Chasm(in silver soul/赤葬編)|ワンダフルランデヴー|xxx視点
皆とはぐれた神楽と桂は、気づけば奇妙な空間に出ていた。
「ココどこネ」
先ほどとはまた違う、しかし江戸では見たことのない光景に思わず神楽はそう言った。
大通りを挟むように二階建ての煉瓦造り建物が立ち並び、見たこともない街灯が等間隔に並んでいる。
そして大通りには四本の線が等間隔に引かれ、遠くには車輪のついた箱型の乗り物が見えた。
木も植えられているが、太陽の光が届かない環境だからか揃って枯れて茶色の肌ばかりを晒していた。
先ほどの吉原と同様に、空を完全に天井で封鎖されているが、吉原とは違って至る所に設置されたスポットライトのせいで外と同じぐらいに明るい。天井に塗られた水色と白に近い砂の地面のせいで、明るいを通り越して目が眩むほどだった。
ほとんど条件反射のように、神楽は番傘をさしていた。
「眩しいし見たことないものばっかり」
「痛い。いい加減離してくれ、リーダー。これでは俺は河童になってしまう」
「おとなしく禿げろヨ」
「そんな身も蓋もない。ここは何だ?煉瓦の街か?それにしては人の姿がない」
「私に聞くなヨ。人はいないけど、猫だらけアルな」
神楽がそう言った通りだった。
時計屋の棚の上に。
鰹節屋の店頭の鰹節の上に。
食べ物屋と思わしき建物の屋根の上に。
ワインデパートメントと書かれた店の樽の上に。
大通りが交わる角の建物の窓ガラスの向こう側に。
道の脇に生えている横長の隙間の開いた縦長の黒い箱の上に。
いるのは猫ばかり。
「なるほどわかったぞ。ここは肉球ランドか!肉球が俺を呼んでいるのだな!
待ってろ肉球!そして俺を優しく包み込んでくれ」
「そのまま圧死しろヨ」
軽口を叩き合いながら二人は大通りの真ん中を歩いた。
無数の縦長の瞳孔が訝しげに二人を見守る。襲いかかることはなくただ見守るだけ。
それに一種の不気味さを感じながら足を進め、そうして立ち並ぶ中で一番大きい建物に辿りついた。
ちょうどこの空間の真中にあるその建物はやはり煉瓦造りで白っぽく、色調を合わせるように屋根は灰色だった。
一階の入り口を中心にして等間隔に並ぶ、茶色の大きい窓の前には白い鉄柵がある。窓はガラス張りだが、江戸で見るようなガラスとは違い、透明なのにどこかデコボコしている。
二階に目を向ければ白い手すりのついた狭いバルコニーがあり、大きな看板が掲げられていた。
「しゃーきくしんのあさ?何アルかコレ」
「さあな」
看板には難しい漢字が使われていなかったため順番に神楽は声に出して呼んでみたが、どうにも何の建物なのかさっぱり分からない。
二階の窓の方に視線を移して、その中の一つが開け放たれ、そしてその奥に人影を見た神楽は銃の仕込まれた傘を構えた。
「そこにいるのは誰アルか」
神楽の声に気づいた影は少しだけ角度を変え、片方の肩を晒した。
濃紺の矢絣の着流しは小刻みに揺れている。どうやら笑っているらしい。
そして顔を向けることはなく二人に問いかけた。
「こんな死んだ町に何の用だ」
「その声……高杉か」
桂も、身体に仕込んだ小刀を抜いて構える。
身動きの取りにくい格好を脱ぎ捨て、いつもの薄い青色の着流し姿となる。
「なるほど。ここがお前の潜伏場所、というわけか」
相手は一度、室内に姿を消したが直ぐに二人の視界に戻る。
今度は正面から全身を晒し、片目で二人を睨めつけた。
「違うな。俺ァ今日、初めてここにきた。
本当はお空に浮かんで、江戸に真っ赤な彼岸花が咲くのを見ながら月見酒を洒落込もうと思っていたんだがなァ」
「オマエ、ここで何してるアルか。言わないと……」
「止めておけ。ここを壊せばうるさい奴がいる」
