Chasm(in bsr/前田)|花付きハンカチーフ|前田慶次視点

 早朝。見渡す限りの砂浜に人は目立つからと慎重を期したが、高台の見張りは陸の上だって言うのにうつらうつらと舟をこいでおり、大した苦労もなく侵入は成功。
 後を続く叶を背負ったシャミセンも、音もなく地面に降り立った。
 あってないような塀は障害にもならない。ひょいと乗り越えれば、広がるのは闘技場みたいに広い空間。
 後は目当てのものを探すだけ、と気合を入れたものの、それはほとんど目の前に…っつーか、壁だと思って身を隠していたものがまさしくそれだった。
 今日クジを引いたら絶対に大吉が出るに違いない。

 さっそく目的に取り掛かろうとしたところで、衣を引く手に気がついた。

「ねぇ、慶次」
「ん?何だ?」
「ホントにやるの?」
「勿論。何のためにここに来たと思ってるんだよ」

 一応周りを見渡して人がいないのを確認して、見上げるほどに高い仁王像に飛び乗った。

「……僕はやらないからね」

 ぷぅっと頬を膨らませ、しゃがんで頬杖をつく叶。
 叶に同調するように、叶の隣に山犬のシャミセンが腰を下ろした。

「つれねぇなぁ。話をしてたときにはあんなに乗り気だったじゃねぇか」
「ただの話の種に、っていうんならいくらでも華を咲かせるよ」
「華、か。いいねぇ。きっとこいつにも似合うな。
叶も、」
「やらないよ」

 下ろした腰を上げる気はない、といったように、旋毛と背中しか見えない。隣の白い塊はすでに寝る体制に入っている。
 ま、さっさとやることは済ませてしまおう。
 叶もそのうち気が変わるかもしれないし。

 持ってきた筆を構えて、筋骨隆々のその岩肌に模様を走らせる。
 最初は顔。しっかりと化粧を施して、っと。確かこういう髭を叶は、だんでぃ、とか言っていたな。

 調子も出てきて襷に取り掛かっているところで、シャミセンと並んでいた叶が再び声を掛けてきた。

「………こんなことして怒られたりしないの?」
「そりゃ、」

 みなまで言う前に、遠くで何かが光ったような気がした。

「お前たち、何をしている!」

 光は頭が太陽の光を反射したものだったらしい。
 禿頭の海賊がこっちに気付いて怒鳴ってきた。

「怒られるに決まってるだろ!」

 ほとんど完成した作品から飛び降りて、走り出す。
 慌てて叶もシャミセンの背に飛び乗って俺の後を追いかける。
 騒ぎに気づいたらしいほかの人間たちも、次から次へと沸いて出てきた。
 むさっくるしい男たちが、渦巻きの頬になって少しむさ苦しさがなくなった仁王像を見て、口々に何かを言い合っている。
 怒り八割、笑いが二割ってとこか。

「その二割のうち半分は失笑だね」

 辛辣な感想が隣から飛んできた。

「謝ったほうがいいんじゃない?」
「大丈夫、大丈夫。逃げ切ればいいんだよ!」

 必至にシャミセンにしがみ付きながらの叶の言葉に笑って答える。
 段々と増えていく追っ手の数は、うなぎのぼりに増加中。
 聞こえてくるのがいきり立った男たちのものばかりで艶はないが、京とはまた違った喧嘩の雰囲気に、気分も高揚していく。

「ははっ。楽しいねぇ!」
「そりゃ君はね、うわっ!」
「叶!」

 門をくぐろうとしたところで珍しく怒ったような叶の声は途中で途切れた。
 慌てて立ち止まって振り返ると、太い麻で編まれた網の中に捕えられて、宙吊りになっている叶と目が合った。
 シャミセンも同じ網の中に捕らえられ、前足が網の目の間から抜けて出ている。
 慌てて綱を切ろうと刀を振るが、切っ先が届くよりも前に遥か上空にまで叶たちは吊り上げられた。
 助け出すには、網に繋がる綱が引っ掛けられている門の上まで上がらなければいけないが…そこにはすでに男の姿があった。
 恐らくこれが頭。まつ姉ちゃんや利から聞いた特徴と合致する。
 その左目を眼帯で隠し、碇を肩に担いだ白髪の男と目が合った。

「三人いっぺんに捕まえるつもりだったが、まあいい」

 叶が捕まったのを見て、追っ手の男たちも歓声を上げる。
 いつの間にか背後にまで男たちに回り込まれている。

「野郎共!この鬼が島の鬼に喧嘩を売ったこと、後悔させてやんな!」
「承知しましたぜ、アニキィ!」

 高々と獲物を持ち上げて、雄たけびを上げる男たち。
 それは壁となって高く広く立ちはだかる。

「待ってろよ、叶!今いくからな!!」

 抜き放った刀を振りかぶって、俺は門の上に上げられた叶に叫んだ。





「………で、なんでそんなに寛いでるんだ?」

 酷い扱いを受けていたりしないだろうかと、罪悪感に急きたてられるようにして急いできてみれば、叶はすっかり寛いで茶をしばき、長曾我部元親と仲良く談笑していた。
 茶菓子まで用意されている。

「そりゃ、当然だろ。
叶の様子じゃ、主犯はお前。叶はとばっちり。
なら、お前が後始末をするのが筋ってもんじゃねぇのか」
「………」

 返す言葉が思い浮かばない。

 元親の視線で示された桶と雑巾は、明らかに俺のために用意されたものだろう。

「全部消すまで返さねぇからな」

 にかっと笑って言い切った元親の隣には、手伝う気はないとばかりに茶を啜る叶と、マグロにかじりついているシャミセンの姿。

「……薄情者」
「元々僕は賛同してなかったのは覚えてるでしょ」

 背後に見える仁王像には立派な髭が蓄えられ、花柄の襷を背負っている。
 自信作だが……消すとなると面倒そうだ。

「がんばって」

 ひらひらと手を振って、送り出され…肩を落としながら掃除に取り掛かることにした。

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