Chasm(in silver soul/赤葬編)|心の底に温かな記憶|xxx視点

 江戸城の門の前は物々しい雰囲気があった。
 それもそのはず、武装警察である真選組が江戸城を包囲するかのようにぐるりと包囲を固めて、アリ一匹通さないと言わんばかりの様相でいる。
 そして正門の前には局長と副長、第一隊の隊長、そしてもう一人、女の姿があった。
 女も隊服を身につけており、その型から隊長格以上の存在であることがわかる。
 四人は誰かを待ちかねているようで、時折道路の方に視線を向けていた。
 そして、状況に耐えかねて声を発したのは女だった。
 鈴木いずみ。それが彼女の名前である。
 彼女について特筆するべき点があるとすれば、それは真選組の隊服を着ていながら、大の真選組嫌いという点だろうか。

「あーあ。折角伊東参謀の許可もらって超特急で江戸に帰ってきたのに、高いお金出して新幹線めぐみに乗ってきたのにマスコミ関係の仕事で東条さんがいないなんて聞いてない」

 整った顔を歪めて、髪を弄りながら、いずみは文句を並べた。
 隣に立つ土方が紫煙を吐きながら、その不機嫌を宥めようと横に立つ。

「そりゃ、今日決まったからな」
「弄って遊べるザキさんもいないし」
「アイツは監察だ。護衛とは別任務についている」
「大体東条さんも東条さんです。私、ちゃんと手紙も出したんですよ?」
「俺もその手紙は読んだが、到着予定日は明後日だっただろ」
「酷い副長。私と東条さんの手紙を読んだなんて、プライバシーの侵害です。それに私の文字が腐ります」
「腐るかァ!!」
「そーでさァ。ヒデェや土方さん」
「重いです退いてください触らないでください半径二キロ県内近づかないでください」

 総悟が乗っかってきたの瞬間に、呼吸を挟むことなくいずみは低い声で捲し立てた。

「相変わらずだなぁ、いずみちゃんは。昔はあんなに仲良しだったのに」
「視界に入らないでください鼓膜を揺らさないでください息をしないで下さい空気が濁ります」
「死ねってか!?」

 近藤が頭を撫でようとした手を交わした瞬間、呼吸を挟むことなくいずみは言い放った。

「全く……紀州にいたときは近藤さんにも懐いてたってのに、いつからそんな風になったんだ?」
「死ね」
「何で俺だけそんなにストレートォ!?」

 何をしたでもない土方が叫ぶも、いずみは何も言わなかった。

「もー……お通ちゃんの一日局長姿が見られるって思ってたのに何で私たちお城の警備なんかしてるんですか。対テロ組織用武装集団が」
「お通ちゃんは、マスコットキャラクターの都合がつかなかったから、イベントを延期してほしいと連絡があった。警備は松平のとっつぁんからの依頼だ」
「プロ意識(笑)ってヤツですね。
あーあ、隊士の誰かをそそのかしてお通ちゃんをお手つきにして、近藤さんをストーカーやらなにやらの士道不覚悟で切腹に追い込んで、コレはもうお通ちゃんが局長やるしかないよね?って状況に追い込んで東条さんの傀儡政権を作り上げようと思ってたのに」
「何さらっと怖いこと言ってくれてんのォ!?」
「頑張って、局長の悪事を隅から隅まで余すことなく詰め込んだビラまで作ったんですよ。それも1000枚も。大損害です」
「スゲェや。よく調べたな」
「土方バージョンもありますけど、いります?」
「そこォ、悪魔に生贄捧げてんじゃねェよ!」
「ちなみに、なんで束ねてあるんで?」
「グリモアにしようかと。これで叩けばパァンって弾けないかなって」
「キャリアは弾けそうですがねェ」

