Chasm(in bsr/北条)|赤い金魚と砂糖水|主人公視点

 剃髪して肩から頭にかけて涼しくなったことにも、城とは違う穏やかに見えて策謀混じる空気にもようやく慣れてきた頃合。ちょうど八つ時の茶菓子を手に廊下を渡っていると、聞き覚えのある鈴の音が耳に届いた。
 ホームシックとでも言うべきだろうか。そんな感情に襲われていたときでもあったので、喉よりも表情筋のほうが先に動いた。

「小太郎」

 問いかけに、またひとつ、鈴の音色が返される。
 半年振りのやり取りで、懐かしさに満ちた。

 とりあえず、人に見られるとまた何かを言われるので、人気のない場所まで移動をはじめる。小太郎に手を引かれながら本堂から少し離れ、松の木の根元に腰を下ろした。

「久しぶりだね。元気にしていた?」

 わずかな間をおいて、鈴の音色が響く。

 お爺様や父上……北条氏政、北条氏直の様子や、城でよくしてもらった者の事を聞く。いい知らせも悪い知らせも、小太郎は鈴の音色にて淡々と答えてくれた。
 情勢は、あまりよくないらしい。史実の小田原城は戦では一度も落ちなかったが、この世界ではわからない。
 そんな不安が顔に表れたのか、またひとつ僕を勇気付けるように鈴の音が鳴った。

「そうそう。承菊様から草餅を頂いたんだ。小太郎も食べない?」

 承菊というのは、寺で僕の師となった僧のこと。
 風呂敷を広げて、草餅の入った箱を掲げる。
 当然、忍びとしての立場を重んずる小太郎は受け取らない。

「ね?」

 ひとつ、手に乗せて小太郎のいるほうへと掲げてみた。
 やはり、受け取ろうとはしない。

「君が受け取らないと、僕の手はふさがったままで食べられないのだけれど」

 そう、わざとらしく言うと………ようやく小太郎は僕の手から草餅を取ってくれた。
 僕もひとつ箱の中から取って食べ始める。かみ締めるたびに、草の香りが口の中に広がった。おいしい、という評判通りの味に思わず笑みが浮かぶ。
 小太郎も、この感覚を共有しているのだろうか?

「おいしい?」

 鈴の音色が、いつもと同じく一度響く。

「そっか。よかった」

 否定などしないだろうことは明白だったけれど、なんとなく、おいしいと思ってくれているような気がした。

 会ってから一刻ほどもたっていないけれど、別れの時間が近づいている。
 小太郎は忍び頭。本来はここに来られるほどに暇ではなく、長居はできない。
 最後に一度、互いに手を握って、そしてゆっくりと小太郎は離れていく。触れていた人差し指の感触が風の中に消え………僕は立ち上がって、一歩前へと踏み出した。

「小太郎ッ」

 伸ばした指先が小太郎の衣服を掠めることはできなかったけれど、僕にわかるようにと、立ち止まった小太郎がわざと土を踏む音が聞こえた。

「君にとって僕からの何の裏づけもない情報なんて大した価値はないだろうけど、耳に入れるだけ入れておいてほしい。
今から一ヶ月…いや、44日後。豊臣軍が小田原城に攻めてくる。数はおよそ5000。総大将には加藤清正がすえられている。真正面からやってくるけど、狙いは門じゃない。用水路に破損があるから、できれば補修をしておいたほうがいい…と思う」

 響いた鈴の音に、息をついた。
 どれだけの効果があるのかはわからない。それでも、わずかにでも先が変えられればと、願わずにはいられない。
 ふわりと、温かな風が身を包み、名残を消し去っていった。

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