「左様」
聞こえてきたのは別の声。低い声。
聞こえてきたのは背後から。最初に相手の影に気づいたのは桂。
「危ない、リーダー!」
桂が神楽を庇うように飛び退けば、刹那の後に二人のいた場所には大鉈が深々と地面に突き刺さった。
相手の姿を見て、神楽は思わず口に出す。
「定春よりでっかいわんこ」
大きな犬、とそう神楽は見たが、実際は狼頭だった。狼なのは頭だけではなく全身で、唯一手だけがヒトに近い形で鈍色に光る大鉈を握っていた。
ゆうに三メートルはあるだろう巨体は他の天人同様に二足で立ち、身体に黒色の西洋風の甲冑を纏っている。
甲冑で覆われていない頭と足首から先は灰色の毛で覆われ、顔だけ隈取のように白い毛が生えていた。
「その姿、豺狼族か。そんなものまで」
相手が何であるか判別した桂は一度そこで言葉を止めて、嘲るように続けた。
「豺狼族が堕ちたものだな。孤高を心情とすると聞いたが、辺境の星の下僕となったか」
「豺狼が堕ちたのであれば、ヒトは愚鈍ばかりを身にやつす」
「目的を、力を、理を、そして何より光を忘却し、更に己を失ったことにすら気づかない。元より手にしていたことすら知らなかった。実に愚かだ」
二人を厳しく睨みながら、豺狼族の巨兵はナタを構えた。
「去ね、成り損ない。そして持たぬ者」
全力で振るわれた刃は二人には届かなかったが、大きく空気を揺らし、二人の身体と意識を吹き飛ばした。
「神楽!」
銀時の焦ったような声で神楽は目を覚ました。
横にいる露草も同様に、心配そうな面持ちで神楽を見守る。
「あれ?わんこ……」
「何寝ぼけてんだ?」
起きた途端にキョロキョロと辺りを見回す神楽を見て、遠くから桂を引き連れてた新八がほっとしたような顔を見せた。
「銀さん、桂さんも見つけました!」
「おお!無事だったか、リーダー!」
銀時は神楽にどこに行っていたのか問いただすが、どうにも要領を得ない。
それよりも火急で対処しなければならないことがあるからと、そちらを優先することにした。
江戸大火の地図が見つかった室内から、他にも計画書が見つかった。
山崎はそれを持って先に地上に向かったが、いかんせん場所が多すぎることと時間がなさすぎることもあり真選組だけでは対処しきれない。勿論、見廻組などにも手を借りることになっているが、それでもやっぱり人数不足は否めない。
そこで銀時も出来る限りの人脈を使ってことにあたろうとしているのだと、不在だった二人に伝えた。
すると、
「我ら攘夷浪士とて、江戸の未来を憂う者。策は万全に整えておるわ」
そう言いながら、桂はおもむろに袖口に手を入れた。
ぱしゃ。ぴろりろりーん。
そんな間の抜けた音が響く。
「……桂さん。それ、誰に送ったんですか」
「エリザベスだ。もうすぐ……ほら、来た」
軽やかにエリザベスが吉原の屋根の上から飛び降りてきた。
手にしたプラカードで会話をするのもいつもの光景。どうやら桂のメールを受け取った直後に攘夷志士らに指示を飛ばしてこちらに来たらしい。それにしては早すぎるとは皆思ったものの、桂たちのやることだからと気にしないことにした。
「攘夷志士が表立って真選組に協力して、その、大丈夫なんですか?」
「案ずるな。変装はする」
「いや、アンタのいつも変装になってないから」
「はっはっは。俺はいつだって完璧だ。行くぞ、エリザベス!」
二人は揃って駆け抜けていった。
呆れ顔でそれを見送った銀時は、新八と神楽に向き直った。
「俺は露草さんと気絶してる兄貴を万事屋まで送ってから参加する。お前らは火消しの辰巳と合流しろ」
「分かりました」
「ラジャーネ」
銀時は露草の兄のいた部屋にあった地図で確認した別ルートを通るからということで、二人と別れた。
