Chasm(in silver soul/京都編)|心から遥かな場所に本当のこと|主人公視点

 江戸を離れた僕らは、未だ天人の手が比較的伸びていない京へ向かった。
 隻眼の男に狐面の男。プラスで三毛猫。大道芸すらもしそうにない一行で目立つことこの上ないのに問題なく境を越えられたのは、周囲の環境情報にちょこっと手を加えているから。そう書くと仰々しいが、周囲の人間の意識が僕らから逸れるようにしているだけ。だけといっても十分に異常なことで…今更だが、明らかにおかしい状況なのに晋助が何も言わないのはどういうわけだろうか。説明しなくて済むのは助かるといえば助かるのだけど、疑問に持っていないわけではないはず。まさか異常に気づいていないほど愚鈍なわけはないし。
 面白がっているのだけは意味あり気な視線からわかり、結局真意はわからないまま京都に到着してしまった。

 戦火を逃れた京は記憶と変わらずに華やかで、白粉の香りを纏う女性が真横を通り過ぎる。
 しかし、かつての、僕の記憶にある京とはすっかり様変わりしてしまっている。それも当然のことで、この町は一度完全に焦土となったところ再興した街。名残などあるわけもない。

 しばらくの仮宿は女郎屋の傍の安宿に決まった。京都にも恩を売っておいた人間はいるが、今は使うときではないと判断して晋助に任せた結果だ。
 部屋の広さは六畳といったところで、調度品など一つもないから男二人が入ってもあまり圧迫感は感じない。ただ、窓は隣の建物と隣接していてほとんど光が入らず、雨漏りの跡が見える天井は一部が腐っており、ささくれ立った畳が痛い。隅に申し訳程度に置かれた布団はかび臭く、使う気にはなれなかった。
 適当な場所に腰を下ろし、壁に寄りかかると僅かに軋んだ音がしてすぐさま離した。震度3ぐらいの地震でも簡単に崩れるだろう。その光景を一瞬でも想像してしまって、仮面の下で頬の肉が引きつった。
 座る場所が決まったところで、肩の上からシャミを下ろし、ごろごろとその喉を撫でながら意思の疎通を図る。

「追っ手は?」

 今確認していたことを見透かしたように、晋助が訊いてきた。

「……無いようだよ。未だ高杉晋助は江戸にいると思ってるらしい」
「そらァ、滑稽なことだな」

 楽しげに。心底愉しげに。晋助は喉で嗤った。

 本当にどういうことなのか。
 どうやってその情報を手に入れたのか。晋助は聞きもしない。
 あるいは僕の情報を重要視していないだけかもしれないが、僕の言動にこれといって疑問を投げかけてくることが一切ない。
 干渉が無いのはやりやすいが、それだけに不気味とも言える。少し居心地が悪い。
 とりとめもなく考えていると、目の前で細く入り込む日光に埃がきらきらと舞った。
 そういえば、僕のことを"彼ら"は太陽だと称したな…と思い出し、日輪さえも憎く思えてきた。

 久々の京だからなのか、思考がいつにも増して後ろ向きだ。
 まだ日も高いことだし、今日は晋助も何も起こさないだろうし、散策にでも…と考えたところで、薄情なことにようやく彼女のことを思い出した。

「少し、出かけてくる」
「今度は何の悪巧みだ?」
「失礼だね。ただの墓参りだよ」

 晋助が意外そうな顔をした。

「僕に縁者がいるのはそんなに意外かな?」
「あァ」
「晋助は時々すごく失礼だね」

 苦言を呈すも、右から左へと抜けたそれは全く功を為さなかった。もとより、期待などしていなかったが。

「で?誰の弔いだ?」
「僕の妻だよ」

 会話が切れたところで外へ出ると、なぜか晋助は僕の後をついてきた。
 晋助の方から僕に対し同行の許可を求めるような言葉は無く、僕の方からも晋助の同行を拒否するようなことを言うこともない。旅とは違う…なんとも奇妙な道行だ。
 晋助にしては珍しい干渉に、ただの気紛れだろうと、僕は結論付けた。





「墓参りじゃなかったのか?」

 寺に入っただけで墓地へと向かおうとせず煙管を取り出した僕に、晋助は言った。

「空っぽの墓に花を供えるのは趣味じゃないから。これは線香代わり」

 言い訳は半分本当で半分嘘だ。
 空っぽの墓というのは本当。ただちゃんとある墓標に花を供えないのは、彼女の名前が有名すぎるから。まあ、彼女の墓を彼女のものと知っているのは、代々僕の言いつけ通りに墓守をしている住職だけなのだから、別に気にすることもないのだろうけど。きっと僕は彼女の死と未だに向きあえていない臆病者なのだろう。
 ゆらゆらと煙管から煙が昇る。彼女のところにも、この煙は届いただろうか。
 ぼうっと夕日に煙が溶けて行くのを見ていると、隣にいた晋助は飽きたのか、立ち上がって身体を伸ばした。

「俺ァ、ちょっくら出かけてくる。どうにも腰が軽くて落ちつかねェ」
「刀?」
「あァ。京なら、いい鍛冶屋の一人二人、アテはあるからな」

 晋助の知人というのなら、僕はついていかないほうがいいだろう。と、そのまま見送ろうとして僕は晋助を呼び止めた。
 訝しげな顔で振り向いた晋助に、僕は持っていた懐刀を差し出す。
 素手でも強いのだろうが、何かしら武器を持っていたほうがいいだろう。
 晋助は、何で使えもしないくせにこんなものを持っているんだ、といった顔をした後、それを受け取った。

 僕にとって、それはお守りのようなもので、使うためにあるわけではない。なので、かつての家臣から貰ったそれは、一度も血を吸ったことがない。鞘に彫りこまれた睡蓮も、昔と変わらずそこにある。欠けているところは一つもない。
 手入れは大してしていないが、錆びないように別の力で配慮してあるから、問題なく使うことができるはずだ。
 すらりと晋助によって鞘から抜かれた刀身は、鋭く茜色を反射させていた。

 いってらっしゃい、と手を振って見送ろうとしたが、その場から晋助は動こうとしなかった。

「珍しいモン、持ってんじゃねぇか」

 刃を夕日に翳した晋助は、新しい玩具を手に入れた子供のような顔をして、そう言った。
 元々刀の類を扱うことの無い僕は知らなかったが、どうやらいいものだったらしい。

「貸すだけだからね。あげないよ」

 念押しすると、けちくせェな、と晋助が笑う。
 そうは言われても、大事な思い出の品だから手放す気はない。

「それ、そんなに珍しいの?」
「ああ。人によっては喉から手が出るほど欲しいだろうさ。
戸津の銘は京都大火で全て失われたと聞いていたが、残ってやがったとはなァ」
「へぇ…そうだったんだ」

 京都大火、と聞いて何のことか分からない人間はこの国にはいないだろう。
 遡る事、約二百年。突如として京都を襲った謎の業火は町を覆いつくし、災厄の種を植え付け人々を苦しめた。その主犯は定かとされていないが、織田信長という説が有力である。有力、というのはそんなことをやりそうで、かつ実行可能であったのが信長しかいない……という消去法による推測で、これといって信長が実行したという証拠や文献は残っていない。そのため真実は未だ謎のまま解明されていない……と、前に旅人から聞いた知識をまるで他人事のように頭の中で再生した。

「織田信長は何を想って、この町を破壊したんだろうなァ」

 独り言のようでありながら、それが問いかけなのだと短い付き合いだが僕にはわかった。

「さぁ。僕には皆目見当もつかない」
「想像ぐらいはできンだろ」
「さっぱり。僕は想像力があまりないんだよ」
「つまんねェ奴だな」

 溜息混じりに言った晋助は、刀を鞘に戻して懐に入れた。

「黄泉から還った六天大魔王…と自称してたらしいが、本当だったんじゃねェかと、俺は時々思う」
「珍しいね。晋助の口からそんな非現実的な考えが出るなんて」
「到底人とは思えねェ所業だからな。
地上には火の海を作り、毒を撒き……誰よりも何よりも壊し殺し滅し…特にこの京は塵すら残らなかったと聞く。しかしどうやったのかは誰にもわからず、本当に信長がやったのかすらも定かじゃねぇ」
「本当はどうだったんだろうね」
「二百年も前のことだからもう分からねぇが、そんなことは問題じゃねぇ。あれだけの大事をやったのが信長だと、思われたことだけで、魔王らしいじゃねぇか。
天下取りに御執心だったようだが、目的が達するや否やあっさりそれを手放しやがった。
その後の消息は不明。いついなくなったのかすらも、誰にもわからずじまい」
「あれ?君は俗説の方を信じているの?」
「ああ。その方が、魔王らしくて俺ァ気に入っている」

 まさか僕と信長を結び付けているはずはないが、こうして語るのは微妙な気分だ。

「魔王は何処に行ったんだろうな」
「さぁ。黄泉に身を潜めて、現世の地獄を見て嗤ってるんじゃない?」

 僕の言葉に晋助は口の端を上げるだけで、返答は一切無かった。

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