Chasm(in silver soul/京都編)|夜の冷たさに触れて|阿伏兎視点

 赤や黄色と目に痛い色ばかりが使われた町並みを横目に、欲望を具現化したような町を歩く。
 耳に残る女達の甲高い声はどうにも好けず、手が伸ばされるより前ににらみを利かせて遠ざける。けれど団長はそんなものには無関心なようで、地中に入ったために不要となった包帯を解きながら真っ直ぐに足は目的地に向いている。
 俺はといえばそんな団長から一歩下がって黙ってその後をついていっていた。

 次第に人気が消えて、喧騒が遠くなり、明かりもまた少なくなる。
 そうして漸く目的の建物にたどり着いた。

 建物は極めて質素だった。
 柱こそ朱色だが、それはけばけばしさよりも落ち着きを感じさせ、しかしだからこそこの町の中では浮いて見える。
 中へと足を踏み入れれば、朱と茶と白の空間が広がり、そこは女郎屋というよりは寺院を思わせる。
 厳しい顔をした像まで飾ってあるからなおのこと。
 だが、案内にと出てきた女の着物は肩の部分が大きくはだけていて、それだけでやはり吉原桃源郷の中にいるのだと確認できた。

 団長は案内の女を退けて、まっすぐに目的地へと足を進める。
 そんなんだから、俺はてっきり団長が相手の居場所をわかっているのかと思っていたのだが、その足取りからなんとなくで行き先を決めているということに気がついてしまった。
 ……まあ、不安を感じるより前に、何かの気配のある部屋の前に到着できたのだから、と俺は何も言わなかった。

 中への確認などせず、団長は遠慮なく巨大な蝶の描かれた襖を開け放つ。
 やはり場所は間違っていなかったようで、中には相変わらずな格好をした男が一人いた。

「相変わらず、狐の旦那の周りは女っ気がないね。女の一人二人喰っちゃえばいいのに」

 そう、団長が不遜な態度のままに話しかけると、狐の面をつけたそいつはゆっくりとこちらを見た。

「どのように過ごそうと我の勝手ではないか、神威」

 機嫌がいいのか悪いのかまるでわからない声で、狐は律儀に返してきた。
 相変わらずの死装束のような白い和装に、濃紺の上着。赤い隈取と額に模様の入った狐の面が薄暗い中に浮かび上がっている。普段ならば肌と言う肌を包帯で覆っており、僅かに見えるのは耳ぐらいのものだが、酒を呑んでいる今日は、僅かに持ち上げた面の隙間から白い肌と薄紅色の唇が見て取れた。
 あとは三毛猫が一匹、こちらのことなど全く意に介さないように寝息を立てている。時々思い出したように髭を動かしながら狐に寄り添って丸くなっていた。

 俺は狐と向き合うように座り、団長は狐の隣に座る。
 すると、まるで何処からとも無く女が現れて、酒だけ置いて去っていき、団長はやはり興味なさげにそれを見送った。

「それに趣味も最悪だ」
「それこそ、貴様に言われる筋合いは無い」
「ああ、だから女が寄り付かないのか」
「いつになく自虐的ではないか?」
「俺は女に興味はないの」
「興味があるのは強き者だけか」
「流石、狐の旦那はわかってるね」

 言いながら狐は団長に向かって杯を差し出す。
 悪趣味と自分で指摘した狐の杯に、特に何と言うことも無く団長は酒を注いだ。

 団長の悪趣味、と言う言葉には、口には出さないが心から同意する。
 真っ白な死装束に狐の面。物言いや物腰、行動その他、ありとあらゆるものを列挙すれば限がないが、何が一番悪趣味かと問われれば、俺は迷うことなく酒の肴に置かれている黒髑髏を挙げるだろう。
 一体誰のものなのかはわからないが、その形から女の者であるのは間違いない。
 丹念に漆で塗られ、後頭部の辺りには金で蝶が描かれている。髑髏の装飾は一級品だが、悪趣味なものとしても一級品だ。その悪趣味を、時折思い出したようにいとおしげに撫でる…その神経が知れない。
 描かれている蝶はよく狐が自分の銘として使っているもので、春雨でも嫌というほどにいたるところにある。狐の唾のついたモノ…人だろうが建物だろうが物だろうが、それに蝶が飛んでいればそれは狐のモノだ。
 ちらりと運ばれてきた盆を見れば、そこにも予想通り蝶があしらわれていた。

