Chasm(in silver soul/京都編)|或いは3人目|河上万斉視点

 鬼兵隊は体を為してきた。
 来島また子、武市変平太を直下に加え、手駒の数もある程度揃った。
 資金も潤沢…とまでは言いがたいが十分に入ってきている。晋助の見つけたパトロンもそうだが、あの狐がどこかに売ったらしい"転生郷"やその他の薬の製法の使用料がほぼ永続的に入ってきている。
 そして拠点となる船は完成し、出航の合図を待つばかりとなっていた。

 いよいよ本格的に動き出す。
 晋助のその号令の基に、拙者らは顔合わせということで集結していた。
 純然な部下や味方というわけではないので従わなければいけない謂れはないが、必要と思えることでもあり、何よりまったく影の見えない狐の動向も気になっていたところ。あの狐が現れるかどうかなど不明であったが、ならば晋助に問いただせばいいだけのこと。それに、あの狐は今日は来るだろうという予感はあった。
 港の傍の倉庫の一室で、拙者は三味線の弦を変え、晋助は月を肴に杯を傾ける。武市変平太も同じように倉庫の荷物に凭れて一定のリズムで杯を口に運ぶ。これといって会話はない。
 そういえば来島また子の姿が見当たらぬ、と視線だけで部屋の輪郭をなぞれば、鉄製の分厚い扉が大きな音を立てて開いた。

「晋助様!!」

 キンキンと高い声で晋助の名を呼ぶのは、見かけなかった来島また子。
 名を呼ばれ、晋助は漸く首をめぐらせて、来島また子を見た。

「どうした?」
「見知らぬ人間が入り込んでいました!!」
「人の話を聞かぬか。我は晋助の知り合いと言っているだろうに」

 良く見れば、少し小柄な男が来島また子の細腕に抱えられている。
 誰だ?
 声に覚えは無い。曲調も不明瞭。
 しかし、来島また子から離れ、その容姿がはっきり捕えることができ、それが誰なのかがわかった。
 全身真っ白な装束に、顔につけられた狐の面。病的なまでにきっちりと巻かれた包帯。何もかもを人工物で覆った中で唯一自前の色を示す黒髪。
 何より、それの持つ無音は明らかにあの狐のもの。
 その証拠というわけでもないが、足元にはいつか見た三毛猫の姿もある。

「離してやれ」

 口調と声質の違いはあれど、晋助も狐を見間違うことはなかったようだ。

 晋助の命により、不服そうにしながら来島また子は狐を解放する。
 狐は今まで掴まれていた手首の部分をあからさまに見えるようにさすって見せた。

「やれやれ邪魔しおって。晋助。貴様いつから猛獣使いに転向した?」

 呆れ声を発する狐の肩に三毛猫が軽い動作で飛び乗る。
 その喉を弄りながら、晋助への苦言は続いた。

「銃口を見当違いに向くばかり。
これでは闘牛……いや、いいところ猪娘か」
「なッ!!」

 武市変平太が狐のその言葉を聞いて噴出した。
 みるみるうちに顔を紅潮させ、体全体を震わせた来島また子は、得意の早抜きで二丁を構える。

「キサマァ!!」

 だが、銃口の先に狐は居らず、

「そのように、」

白い輪郭が来島また子の背後に生まれ、

「言われたくなくば、己が身を振り返るがいい」

来島また子の肩の辺りに顔を置いた狐は、耳元で囁くように言った。

 俊足での移動…というわけではないはずだ。空気の流れが感じられなかった。あれが恐らく、晋助の言っていた狐の異能の一種なのだろう。
 明確に何ができるのかはわからない。把握する気もその必要もないといった雰囲気が晋助からは窺える。
 狐も同様に、晋助が今具体的に何をしようとしているのかなど、精々二割程度しか頭に入れてはいまい。
 仮にも手を組んでいるというのに、それでいいのだろうか……。

「下がれ」

 凍りつく来島また子、そして武市変平太に晋助は命ずると、二人は何の反論もせず下がっていった。
 武市変平太は元よりそういったところがあるが、来島また子は狐に噛み付くぐらいのことはしそうな性格。何も言わなかったのではなく、言えなかったのだろう。今のやり取りがよほどショックだったと見える。

 この場に残ったのは、拙者と晋助、そして狐のみ。
 狐は今まで武市変平太がいた場所に座し、その傍に控えるように三毛猫が寄り添い、丸くなる。
 そして、飲みかけのままに置いていかれた杯を取り、僅かに面を持ち上げるだけで口に運んだ。

「準備は………着々と進んでいるみたいだね」
「あァ」

 途中から、知った声質に戻る。口調も以前会ったときと同じもの。

「でも船か……床が揺れるのは、やっぱり落ち着かない」

 居心地悪そうにしながら、狐は肩を竦めた。

「ところで、叶。その口調は何だ?」
「ああ。ちょっとしたキャラ分け。そういえば晋助の前では初めてだったね。
君たち二人の前以外では、ここでもあの"狐"の調子でやらせてもらうよ。
まあ、そんなにここに顔を出すこともないだろうけど」
「好きにしろ」
「言われずとも、そうさせてもらうよ」

 "晋助の前では"と狐は言う。ならば、主立って使うのはここではないということ。
 一体何を企んでいるのか。
 拙者とは違い晋助は大して気にしていない風……元々互いの行動など把握しようともしていないのだろう。

「不服そうだな、万斉」
「不服なのではない。あるのは懸念だ」
「懸念?一体何を?」

 本当にわからない、といった風に、狐は首を傾げる。

「世界の破壊。方法は違えど、その目的は同じ。それではダメなのかな?」
「それでは徒党を組み、こうして顔を合わせる意味がなかろう」
「君は変なところで拘るんだね」
「主らが大雑把過ぎる。いや、節操が無いとでも言うべきか」
「君は真面目なんだね。
けど、こうやって顔を合わせることに意味を見出そうとするなんて、徒労にしかならないよ」
「では、何故このような席が設けられた?」
「面白そうだから」

 狐は言い切った。

「別に一人でもよかったのだけれど、時折こうして晋助と顔を合わせるのは悪くない。
そうだなぁ…遊びや余裕だよ。なのに、君は不服そうな顔に懸念を浮かべる」

 くすくすという、狐特有の笑いが耳に残る。

「破壊の後に続くものは無い。何かを生み出そうとしているのなら足並みを合わせる必要はあるだろうけれど、破壊ならば僕らには不要なことじゃないかな。
ただまあ、足の引っ張り合いは避けたいね。だから、この集まりは…目的が失われていないかの確認、かな。
僕は君たちがどこで何をしようと僕は邪魔をする気はない。
だから僕が何をしようと君たちは僕の邪魔を、しないでほしい」

 手助けが欲しいなら幾らでも、と狐は杯を置き、立ち上がった。
 いつの間にか、三毛猫は肩の定位置にある。

「我は先に江戸に向かう」
「あァ」
「では、またいずれ」

 そう言って、狐は闇に溶けて消えた。

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