Chasm(in silver soul/京都編)|種を摘んで涙を埋めて|快援隊の船員視点

 埃っぽい倉庫の天井を見上げれば、裸電球がその命を最後まで燃やさんと点滅を繰り返していた。
 橙色の光が、つみあがっている麻袋と俺達五人を照らす。取引まであと十分を切っているが、相手の姿は未だ見えない。ちらりと今回の取引の責任者である陸奥さんを伺うが、その表情に変化はなかった。

 客は、時間ぎりぎりにやってきた。
 肩に猫を乗せた狐の面をつけた男が一人。その後ろを屈強な男たちが続く。しかし筋骨隆々といった男達は遠く離れた場所に待機し、近づいてきたのは一人だけ。男達はただの荷物運びだったのだろう。声の届かないところで、じっとこちらを見ながら指示を待っている。
 取引に指定された場所にひしめく人数は僅か5人。
 その中にお頭の姿はなく、代わりに陸奥さんと部下四人、そして新米の俺。
 どうして俺が指名されたのかはわからないが、陸奥さんのお手伝いができるのならば、と喜び勇み来た次第だ。

 依頼人は、不気味以外の形容詞が当てはめられなかった。
 真っ白な装束に、狐の面の赤い隈取と黒髪だけが色を持っている。
 袖から覗く腕も足は男のものではあるが、それにしては細い。そしてぐるぐると包帯が巻きつけられていた。
 まるで幽霊のようで、思わず足があるかを確認してしまった。

「依頼人で間違いないか?」
「そうだ。が、快援隊の頭は坂本辰馬ではないのか?」
「頭は所用じゃきに、わしが来た」

 陸奥さんが、取引の物を運ぼうとする俺を制し、狐の面を見据えた。

「おまん。その面、外す気はないか」
「何故だ」
「顔をつきあわせて取引するのが、わしらの決まりでの」

 うちの取引の場合、聞いたところで偽名を名乗られて終わりだから、ということで名は聞かない。
 その代わり、対面での取引が快援隊では鉄則となっている。
 叶わぬのなら取引は中止。男はしばらく逡巡した後、狐の面に手を掛けた。

「仕方あるまい」

 男は狐の面を後頭部にまわして素顔を見せた。
 てっきりもう少し渋るかと思っていたのだが、狐の面はただの趣味だったのだろうか。だとすれば変わった人だ。

 黒髪に黒目。高い背が痩身を際立たせている。年は…俺と同じ二十代ぐらいだろうか。
 口元に浮かぶのは頭の快活なものとは違う笑みで、片方の目が包帯で覆われている。
 顔は見えても、最初のあの不気味と言う印象は拭えない。宇宙をめぐっているのだから、人以外の気味の悪い見目形をした客に会ったこともあるというのに………なぜだか、出会った中で一番気味が悪いと感じた。

 自分の顔に視線が注がれているのを見て、男は指先で包帯を示した。

「これもか?」
「いや、それはいい」
「して、依頼の品は?」

 小さく陸奥さんの手が動いて指示される。
 俺は麻袋を男の前において、袋の口をあけて見せた。

「確認するぜよ」

 麻袋に手を入れて、男は取引の物である種を触ったりしげしげと眺めたりを繰り返す。そうしてしばらくして、問題ないと判断したのか、一つ頷いて狐の面を戻して後ろを振り返った。
 小さく指示を受けた男がジュラルミンケースを持ってこちらに近づき、中を開いてみせる。
 中に詰まっていたのは現金がざっと一千万円。

「確認を」

 相手は商会などではないので、念のためにしっかりと本物かを確かめる。
 しかし問題はなく、偽札も新聞紙も混じっていないようだ。

「………確かに」

 取引は成立し、こちらはジュラルミンケースを、向こうは種の詰まった麻袋を手に入れた。
 男の顔にはいつの間にか狐の面が戻っていて、連れてきていた男達に物を運ぶように指示を飛ばす。

「感謝する」
「礼を言われるようなことではないきに。
……………だが、こんなもん、何に使うんじゃ?」

 陸奥さんが問いかけると、男の体の動きが止まり、こちらを振り返ってきた。
 狐が、嗤う。

「顔ならいざ知らず、商品の使い道にまで口を出すのは、商人の分を超えるのではないか」

 ただ問いかける。だというのに何故だろう。気圧される。
 ここに来るまで、死に掛けたこともある。刃を喉に突きつけられたこともある。
 しかし、今ほど焦燥と逃避が身体の内に渦巻いたことはなかった。
 命の危険などはない。だが、危ない。関わってはダメだと、警鐘が鳴り響く。

「わしらには売った者としての責任がある」
「責任。責任か。重い言葉を随分と廉く使う。
貴様らは客が火薬を買えば、花火を作るか爆弾を作るかはその風体で判断し、いちいち尋ねたりなどしまい。
つまり、今問題とされるべきは、我が件のモノの使用法を秘匿することではなく、貴様の不勉強だろう」

 狐が、面の下で哂う。

 思わず、陸奥さんと男の間に割って入ろうとしたそのとき、男の雰囲気が変わった。

「偉そうなことを言った。忘れよ」

 最初と同じ、無害さを背負い男は言った。

 そして思案するように裸電球を見上げた男は、良い言葉が思い浮かんだ、とばかりに言う。

「現に極楽を作る。つまりは、そういうことだ」

 緑化活動……なわけないよな?
 そんな心の呟きは表に出せるはずもなく、陸奥さんの横顔を見やる。
 しかし、やはりそこにはいつもと変わらぬ冷静さがあるだけだった。

 狐はそれきりこちらを振り返らない。
 最初と同じく、狐の面の男が先を歩き、後ろに屈強な男達が続く。
 やがて彼等は闇の中に消え、そこでばしっと音を立てて、電球は終に事切れた。

 今の今まで顔を合わせていたというのに何故だか、狐の面の男の顔が霞掛って思い出せなかった。

 転生郷という薬の名前を聞くようになるのは、もう少し先の話。

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