「して、寝込みでも襲いに来たか?」
「まさか。この間、お叱りを受けたばっかなのに、また怒られるのは勘弁だよ。今日は伝言に」
「元老からか?」
「それもある」

 狐から怪訝、といった雰囲気を発したような気がした。
 表情が見えないものだから、どうにも察しようが無くてやりづらい。
 一体どんな顔をしているのか想像しようとして、なんだか自分が無駄なことを始めたような気がして止めた。

 俺達春雨が便宜上では狐と呼んでいる、その男の素顔を知る者はない。
 だが狐といえばそいつを表し、そして春雨において重要な位置を占める狐に対する追求は、暗黙の了解としてしてはいけないことになっている。
 噂では、この地球のいわゆる攘夷戦争の頃より付き合いがあるという。しかし、元老が狐に対して払う敬意や、時折話に登場する時期を考えれば、もっと昔の可能性から…ということも否定はできない。とはいえ、それに関してはもう、確かめる術が思い当たらなかった。

「先ず一つ。元老が転生郷の件で礼が言いたいってさ」
「無用だ」
「言うと思った。
元老は、無理難題を吹っかけられるより前に借りを返しときたいんだろうけど」
「それこそ、我の望まぬことだ」

 狐が即答すると、からからと楽しそうに団長は笑う。
 酒を呑むために浮かせた面の隙間から、狐の口の片端が吊りあがっているのが見える。
 そうして、俺の口からは溜息が漏れた。
 また、団長の尻拭いが必要になった、と。

 そんな俺の気苦労には全く気付かず、二人は話を続ける。

「もう一つは、アイツから。
頼まれごとを片付けて戻るのには、もう少しかかるってさ」
「ほぅ。貴様に言伝を頼むとは珍しいことだな」

 まあ、そりゃそうだと心の中だけで頷く。
 口には出さない。

「ところで、話は変わるけど…何でアイツは傘を持ってないの?」

 同じ夜兎だが、団長の示すそいつは夜兎のトレードマークといってもいい番傘を持っていない。
 本人に聞けば、そんなだっさいものとっくに棄てた、だそうだ。
 なら他に…例えば団長のように包帯を巻いて遮光をしているのかといえば、そんなこともない。
 肌を晒して日の光の下を歩くそいつを、団長が笑顔の下で疎ましげに見ているのを、俺は良く知っていた。

 そいつがちらつかせた答えは、狐。狐と言えば、目の前のこいつだけ。
 笑顔に僅かな期待を混ぜて待つ団長に、狐は嘲りを込めて、一つ鼻を鳴らしただけだった。

「貴様が我の手足となるなら、或いは教えてやらぬこともない」

 面の下ではにやりと笑みでも作られているだろう狐のその首を、団長は鷲づかみにした。
 あちゃー、と頭を抑える俺など意にも介さない様子の団長は、狐しか見ていない。

「さっきの台詞さ、違うでしょ。
"どうして貴様が伝言にきたのか"って言ってくれなくちゃ」

 少し捲れた団長の袖から、日除けの白い包帯が覗く。
 その白の上には緋色が散っていて、団長が殺してしまった本当の伝令役の名残が残っていた。
 徐々に絞まりゆく団長の手を、抵抗することなく感受する狐。
 団長が殺さないとでも思っているのだろうか?だとすれば、甚だ見当違いだ。
 しかし、このまま見守るわけにも行かず、俺は狐の首に掛かった団長の手を掴んだ。

「そこまでだ、団長。
狐を殺したら、流石に元老の連中も黙っちゃいねぇよ」
「けど、阿伏兎も興味あるんじゃない?」
「ないと言ったら嘘になるが、ジジイ共を敵にしてまで知りたいとはおもわねぇな」

