Chasm(in silver soul/京都編)|やたら甘いロックに酔っていた|河上万斉視点

 高杉晋助と出会ったのは半年ほど前のこと。そのとき己は全てに自棄になっていた。
 天人と迎合し腐り落ちていくこの国の悲鳴を聞きながら惰性のままに剣を振るい、そして国と同じく己も腐敗していくのを感じてゆく日々。そんな最中での出会いは激烈で、その奏でる曲を聞いた瞬間に魅せられた。

 世界を破壊する。
 幕府でもなく、天人でもなく、壊すは世界。他の者が口にすれば夢想と鼻で笑っただろう言葉であったが、晋助の口から聞いたそれは確かな意志を持っていた。そして、他の攘夷派がこの国から天人を排そうとする中で、最も国のためとなる方法であった。
 他の者から誘いを受けたことがないわけではなかった。しかし、どれも天人がこの国に蔓延るという未来は変えようの無い流れが見えていなかった。
 攘夷戦争の勝敗が幕府の迎合という最悪で無様極まりない結果で終わった今、それは変わらぬ未来。いずれこの国は天人に食い尽くされるだろう。それすら分からぬものを率いること、ましてや付き従うことなどは御免で、全てを断り、時折切り捨てた。稀にではあるが大局を見極めた誘いもあったが、しかしその理想は天人との迎合にあり、到底受け入れられるものではなかった。

 侍が守りきることのできなかったこの国は、侍によって終わらなければならない。
 確固とした理想としてそれは己の中で根付き、自然と晋助と共にいることが多くなった。

 鬼兵隊再興を目指す晋助と共に奔走してはいるが、協力者の数は少ない。
 とはいえ、焦りはない。
 幕府による攘夷派粛清の動きが強い今、名乗りを上げるものが少ないのは当然のこと。パトロンは確保してあり、時機を見定めて動けば、手足となる人間は集まることだろう。むしろ、今倒幕に積極的に動いているものは早計で、そんなものを懐に入れれば、自壊するまでは行かずとも組織に歪みを生むは必然。今このとき下手に動かず、沈黙に耐えきった人間を見定め引き込めば何も問題はない。

 しかし動きの成果は多少はあったようで、協力を申し出る者が晋助の下を訪れた。
 数は二人。攘夷戦争を戦った人間のようで、晋助と面識はないようだが、晋助の噂を聞いてやってきたのだという。片方の禿頭の男は大した実力を持っていなさそうではあったが、もう一人のほうはそれなりに実力を持っていそうで、晋助の下に降ることがあれば仕合うてもらいたいものだと思った。
 四つの瞳は恍惚として、晋助の奏でるロックに己が音色をたどたどしくも必死に訴えかけている。晋助の方はといえばいつもの調子で自身を褒め称えるような言葉を適当にあしらいながらも、相手のツボを押さえた言葉を一つ二つ投げかける様は見事なもの。駒となるにそう時間はかかるまいと、拙者は陳腐なそのやり取りを横目に、刀の手入れをしていた。
 おべんちゃらも最高潮に達し、この様子では拙者には取り立てて出番はなさそうだ。
 そう思い、席を外そうとしかけた時、一人が拙者を見て声を高めた。

「しかし、流石は晋助様。人斬り万斉までも従えるとは、晋助様が幕府を倒すはもはや必然でございますな」

 従える。

 その響きは何とも赦し難いもので。

 気づくと、晋助の下を訪れていたその二人は、骸となっていた。

「珍しいことも、あるもんだなァ」

 晋助の言葉で己を取り戻す。
 握られているは、つい先ほどまで手入れをしていた刀。その刀身から滴る紅は目の前の二人のもの。
 ああ、拙者が殺したのか、と、二人と話していた位置から動いていなかった晋助を振り返った。

「済まぬ、晋助」

 今回に関しては、短慮だったとしか言いようが無い。脅すに留めておくべきであったと反省する。

「かまわねぇよ。見誤ったこいつらが悪い」

 特に咎めの声は無く、気にした様子はない。
 それに、と、すでに二人からは興味を失い視線を逸らした晋助は続ける。

「アイツも同じことを、しただろう」
「アイツ?」

 晋助の口から誰かを示す言葉が出てきた。心当たりは無い。

「そういや、まだ会わせたことはなかったな。
丁度いい。久々に顔でも見に行くとするか」

 思い出したように言った晋助は、宿の人間に金を握らせて外へと出た。
 宿の主は何も言わない。それも当然のことで、拙者が斬ったあの者らは幕府が躍起になって探し回っている攘夷派の人間。幕府に引き渡せば、感謝こそされ悪いようには扱われない。
 変わりゆく世の片鱗を振り返ることなく、晋助の背を追った。





 連れてこられたのは鬼兵隊再興に関わるパトロンの一人の屋敷だった。
 裏から入り、すれ違う女中に件の人間がいることを確認した晋助は、真っ直ぐにどこかへ向かって歩く。
 道中、どんな人間なのか聞いてみたが、会えば分かるの一言だけ。追求したところで答えが帰ってこないのは明白なので、言葉を交わさぬままに足を進める。

