Chasm(in silver soul/京都編)|はつ恋の刷り込み|主人公視点

「最近よく出かけているが、何を企んでやがるんだ?」

 一歩外に出たところで、戸口に座り込んでいた晋助に声を掛けられた。
 姿を見かけないと思ったら、こんなところにいたのか。

「こんなところにいて、誰かに見つかったらどうするのさ」
「俺がそんなヘマすると思ってんのか?」
「思っていないよ。万が一にも無いのはわかっているけどね」
「ならいいじゃねェか」

 溜息交じりの苦言は、右から左へと抜けてしまった。
 江戸から少し離れた場所に拠点を移したといっても、ほとんど目と鼻の先なのだから、大人しく家の中に居て欲しい。
 襤褸屋のときと違って、シャミの遮蔽フィールドは解いてしまっているのだから。
 見つかるなんてヘマを晋助がしないのはわかっている。見つかったとしたら、確実にわざとだ。

「で、一体何をこそこそとしてるんだ?」
「こそこそとは人聞きの悪い。
僕はちゃんと、出かけるときは"いってきます"、帰ったら、"ただいま"ってちゃんと言っているじゃない。
晋助の反応が全部"あァ"で、結構僕は寂しいんだよ」
「そらァ悪かったな」

 喉で笑った晋助は、そのまま"いってきます"と言って横をすり抜けようとした僕の喉に、鞘に仕舞ったままの刀を突きつけてきた。

「で?」

 二度も話を逸らそうとしたからなのか、獣の唸り声のような追求と共に晋助の目が鋭く光る。

 つい数週間前に自分の部下たちが首を晒されたのを見たからか。
 つい一ヶ月前まで攘夷戦争に参加していたからか。
 元々持ち合わせている気質のせいか。
 それら相乗効果なのか。

 原因はさっぱりだが、これ以上苛立たせるのは得策ではないとわかった。

「狼を飼いならしに。まだ野良犬なんだけどね」
「あァ?」
「ちょっと幕府側に仕込んでおきたいことがあるだけ。
まあ今日で最後。明日にはここを離れるから準備をしておいて。幕府の捜索網が明日にも広がるから」
「相変わらず、情報が早いこった」

 それ以上の僕の行動に対する追求は無かった。
 今のやり取りは戯れだったのだろうが、晋助は探るような視線を緩めることなく、僕に浴びせかけてくる。
 まるで今にも爆発しそうな爆弾を抱えている相手をしている気分だ。

 しかし、晋助は鉄の自制心でも持っているようで、我を忘れて飛び出しそうになったのは河原の一件だけで、共に暮らす今はそんな素振り一つ見せない。
 暮らす、といっても、同じ場所に居るといったほうが状況を正確に表していたように思える。
 交わす言葉は少なく。互いのことはほとんど知らない。
 僕は一方的に、僕の知るとおりにことが進んだのならという仮定の下でだが、晋助のことは知っている。
 まあ、それもとても極々僅かなことだから、知らないと言い切ってしまったほうが潔いか。

 互いに何も知らないと言っていい僕らだったが、目的の同一性だけは確信しあっていた。

「なァ、叶」
「ん?」

 思考に沈みかけた僕を、晋助の声が浮上させた。

「テメェの牙、奴らに見せんじゃねェぞ」

 挑戦的で心地よい晋助の睨みが僕を貫いた。

「心配せずとも、彼らに迎合することはありえないよ」

 すると、晋助は不敵にフッと笑った。
 同じように、けれど少しだけ種類の違う笑みを自分の顔に浮かべた後、傾いた仮面を直してシャミと一緒に森を出た。





「刀と身一つで江戸に出てきたって?馬鹿じゃないかな?」
「んだとテメェ」
「事実でしょ」
「ぐ……」

 ここ最近通い詰めている道場に行き、ここまでの経緯を聞いて言い放つと、土方十四郎は言葉を詰まらせた。
 一番最初に足を踏み入れようとしたときは、刀を手に全員で飛び掛られそうになったが、今ではそれなりに友好的な関係が築けていると思う。差し入れのおにぎりも、大いに役に立っている。
 一番最後までなかなかこちらに寄ってこなかった、瞳孔開きっぱなしの目の前の土方十四郎も、空腹と一緒に持ってきたマヨネーズに負けてお握りに手を伸ばしてくれるようになった。

 第一印象が最悪となってしまった原因は、彼らが僕を高杉晋助と間違えたからであった。幕府側も鬼兵隊の頭であった晋助を捕らえようと躍起になっており、"隻眼の優男"…とまあ余りにも大雑把過ぎる特徴だけが触れ回られている。
 僕も一応"隻眼の優男"で、隠しているほうの目も同じ。
 さすがにここに来るのに面をつけていては警戒心を煽るだろう、ということで狐の面を置いて彼らの前に姿を現したのが裏目に出て……江戸で大事を為そうとする彼らに高杉晋助と勘違いされて斬りかかられたという経過である。
 疑いはとてもあっさりと晴れた。というのも、斬りかかられたのに驚いて自分の足で足を引っ掛けて転んで昏倒…という間抜けなことを、彼らの前でしてしまったから。運動神経の鈍さが幸いして、もしかしたら人違いなのではないか、という疑いを彼らに持たせることに、文字通り無意識のうちに成功。それだけではなく寝ている間に身体も検められ、左目を包帯で覆っていること以外、傷跡一つなく、竹刀ダコもなく、さらに筋肉もない僕が戦場を駆け抜けていたはずはない、という結論に彼らの中で達し、和解に至った。
 こう思い返すと自分が間抜けでならない。本物の高杉晋助には絶対に聞かせるわけにはいかない。