 睨み合いは僅か五秒。
 団長はふっと息を吐いて、狐の首から手を離した。

「仕方ない」

 そこで気を緩めて手を話したのは、団長の性格を考えれば間違いだったとしか言いようが無い。

「なんてね」

 軽くそう続けた団長は、目にも留まらぬ速さで言葉が終わるよりも前に足を狐の脳天めがけて振り下ろす。

「団長ッ!!!」

 俺の制止など、僅かにも効果はない。

 狐は動かない。動けない。
 間に入ろうにも立ち居地が悪すぎる。
 俺は次に血飛沫が上がることを覚悟し、ジジイ共に厳罰を与えられる未来を見て、しかし、その予見が外れたことを、刹那の後に知った。

 狐に、団長の蹴りは届かなかった。
 見知らぬ男が一人、団長と狐の間に割って入り、しっかりと団長の足を掴んで止めていたために。

「ありがとう」
「そう」

 淡々とする二人に、恐々とする俺達。
 団長も素早く足を引いて二人から距離をとっていた。
 俺も傘を構えながら、そして問いかけた。

「どっから現れやがった?」
「最初からここにいたよ」

 答えたのは…狐?
 一瞬、誰の言葉なのかわからなかったが、いつもよりも一段高い声は確かに狐のものだった。

「ああ。コレが僕のもともとの口調でね。鳳仙には内緒だよ」

 そのノンビリしたような口調に気が削がれ、俺は傘をおろし、団長は上げていた拳を下ろした。

「ついでにその邪魔な仮面も取ったら?」
「酷いなぁ。結構お気に入りなんだよ、コレ」

 ………今までと全く調子が違うものだから、なんとなくつかめない。
 団長が二人いるみてぇだ。
 そう呟いたのが聞こえたのか、狐は肩を揺らし、対照的に団長は少し不機嫌になったように見えた。

「どうして彼に傘が不要なのか…というのは教えられないけど、まあシャミを出させたご褒美ってところ?」

 上から目線の言葉に、ピクリと眉を動かした。
 団長のその変化を俺の次に狐が気がつく。

「そう怒らないでよ。悪気はないんだから」

 そんな風に言うものだから、団長の機嫌は鰻上りに悪くなるばかり。
 頼むから、もう狐に手を出さないでくれよ……という、俺のその切実な願いが通じた…わけじゃないだろうが、団長はもう狐から興味を失ったように帰り支度を始めていた。

「嘘だよ。
狐の旦那みたいな死にたがり、殺したって面白いことは何もない」
「そっか」

 狐のトーンが、僅かに下がる。

「命拾いしちゃったねぇ」

 狐が言った途端に、ぞくりと。何かが走り抜けた。

 俺と団長の動きは対照的だった。
 俺は狐から離れ、団長は狐に飛び掛る。
 そうして、団長が狐の傍にいた男に吹き飛ばされるのが、スローモーションになって視界の右から左に流れていった。

「団長ッ!」

 身体が半分屏風に沈んでいる団長に一足飛びで近づく。
 すると…団長には珍しいことに、本当に珍しいことに、気を失っているようだった。

「元老の人たちによろしくって伝えておいて」

 狐は、俺たちが出て行こうとした襖の前に立っていた。

「それと、お大事に」

 淡白に狐はいい、さっさと部屋から出て行った。
 去り際にこちらを見た狐の左目が、白く光って見えた気がした。
 狐の消えた方をじっと見ていると、団長がむくりと起き上がった。

「あれ?俺寝てた?」

 けろりと、団長は言う。
 先ほどの殺気立った様子はすっかりどこかに消えていた。

「ああ、ほんの数秒だけな」

 俺の返答を受けて、団長は自分の身体を確認するより前に狐が消えていったほうを見て、笑みを深めた。

「狐の旦那と殺っても面白くなさそうだけど、旦那はやっぱり面白い」
「………そうかい」

 俺は…できればもう、狐のところへの使いには行きたくねぇなぁ………。
 とはいえ、この団長の下にいる限り、今後狐にあわないという選択肢が選べないだろうことは、経験から明らかだった。

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