 広々とした屋敷の、隅にある土蔵の前で、晋助は足を止めた。
 何を言うでもなく晋助は扉を開ける。明り取りの窓は細く小さいが、蝋燭か何かで部屋を照らしているらしく中はぼんやりと明るい。晋助の身体に隠れ中の様子は見えないが、目的の人間の姿を晋助が捉えたのは感じ取れた。

「またこんなところにいるたァ、鼠の仲間入りでもするつもりか?」
「人がどこに居ようと勝手だろう。ここが一番落ち着くんだよ」

 晋助の呆れに、高い声が返ってきた。
 それだけでは男か女かはっきりとしないが、年下には違いない。
 中をのぞくと、猫と戯れる狐が一匹…もとい、狐の面をつけた男がそこにはいた。

 髪は黒。背は晋助と同じぐらいか或いは上か。鶯色の着流し姿で、何より目を引くのは狐の面。
 この場所では誰と会っていたわけでもないだろうに、ただ視界を狭めるだけの面をつけているとは酔狂だと思った。

「久しいね晋助。変わりないようで安心した。ところで、隣の彼は一体誰?客人?」
「いや」
「この家の人な訳はないし、かといって部下って感じでもなさそうだから………僕と同じ、かな」
「あァ」

 それ以上晋助は説明をする気はないらしく、柱を背に静観の構えを見せてきた。

 男は晋助から拙者へと視線の先を変える。
 そして仮面越しに目が合い、異質を感じ取った。

「これは驚いた」

 思わず口から零れ出た言葉は、止まる術を持たなかった。

「耳が痛いほどの無音。息遣いさえも聞こえてこないとは…、」

 まるで物の怪か死人と相対しているようだ。
 そう思ったが、口には出さずにおいた。晋助の面白げな視線も気に掛ったが、それ以上に………いや、気のせいだろう。

「変わった人のようだね。名前は何て言うの?」

 男は柔らかい口調で感想を述べた。

「拙者は河上万斉と申す」
「河上…人斬りの?」
「そう呼ばれることもあるでござる」
「へぇ」

 面の向こうの瞳が楽しげに揺れる。
 見たところ刀を振るうどころか走ることすらも不得手に見受けられる優男。だというのに人斬りと向かい合い、浮かぶ色は愉悦。酔狂としか言いようが無い。

「僕は東条叶。晋助の共謀者だよ。それで、こっちはシャミセン」

 よろしくにゃー、と東条叶は猫を抱き上げて無理やりに頭を下げさせてふざけた事を言う。
 サングラス越しに冷ややかな視線を送れば、会話はそこで終わり、沈黙が落ちた。

 この男の何を以って、晋助と組むに至ったのか。
 策謀家かと思い浮かぶが、それならそれで幾らでも人選はできた筈。何もこの男でなくとも…と思うし、それならばこの半年顔を合わせないわけはない。
 相変わらずの無音で、そのリズムは一向に聞こえてこない。
 いくら本心を包み隠したところで、人の本質は偽りざるもの…とここまで考え、懸念ともいえるこの己の思考が男から発せられる得体の知れなさに起因するものだと、今更ながらに気づいた。

 気づいてしまった後は、受け流すこともできず沈黙すらも重く感じる。
 そして無音に促されて、拙者は声を発していた。

「同じ、と言ったが、ならばお主もこの腐った世に憂いを感じる一人か?」
「憂い?」

 無音が揺れた。
 波紋は次第に大きなものとなり、聞流せないものとなる。
 あれは、やはり気のせいではなかったようだ。

「晋助。人選、間違えたんじゃないの?」

 ザァ、と。無だった男から発せられるは、砂を零したような音。

 問われた晋助は何も返さない。

「拙者が気に食わぬか?」
「とても。ここに来られるほどに晋助の御眼鏡に適ったということは、君はきっと優秀なのだろうけれど、僕は余り君を好きになれそうに無い」

 雑音が酷くなる。波打ちながら激しく強く。リズムも何もあったものではない。耳障りでただただ勢いを増していく。
 こんな音は聞いたことが無い。音に酔い、流されてしまいそうだ。

「この世界に憂い程度しか感じていないというのなら、僕の目に付くところにいないでほしい。目障りだから」

 東条叶はそのまま、拙者の前から姿を消した。
 行き先も告げず、また晋助も追及をしようとしない。
 共謀者、と言ったが、関係性がいまひとつ見えてこなかった。

「どうだった?」
「惰弱かと思えば、激情を秘める。ただしリズムなどなく、出鱈目な音すら発せられることもない。あるのは苛烈さのみ。お主の音と組み合わせたところで、到底不協和音にすらなりえぬ。
アレは何だ?」
「さぁな」

 明確な答えを持ち合わせていない様子で、晋助は曖昧に濁した。

「さっきの話だが。俺も叶に同感だ」
「しかし拙者に言葉を改めるつもりはない。
拙者が感じるは憂いに他ならぬ。聞こえてくるのは世界の腐りゆく音ばかり。
故に、拙者はこの世に引導を渡すのみ。それ以上でもそれ以下でもござらぬ」

 拙者が告げたそのとき。
 晋助の奏でる音が僅かに変化を見せた。

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