 ビラを熟読し始めた総悟の横から顔だけ出した近藤が、恐る恐るいずみに聞いた。

「……いずみちゃんは、俺達のことがお嫌いなのでしょうか」
「お嫌い。とっとと失脚してその場所明け渡せ」

 近藤はそれを聞かなかったことにして、土方に話を振った。

「そういえば、トシ。俺、今日の警備の目的聞いてないんだけど」
「局長が知らなくて俺が知ってるわけねェだろう」
「ああ、徳川茂茂公のお見合いがあるんですよ」
「何で知ってるんでィ」
「だって私、松平様とは仲良しですもん。ま、媚びうる相手を考えてるってだけですけど」

 部下のカミングアウトっぷりに、土方は最早何を言う気にもなれなかった。

「そんなことより、私だけ戻っちゃダメですか?ぶっちゃけ東条さんの所に行ってもいいですか?」
「ダメだ」
「長旅で疲労困憊の部下へのねぎらいもないんですね。酷い職場です」
「どこが疲労困憊だ。お前、そろそろ少し黙れ」
「しょうがないですねぇ。貴方の部下の管理能力が疑われれば、私の評価もまあ多少は下がるでしょうから、黙ってあげますよ」
「……いずみちゃん、そんなに俺達のことがお嫌い?」
「お嫌い。コンクリ固めでヘドロなお堀に沈んでください」

 無呼吸で一気に続けられた台詞に、再び近藤は肩を落とした。

「なら何で、東条のことは好きなんでィ」

 別に今までの一連の流れは恒例行事といっても差支えがないぐらいの流れなので今更咎めることはしないが、なんとなくの興味で総悟はいずみに聞いた。

「そんなこと……アンタたちにはわかんないわよ、一生」
「そこまでにしてやりな、いずみちゃん」

 到着した車から降りた松平が、仲裁に入った。
 あの独特の声が聞こえた瞬間、憮然とした表情を改め、声のトーンを一つ高くして、いずみは松平に今まで三人には一切向けなかった笑顔を向けた。

「お久しぶりです松平様!栗子ちゃんはお元気ですか?」
「……最近反抗期でねェ、彼氏ができたとか何とか言ってるんだよォ」

 反抗期の娘とは口を利いていないからか、久々の若い娘との会話に花を咲かせる松平。
 それを先程のやりとりを思い出したのか、三人は何とも言えない表情で見守っていた。
 そうして五分少々が経過した頃だろうか。乗ってきた車の運転席の窓が薄く開かれた。

「……松平様」
「おっとそうだった」

 運転手に声を掛けられた松平が姿勢を正せば、皆は統率がとれたように揃って背筋を伸ばして道の脇に下がった。
 ちょうど頃合いをみたかのように、城の方から老爺が一人出てきた。
 禿頭で頭にハートマークにも見える特徴的なシミがある。
 違和感たっぷりのそれに誰も突っ込みをいれなかったのは、それが誰であるのか知っていたから。

「お役目ご苦労」
「勿体無いお言葉にございます」

 扉が開かれ、老爺が乗り込む。
 そして予定では、そこで車が発進して門の奥に消える。はずだった。
 だが、予定外に後部座席の窓が薄く開かれた。

「ねぇ、あなた。おはなししない?」

 聞こえてきた女の声に、一同はそちらを注目した。
 まさか声が掛けられるとは思っていなかった一同は、互いに顔を見合わせ、代表して近藤が断りの文句を入れるべく口を開く。

「いや……その、こいつは礼儀も作法も弁えていないものでして……」
「いい。かまわないわ。おはなししましょう」
「………鈴木」
「わかりました」

 松平に声を掛けられ、いずみは助手席の扉に手をかけた。
 心配そうに自分を見やる三人を一瞬だけ鬱陶しそうに見て、いずみは笑顔を作ってみせた。

「大丈夫ですよ」

 いずみが乗り込むと同時に車は発進し、今度こそ門の奥に消えた。





 程なくして、別の門の前に到着した。
 これより先は幕府の要職についているものやその関係者以外は入ることができない。
 また、馬や車は降りる決まりとなっている場所でもあった。