新八と神楽は入ってきた時のルートを辿って地上に戻る。
しばらく二人でかぶき町に向かって歩いていると、慌ただしく行き来する真選組とすれ違った。
そしてその中の一人を見とがめた。
「オイ、お前」
「あれ?見ない顔ですね」
二人は何度も顔を合わせることもあり、真選組の面子のおおよその顔ぐらいは把握している。
特に隊長格であれば、顔と名前が一致する。
だが、今すれ違った人間は隊長格の着る制服を纏いながら、二人の中で記憶していない人間だった。
その人物は足を止め、神楽を見下ろした。
「何なんです?貴方たちは」
「お前こそ何ネ。コスプレアルか?」
「それにお前、なんか生臭いネ」
「ならあなたは乳臭いわ」
「いずみ!!!」
遠くから聞こえてきたのは土方の声だった。
新八と神楽はやはり記憶にないと首をかしげ、いずみは怒鳴る相手に肩をすくめた。
「はいはい、今行きますよ」
いずみはもう神楽を目に映してはおらず、さっさとそちらの方へと向かっていった。
「新しい人かな?」
こういった騒ぎの最中、真選組の偽物でも紛れ込んだのかと勘ぐってみたが、どうやらそれは先走った行動だったらしい。
二人は気を取り直し、かぶき町へ向かった。
様々な人の尽力もあり、江戸の町は無事に朝を迎えられた。
発火装置は全て回収された。時折戦闘になったり、時折爆発したり。
真選組や銀時たち、そして"変装"をした攘夷浪士らが立ちまわって何とか解決を見せた。
あからさまな"変装"に気づいていない人間はいなかったが、指摘する野暮もいなかった。
すべてが終わる頃には真選組と見廻組、火消したち、そして銀時たちだけになっていた。
駆けずり回ったお陰で皆、煤と血のにおいが鼻に残っている。だから、後始末の見廻組と火消したちと別れた後は早々に家に帰って風呂にでも入りたいところだったのに、銀時たちが万事屋に戻ると、スナックお登勢の前に近藤と土方、沖田、そして山崎が先回りしていた。
「おうおう。お疲れの所、トップの方々がゴクロウサマ。みんなで揃って飲み会で?」
銀時の軽口に、物々しい雰囲気は変わらない。
「話が違うんじゃねぇのジミー?」
「それはそいつの考えだ」
申し訳なさそうに眉尻を下げながらも、山崎は銀時から目を逸らすことはなかった。
「万事屋さん!!」
スナックお登勢二階から、露草が顔を出す。そして制服姿の人間を認め、少しだけ悲しそうな顔をした。
「露草とかいったか。今回の件の重要参考人として、お前たちを連行する」
「それは……そうですよね。でも少しだけ、万事屋さんとお話させてくれませんか?」
「……五分だ」
土方は銀時たちから距離をとった。もともと十メートルはゆうに開いていたから、まあ気持ちといったところだろう。
露草は大きな黒いカバンを抱えて、二階から掛け下りて、銀時たちに駆け寄る。
ちょうど露草は土方たちに背を向ける形になり、露草が何をしても皆に丸見えとなった。
「本当にありがとうございました」
「こっちこそお礼を言いたいところだっていうのに……悪ィな」
「仕方ありません。それより、これを」
差し出されたのは鞄だった。
真っ黒な革製の鞄。持ち手が二本で、チャック式。猫を入れるのにちょうどいいぐらいの大きさ。大きく膨らんでいて、手に取ればずしりと重い。
誰も受け取る気配を見せないものだから、露草はぐいっと新八にそれを押し付けた。
「これは?」
「依頼料です」
「え、でもこんなに…」
「いいんですよ。もうこの先の私には必要のないものですし……ほんの、気持ちですから」
慌てて新八が返そうとするも、露草は素早く後ろに下がってしまい、新八の手元にカバンが残ってしまった。
