Chasm(in bsr/上杉)|ファスナー抉じ開けて|かすが視点

 謙信様と共に長い長い石段を上がる。
 雪組は留守番で五月蝿い直江兼続もいない。謙信様と二人きりの穏やかな時間が過ぎる。
 この時間もあと少しで終わりだと思うと、自然に足が重くなっていく。
 振り返った謙信様の微笑みに心臓が一つ大きく跳ねた。

「どうしましたか、つるぎ。つかれましたか?」
「いいえ!そんなことは!」
「もうすこしですから、がんばりましょう」

 謙信様に心配をかけてしまった。
 疲れたわけではなく、二人の時間が終わるのが残念だったから…なんて口には出せない。

 頂上に据え置かれた鳥居の向こう側に、二人の姿が見えた。
 丁度掃除が終わったところのようで、集めた落ち葉を袋に詰めている。

 三環の方がすぐに私たちに気がついて、隣の叶に耳打ちした。
 私たちの到着を知らされた叶は嬉しそうに笑顔を向けてきた。

「こんにちは」
「いらっしゃい、虎千代、かすが」

 今日は連絡を入れずに来たのだが、なぜだろうか、来ることが予測されていたような感じがある。
 予知ができるわけでもあるまいし、気のせいだろう。

「シャミ。お茶の用意、お願いしていい?」
「おまちを」

 頷き、お茶を淹れに行こうとした三環を謙信様が引きとめた。

「きょうはおもしろいものをもってきました」
「面白いもの?」
「ちゃばなのはまちがいないので、あやかしといっしょに、と」

 奥州から届いたもので、南蛮の茶らしい。
 川中島で決闘の邪魔をした詫びのつもりだろう。
 独眼竜の狙いは謙信様ではなく真田幸村で、戦場をかき回すだけかき回して、真田幸村がいないと分かるとさっさと消えていった。
 全く、傍迷惑な連中だった。

 持ってきた紫色の缶を謙信様が開くと、ふわりと芳しい香りが風に乗って届いてきた。

「これ、どうしたの?」
「おうしゅうからとどきました。めいは…」
「アールグレイ」

 三環はじっと缶に描かれている横文字に視線を注いでいた。
 その言葉を受けて、叶が感嘆の声を漏らした。

「へぇ、紅茶か。面白いね」
「ちょっと待て。お前たちは僧侶だろう。なぜ南蛮物を知っているんだ」
「さぁ?当ててごらんよ。そうだなぁ…見事に正解したら、豪華景品を進呈」
「いらん!」

 仰々しく両手を挙げての叶の言葉を切り捨てると、叶は少し残念そうな顔を見せた。
 さらに追求しようと思ったが、肩に謙信様の手が乗り、ぐっと押し留める。

 三環は茶を淹れに行き、私たちは客間に案内された。
 もっとも、私たちの方が叶を客間まで連れて行ったといったほうが表現として正確かもしれない。
 他愛の無い話を繰り広げていると、急須を持った三環がやってきた。

「ありがとう、シャミ」

 湯飲みに注ぐと、花のような香りが広がった。

「みためはほうじとかわりないのですね」
「青い色でも出ると思った?」
「すこしきたいを」

 謙信様はそう言って、湯飲みを手に取る。
 しかし、どうにも私は手が伸びない。
 南蛮物…というとやはり抵抗感が生まれる。
 その隣に置かれている菓子も見覚えのないもので、一番似ているのは煎餅だろうか。

 そんな私の様子に気がついた叶が声を掛けてきた。

「飲まないの?」
「………」
「虎千代の口に入れるものなのに、何もしなくていいの?」

 少し挑発的なその口調に、煽られるようにして湯飲みに口をつける。
 美味しい。
 不覚にも、思わず言葉を漏らしてしまった。

「こっちもよろしくね」

 手で示されたのは、平たく丸い菓子。
 なんとなく踊らされている気がしなくない。
 だが、謙信様のお口に入れるものは全て私が確認しなければ。

「つるぎよ」
「け、謙信様!」

 意気込んでいると隣から声が掛けられた。
 謙信様の手には菓子が摘まみ上げられており……丁度口の高さに、こちらに差し出されている。
 これは…直接口で受けていい、ということなのだろうか…!

 叶には見えていない。三環は空気みたいなもの。
 恐る恐る口を近づけて齧ると香ばしさと甘さが口いっぱいに広がった。

「おいしい?」
「た、ただの毒見だ。何も入っていないようだな」
「もちろん。けど、一枚だけじゃわからないかもしれないよ」

 くすくすと笑いながら言う叶。やっぱり踊らされているので間違いなかった。
 これもまた美味しい。
 甘さが丁度良く、まるで南蛮の茶のためにあつらえたように合っていた。

 謙信様は手の中に半分だけ残った菓子を口に入れて、ゆっくりと咀嚼した。

「おもしろいかしですね」
「よかった。この間シャミと一緒に作ってね。
虎千代たちとも食べたいと思っていたところだったんだ」
「これもびしゃもんてんのおみちびきでしょうか」

 謙信様と叶が話しているその横から、強い視線を感じた。
 じっと三環がこちらを見ている。
 一体何を…と考えて始めてから理由に思い至るのに時間は掛からなかった。

 指笛を吹いて白鴉を呼び寄せると、近くの木で羽を休ませていたそれはすぐに飛んできて、私の肩にとまる。
 衣擦れの音すら無く三環がこちらに腕を伸ばしてきた。
 私が合図を待ってから白鴉は、三環の腕に飛び乗った。

「そんなに気に入ったのか?」

 顔を合わせるたびに、というわけでもないが、白鴉を呼んで欲しいと強く視線で訴えかけてくることが多い。
 私の問いに三環は答えず白鴉の羽を撫で続け、それに応えるように白鴉は三環の指を甘噛みする。

「良かったら飼ってみるか?」

 また仕込むのは面倒で愛着もあるが、叶のことを気にしている謙信様のことも考えれば、三環のところに白鴉を置くのも悪くない。
 それに三環なら世話を任せても大丈夫そうだ。
 しかし三環は僅かに首を振った。

「貴女が持っているべき」

 分かりづらく首を振るだけでなく、珍しくきっぱりと言ってきた。
 確かに物欲しそうに見ていたわけでもない。
 無表情な三環の腕から再び私の肩へと戻った白鴉に菓子を砕いて与えると、私の手の平にあったそれすべてを食べつくした。

「そのものも、あやかしのあじがきにいったようですね」

 微笑と共に、謙信様が言うと、心なしか三環が満足したように見えた。

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