしかも四席ってことは…お前強いのか。いやー助かったぜ」
「いや、弱いですよ」
間の抜けた顔が一つ。勿論持ち主は岩鷲。
「僕は事務処理担当なんです。
五席以上じゃないと重要書類に触れないから席官なだけで、多分花ちゃんにも負けます」
だから、そんながっかりした顔されても。