「馭者は狐殿であったか」

 運転席から出てきて扉を開けた相手の顔に狐の面が張り付いているのを見て、老爺は言った。

「不思議なモノよな。埋木舎でモノを喰らって糞を垂れるしか脳の無かった儂が、今や幕臣……それもこれも狐殿のお陰だ」
「こちらにも利あってのこと。此度のこと、感謝する」
「何の。小娘一人、上様に献上するなど造作もない。ところで、これ小娘は狐殿の縁者で?」
「詮索無用」
「これは失礼」

 おどけて言う老爺に狐は何も言わずにさっさと車の反対側に回った。

「出ろ」
「……はい」

 鈴を転がすような声が返される。そして差し出された手を取って車の中から女が出てきた。
 日本人形が動き出したらこんな感じだろうな、と老爺は思ったが、当然口には出さなかった。
 道中の、突発的に乗り込むことになった女との"おはなし"も老爺は奇妙だとも思ったが、やはり当然のように口には出さなかった。

 老爺が女を伴い茂茂の待つ茶の間へと達した。
 茶の間を選んだのは、茂茂が仰々しさを嫌ってのこと。
 すでに茶の間に座していた茂茂は、付き合いのあるものには目に見えて分かるほどに硬直していた。
 その証拠に、部屋に入った二人には一瞥すらくれることはなかった。

「そう緊張なさらずとも、この顔合わせは形式的な物にすぎないのですから」

 老爺はもう既に決まっていることなのだと暗に示した。
 喜怒哀楽で表情の動くことのない茂茂は、やはり感情の起伏を見せず、そうか、と呟いただけだった。
 しかし、老爺にとっては思わぬ方向に事が動いた。

「ふたりだけで話がしたい」
「それは……」

 恩ある狐の手前、なんとしてもこの婚儀は成立させなければならない老爺としては、奥手の茂茂に甲斐甲斐しく世話を焼きたいところだった。が。

「将軍の余の命がきけぬと」
「……わかりました。では半刻だけ」

 そこまで強く言われては、大老と云えども逆らえない。
 期限を示し、老爺は部屋を出た。

 老爺が出て言ってから少しして、話しかけたのは茂茂だった。

「名は…なんという?」
「……ちかこ。そう言えって、言われたの」
「すると、本当は別の名前があるのか?」

 茂茂が問えば、女は黙った。

「言いたくないのなら、言わなくてもいい。けれど、ここで話したことは誰にも言わない。約束する」

 そう茂茂が言ったものの、女は名を口にすることはなかった。
 茂茂はそれに腹を立てることはなく、ただ近しい者なら分かる程度に肩を落としたようだった。
 女はそんな茂茂の様子は気を止めることもなく、ふわりふらりと部屋の中で視線を彷徨わせ……不意に部屋の隅に飾られていた花を示した。

「ほしいのか?」

 女は頷きだけで肯定を示す。
 茂茂は躊躇なく花瓶から生けられている花を引きぬき、女へと手ずから渡す。すると、女はゆるく口の端を上げるだけで微笑んだ。
 俯き加減の白百合は、その手の中で何かを懐かしんでいるようだった。





 老爺と女が去って後、車に残された狐といずみは江戸城の前で二人が戻るのを話しながら待っていた。

「……お久しぶりです、狐様」
「ああ。首尾は上々。感づかれてもいないようだな」
「……はい」

 狐の台詞で真選組の顔がちらついたのか、顔を顰めていずみは頷いた。

「しかし、存外長く京都にとどまったものだな」
「申し訳ありません」
「構わん。東条叶の監視については、既にその価値を失っている」
「そうですか。それは、なによりです」
「しばらくは江戸にとどまるのか?」
「ええ………まあ」
「不服か」
「狐様のお膝元というのは嬉しいのですが、真選組の連中と話をするのは気持ちが悪いです」
「人の記憶の蒙昧なものだ」

 そうそう、と狐は続けた。

「分かっているだろうが……江戸大火は今夜だ」
「承知しております」

 いずみは江戸城を睨みながら、腰の刀に手を添えた。
 二人が戻るまで、あと数時間。

「……あーあ。東条さんに会いたいな」

 いずみの呟きは、車のエアコンの風に溶けて消えた。

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