Chasm(in silver soul/ミツバ編)|そばだてた耳が震えてる|主人公視点

「苦しい?」僕は女に問いかける。
女は首を縦に振る。「ええ」
「辛い?」僕は女に問いかける。
女は淡く微笑む。薄く開いた瞼の奥に澄んだ瞳が見える。「すこしだけ」
「死にたい?」僕は女に問いかける。
女は静かに目を閉じる。「……いいえ」
「どうして?」僕は女に問いかける。
女は少しだけ深く息を吸って、弱々しさに反してしっかり答える。「うんと、幸せになるの。最後まで。最期まで。だから」
「不可解だよ。君はたった一人で死に逝くというのに。どうしてそんな安らいだ顔ができるの?」僕は女に問いかける。
女はハッキリと否定する。「私は、一人じゃないわ」
「君は一人だ。故郷に一人取り残され、今もまた同郷の人間も、君が愛する彼も、弟さえも傍にいないだろう?」僕は女に問いかける。
女はきっぱりと否定する。「そんなことはないわ。みんな傍にいてくれているもの」
「幻でも見た?」僕は女に問いかける。
女はまっすぐに否定する。「いいえ、そんなことはないわ」
「なら、この状況のどこを見て、一人じゃないなどと、本心から言うことができる。どうしてそれを甘受できる」僕は女に語りかける。
女は応えず、別の言葉を寄越してきた。「貴方は寂しいのね。そんな風にしていると、貴方は本当に一人になってしまうわよ」
「僕を甘言で絆そうと?」僕は女に問いかける。
女は淡々と否定する。「いいえ。……寂しいときは寂しいって、言わないとダメよ。ちゃんと言葉にしないと、伝わらないこともあるわ」
「不愉快極まりないね、君は」僕は女の胸ぐらを掴み上げる。大して力を込めていないのに、易々と女の体は浮かび上がる。

女はなにも言わなかった。ただ少し苦しげに眉を寄せ、けれどその反射的な反応さえも負担なのか、眉間の皺はすぐに消えた。

「もう一度だけ訊くよ。死にたい?」

僕は女に問いかける。

「いいえ」

女は明朗に、僕に言った。

「そっか……なら、」
「このどうしようもない擬物の世界で、」僕は女の胸に腕を沈めた。
「罪悪を抱き、絶望に縋り、無力に溺れ、」僕はゆっくりと病巣をかき集めた。
「前非の悔悟の中で恥辱に塗れ、」僕は総てをしっかりと掴んで貫いた。
「泡沫の生を貪り、現世の地獄を目に焼き付け」僕はそれを掴んだまま手を一気に引きぬいた。
「……今このときの選択に懺悔しながら死ぬといい」僕が手を離し……くたりと女の体はベッドに沈んだーーー……。





 病室を離れ、僕は河原にいた。
 すっかりよも更けて辺りに人通りはない。河原から一段上がったところに並ぶ電気の通った街頭が、場違いに木造の橋を照らしている。
 ぼんやりと水面を眺めていると、背後で誰かが砂利を踏んだ音が聞こえた。
 振り返らずともそこに誰がいるのか知っているから、誰かというのは間違いか。
 そして、空気の流れを感じて、相手が何をしようとしてるのかを察した。

「触らないほうがいいよ。これは病そのものだから」

 街灯に照らされた手首から先がテラテラと赤黒く光っている。
 躊躇いのような気配が、そのまま正面に回ってきた。

「こんなところにいていいのか?
真選組の奴らが、血眼になってオマエを探してんぞ?」
「それの無意味さを、誰より知っているのが君でしょ?」

 半ば予想がついていたのだろう。

「まあ………そうだよなぁ……」

 ポリポリと頭を掻きながら、一瞬だけ水面に視線を移した。

 既にシャミセンの遮蔽フィールドが張られているこの空間に、入ることができるのは一握りの人間だけ。
 僕を僕として認識できる人間だけ。
 そうすると目の前の彼の他には、あと二人。
 その二人が今日ここに近づくことがない。