それにしても古い鞄だ、と新八は思った。取っ手のところは擦り切れているし、チャックの金具も今にも外れそうだ。
新八は重いので持ち直そうとすると、取っ手がぶちりと切れて地面に落ちた。
それが反動になって、チャックの部分が裂け。
ごろり、とそれがカバンの中からゆっくりと転がりでた。
「ひっ」
それは人の首だった。
性別は男。顔に覚えはない。
驚いた新八は思わず尻餅をついた。
「ッツ、はははははははッ!!」
露草は突然笑い出した。
「いー反応!最高ッ!」
新八を指さし、お腹を抱えている。
銀さんは厳しい視線を露草さんに向け、神楽ちゃんも警戒を顕にしている。
遠巻きにしていた真選組も、転がりでた首に注視した。
でろりと濁ったような苦悶の表情を浮かべるその首には特徴的なハートマークのような痣があった。
「……井伊弼弼公じゃないか」
「ぴんぽーん。ゴリラさんだいせいかーい」
ぱちぱちぱち、と気の抜けた拍手をしながら、ようやく露草は笑うのをやめ、軽いステップで万事屋の二階の欄干に乗った。
斬りかからんとしていた沖田は、舌打ちをする。
悠々と、露草はアームカバーを外し、そしてそこに現れた片羽の蝶の刺青を見せるけるようにして腰に手を当てた。
「狐の仲間か」
「そ。いやぁ、アンタらいい仕事してくれたよ」
「俺達はスケープゴートにされたってわけか」
「ご明察」
馬鹿にしたような口調で、露草さんは銀時たちに言う。
「猫かぶるのも案外楽しかったよ。特に、そこのアンタが俺から傘受け取った時のうれしそうな顔って言ったら……今思い出しても笑いが込み上げてくる」
「アンタ!!」
「だって、劣等感塗れの同族なんて、笑いの種にするぐらいしか使い道ないっしょ」
「……同族?」
「同族。俺もアンタと同じ夜兎蔟だよ」
「だってあんなにお天気で、日傘もナシなんて!」
「同じこと、アンタの兄貴にも言われたよ」
話をしていると、露草の後ろで"露草の兄"が起き上がった。
「………火事は?」
「見事失敗。ご愁傷様」
「つまりうらの負けってわけか。お前の顔が見えた時に、ヤな予感はしたんだよなぁ
裏の裏の裏をかいて彼処なら見つからないと思ったんだがな」
「その"うら"っていうのやめないと、また狐さんに怒られるよ」
「うっせぇよ、深縹。ああ、今は"露草"か?まあ何でもいいや女装男。
ったく、狐の旦那の考えることはわからねぇな。
この声なら手錠が必須だとか、一人称は小生にしろだとか」
「狐さんの考えを見通そうなんておこがましいんじゃない、真逆サン」
露草は真逆と呼ばれた男を抱えて屋根に反対側の屋根に飛び乗った。
夜兎だけあって、身が軽い。
「なんで寝起きに斬りかかられてんだ、俺ァ」
「俺がネタばらししたからじゃね?」
二人に接近せんと急いで皆で屋根に登ろうとするが、遠くからヘリコプターが近づくのが見えた。
恐らく屋根に登り切るより前に逃げられてしまうだろうことは明白で、銀時は再び地に足をつけて、露草を睨みつけた。
「なあ。幾つ俺達を騙してたんだ?」
うーん、と悩むような仕草をしてから露草はまあいいかと口を開いた。
「依頼は本当。こいつを探して欲しかった。かぶき町あたりにいるのは分かってたから。
江戸大火を止めて欲しかったのも本当。あれは狐さんの本意じゃない。
騙してたのは二つかな。
一つ、こいつは兄貴じゃない。二つ、俺は女じゃない」
「こんなに可愛い子が男の子の訳がないってか?」
笑えねぇな、と銀時が呟く。
真選組がようやく二階に達した所で、二人の上空に達したヘリコプターから縄梯子が下ろされた。
「じゃあな、おバカさんたち」
せせら笑うように言い、二人は皆の前から姿を消した。
後日、江戸城の一角に井伊弼弼の首から上のない遺体が見つかった。
その場所の名は、桜田門。