「それにしても、何だか皆元気がないね」

 道場に入ってから昨日とはかなり違う空気が気になっていた。
 いつも快活で、喧嘩っ早い彼らが嫌に静かだ。

 親の敵のように、おにぎりにマヨネーズを盛っていた土方十四郎が、空っぽになった容器を床に置いて低い声を出した。

「………廃刀令が出されたのは知ってるか?」
「一応は」

 なるほど、そのせいか。
 身近な人間が全然気にせずに腰に差しているものだから忘れていたのだが……これが普通の反応だよなぁ。

「武士の魂を捨てろと、本当に幕府はそう言うのか」
「実際に言っているのは、将軍じゃなくて天人だけどね。まあ、大差はないか」
「……くそっ」

 湯飲みを床に叩きつけるようにして置いたものだから、ぴしっとヒビが入ったのが見えた。

「トロ君、それ最後の湯のみだから割ると近藤さんに怒られるよ」
「テメェこそ、その変なアダ名で呼ぶんじゃねェ」
「いいじゃない、十四郎って長いし。
まぁ、君がモノを大切にする精神を培ったら考えようかな」
「……そうかよ」

 やはり覇気が足りない。
 沖田総悟が縁側に行ったままさっぱり絡んでこないのも、調子が狂う原因か。
 似合わない陰鬱な空気が、道場に流れて、皆の顔に影が落ちている。

「なら、幕府に喧嘩でも売る?」
「売ってどうする。やられて、仲間全員死んで終わりじゃねぇか」
「だろうね。多少の先見があるようでよかったよ」
「馬鹿にしてんのか!?」
「多少」
「テメェ!!」

 掴みかかってくる土方十四郎の手を避けずに甘んじて受け入れる。
 襟が鷲づかみにされており、少し息苦しさを感じるが、僕が武道を修めていない人間だということで、無意識のようだが力がセーブされているようだ。

「お、おい!止めろ、トシ!」

 遠くから僕らを見ていた近藤勲が言い、少し投げ捨てるようにして土方十四郎は僕を離した。
 小さく頭を下げる近藤勲に、ぱたぱたと目の前で手を横に振って、口の形だけで"気にしないで"と伝える。

 不貞腐れたように、僕から顔を逸らして俯く土方十四郎の隣で襟を正し、頃合を見計らって、僕は彼らが食いつく甘美な言葉を投げかけた。

「剣を捨てない方法。無くは無いけどね」
「本当か!?」

 さらりと言った僕の言葉に、食いついたのは土方十四郎だけではなかった。
 予想以上の力を持って波紋を作り、道場全体へと波及し、皆が一縷の光を見出したように僕を見た。
 特にいつに無く素早い動作で腰を上げて駆け寄ってきた近藤勲や沖田総悟の勢いは凄まじく、僕は二人に押し倒されるような形になった。
 さりげなく沖田総悟は、僕に駆け寄るときに土方十四郎を足蹴にしていたことを追記しておこうと思う。

「けど、捨てないで済むだけだよ」

 言うと、意味を多少は掬い取ったのか、皆の顔が少しだけ曇った。

 ここで彼らが頷くかどうかは不確定だったが、分の悪い賭けとは思っていなかった。何しろ、これは規定事項なのだから。
 たとえ頷かなかったとしても、まあ僕が文を出した彼なら、何とかしてくれることだろう。
 僕の目的は、ここに小さな種を撒いて、言葉を植えつけておくことだけ。

 たっぷりと時間を置いて、近藤勲はゆっくりと口を開いた。

「お武家さんのようなご大層な御託を並べる気はない。俺達には…これしかないんだ」

 真剣に皆が近藤勲の言葉に聞き入っている。
 どうやら企ては上手くいったらしい。なら、僕の役目はここまでだ。

 伝書猫となってくれたシャミもタイミングよく戻ってきて、小さな鳴き声で静寂を割った。

「ふぅん」

 シャミの鳴き声に続いてあまりにも興味なさ気に発した僕の言葉に、目の前で土方十四郎が大幅なリアクションと共に脱力した。

「ふぅんって……そうだったな。テメェは武士じゃなかったな」
「なんだか差別的な発言が聞こえたね。さてと、僕はそろそろ帰るよ」
「おい!」
「ゴメンね。待たせている人がいるんだ。
それと、果報は寝て待てって言うから、あんまりその小さな脳みそで考えすぎないほうがいいよ。
ああでも、寝るのは剣の腕が鈍らない程度に。後、ご近所付き合いは大切にね」

 ぱたぱたと手を振って、彼らの言葉を聞き流し、手をすり抜けて道場を出た。

 どうやら何十年も前に会ったっきりの彼は、僕の文を受け取り、お願いを叶えてくれるようだ。
 情けは人のためならず、というのは本当だ。特に義理堅い相手には恩は売っておくものだなぁと心底思う。
 遠目にサングラスをつけた強面と赤マフラーを確認して、既に出立の準備を整えているだろう晋助の元へと向かった。

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