 僕の顔に張り付いていた面が、ゆっくりと剥がされた。

 ギンジは僕の手に伸ばしかけた腕を一度下ろし、僕の正面に回ると、僕の顔に張り付いている面をゆっくりと取り上げた。
 抵抗はしなかった。
 細かった視界が広がり、目の前を風が通る。
 その風に促されるようにして顔を上に向ければ、赤い目と目が合った。
 笑いかけてみたけど、ギンジは無表情を崩さず、死んだような目をまっすぐにこちらに向けて来た。

「殺したと思った?」

 肯定も否定もせず、ギンジは呆れたようなため息を吐いた。

「もーちょい、方法選んでもよかったんじゃねぇの?沖田君や多串君は特にトラウマものだぞ」
「手っ取り早いほうが、いいかと思って。
それより、何かいうことは?」

 薄々気づいてはいたのだろう。元より、ギンジに対して隠すつもりはあまりなかった。
 元々ギンジに対して面の効果……面をつけているときは僕を僕として認識できなくするシャミセンの情報制御は、桂と同じく条件が外れてしまっていたはずだから意味が無い。
 そもそも隠そうが隠さまいが、ギンジは変わるはずがないと、知っているから。

「思い出した」

 ギンジはぽつりと、零すように言った。

「何を?」
「アンタが……叶が俺を助けたときに言った言葉だ」

 ああそういえば、瀕死の君を助けた時も同じ事を言ったのだったか。

「そう」

 意味もなく、聞きなれた口癖を息に乗せてみた。
 その先には、期待とは裏腹に沈黙しか無かった。

「それだけ?」
「それだけだ」

 会話の終わりに、そう、とまた同じ口癖を唇に乗せてみた。
 やはり、沈黙しか返って来なかった。

 それからギンジは僕に背を向けて一歩だけ歩き、そしてその場で両足を揃え、けれどこちらは振り返らずに僕に聞いた。

「疲れねーか」
「何が」
「憎んでばっかりで」

 ギンジから僕の顔は見えない。
 僕からもギンジの顔は見えない。
 近接相にありながらお互いを認識できない、そんな微妙な距離感でギンジは僕に聞いた。

「少し」

 息を少し吐き出し、紛れ込ませるように答えた。

「けど、止まらない。止まれない。止まりようがない。止まれるはずがない」

 そして直ぐに、息つくまもなく言葉を続けた。
 ギンジは僕の話しを全て聞いて、少しだけ顔を傾ぎながら上に向けた。
 目にかかっていた前髪が流れ、片目だけが僕の視界に映る。
 その視線の先にあった街灯のせいで、眩しそうに目を細めたのが見えた。

「んなもん、やってみなきゃわかんねぇだろ」
「かもね。けれど、何より僕は、止まる気もないんだ」
「アンタは、何がそんなに憎いんだ」
「全部だよ。この世のありとあらゆるもの、全て」

 感情を込めず、ただただ淡々と、ありのままに、言葉にする。

「全部全部全部。憎くてたまらない。我慢ならないんだ」

 ギンジは何も言わなかった。
 分かりきっていた事の確認作業が済んだだけのこと。
 それに対して感想も何もないのだろうけど、敢えて少しだけ意地悪がしてみたくなった。

「どうする?」
「……どうもしねーよ。俺が知っているアンタがしたことといえば、俺を助けたことと、沖田くんのねーちゃんを助けたこと」

 それ以外は保留だ、とギンジは嘯いた。

「その甘さは、いつか命取りになるよ」
「ならねぇよ」

 そこだけはハッキリと断言されてしまった。

「その自信、いつまで続くかな」
「俺の魂が折れない限りは」
「……そっか」

 最後に出てきたのは、自分の口癖だった。
 短いその単語まで確りと聴き終えたギンジは、僕に振り向くこと無くそのまま帰路についた。

index
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -