Chasm(in silver soul/赤葬編)|探さないかくれんぼ|志村新八視点

 桂さんに連れられた先は、かぶき町とは違う欲にまみれた場所だった。

 地下遊郭吉原桃源郷。
 中央暗部に支えられ、幕府に黙殺される超法規的空間。
 常夜の町といわれるのは、なにもその町の性質からだけではない。
 星どころか月すら見えない分厚い天井は、当然のことながら日の光など差し込まない。人工灯だけが町を照らし出している。

 その町の裏を僕らは無言で歩いていた。
 表の華やかさは微塵もなく、陰鬱な空気が満ちている。
 客引きの遊女の手が時折絡みついてくるが、そのどれもが病の色が濃い。
 すっかり縮こまってしまった神楽ちゃんや露草さんを守るように、案内の桂さんが先頭で銀さんが最後尾、僕が真ん中に立って一列に歩いた。

「ところで、何のつもりですか」

 誰一人として突っ込まないので、代表して僕が桂さんのそれを指摘した。

「何がだ、新八君」
「その格好ですよ!」
「変装に決まっている。ここではヅラ太夫とお呼び」
「お呼び、じゃねぇよ!」
「気にするなよ、新八。上の格好と大して変わっていないだろうが」
「まあそうですけど…」

 どこかのオカマバーで見る女装との違いは、帯の結びが前か後ろかぐらいのもの。あと、歩きにくそうな厚底の下駄を履いているぐらい。
 でも何で変装が必要なのかはさっぱりわからない。
 まあ、桂さんの奇妙な格好は今に始まったことではないので、黙ってその後に続くのが得策として、僕は口を閉ざした。

 右へ左へ。口を閉ざして道を進むうちに、次第に趣が変わってきた。
 彩色は抑えられ、神社仏閣のような建物が混沌と建ち並んでいる。
 鳥居が連なったような道まであるそこは、吉原桃源郷とは思えない。
 人っ子ひとり獣一匹いない空間は、妖怪が出そうな気配さえ感じる。

「ここは随分違うんですね」
「そうだろうな。向こうとは違い、ここは狐の息がかかっている。見ろ」

 そう言って桂さんは、今くぐったばかりの鳥居の一部を示した。
 塗られたばかりのような朱色。その柱には上を向くように金色の片羽の蝶が舞っている。

「アレは狐が好んで使う蝶の紋だ」
「縄張りにマーキングってところか」
「そろそろ声を抑えろ。ここは禁踏区域だ。見つかれば殺される」
「何怖いこと言ってるんですか」
「見つかればの話だ」
「じゃあ」

 神楽ちゃんの声が通る。

「アレは?」

 神楽ちゃんの指の先には、一人の影。
 向こうもこちらを指さしていた。
 これは。
 確実に。

「逃げるぞ」

 真っ先に逃げ出したのは桂さんだった。
 動きにくいだろう着物を物ともしない猛スピードで駆け抜ける。
 僅かの後、僕らもこぞって逃げ出した。
 追いかけてくる気配はないけれど、桂さんの足は止まらない。
 そうして走りに走って、僕らは誰かにぶつかった。

「いたたたた…いきなり立ち止ま…て…何してるんですか、山崎さん」
「旦那たちこそ………って、早く逃げないと!五人に追いかけられて」
「僕らの方も一人に追いかけられて」
「「………今のって、もしかして山崎さん(新八君)?」」

 なんだ…と僕らは声をハモらせ、同時にその場にへたり込んだ。
 地味同士。妙なシンクロニシティを発動させてしまった。

「こんなところで奇遇ですね…ってわけじゃないですよね」

 言えば、神妙に山崎さんはうなづいた。
 直ぐにそれは崩れて、呆れたような表情に変わる。

「旦那方も、相変わらずいろんなことに首を突っ込んでるみたいですね」
「山崎さんもやっぱり、京都大火再現の件?」
「ええ…まあ。"江戸京都大火を再現する"そんなタレコミが真選組にあったんですよ。
情報源については東条さんが調査中。で、俺がタレコミそのものを調査中」
「マヨ侍たちはどうしたんだよ」
「副長たちは……今はちょっと動けません。だから俺がこうして主犯を捜してるって訳」
「兄は主犯じゃありません!」
「………その人は?」

 問われ、僕らは口を閉ざした。
 真選組に事情を明らかにすれば、露草さんも捕まる可能性がある。
 そんな僕らの様子に察しがついたらしい。
 山崎さんは僕らから顔を逸らした。

「…こっからは俺の独り言ね。
俺は江戸を火の海から救いたい。そのために、手段を選ぶ必要はないって思ってる。
たとえば、協力してくれる人は、どんな人だって構わないって。そう思ってる」
「なら、取引といこうぜ、ジミー」

 にやりと銀さんが笑い、山崎さんの肩に腕を回した。

「そうですね……ジミーって、呼ばないんなら考えます」

 なんとも微妙な顔をして、山崎さんが言った。
 話がまとまった所で、僕らは歩き出した。

 先頭を立つのは山崎さん。主犯に心当たりがあるという。
 慣れたように歩く山崎さんは、道すがら色々なことを話した。
 例えば、このあたりを歩くのは初めてじゃないとか。
 例えば、このあたりは禁踏区域ではあるがめったに人はいないとか。
 例えば、このあたりから少し行ったところで扱っているのは陰間であるとか。

「例えば、このあたりで自分は働いたことがある…ってか?」
「んなワケあるかァ!!」

 人目憚らず山崎さんは銀さんの言葉に突っ込んだ。

「しかし、ホントに人がいねぇんだな」

 銀さんが思わずこぼす通り、大声を出したものの誰かが出てくる気配はない。

「あれ?俺の言うこと信じてなかったんですか?」
「信じてねぇわけじゃねぇけど、確証はなかったからな。
俺達はハンガー×ハンガーの主人公みたいに衣擦れの音が分かったりしないの。リオレオ的立ち位置なの」

 そうして銀さんと掛け合いをしているうちに息を落ち着けた山崎さんは、そういえば、と僕らに切り出してきた。

「珍しいですね」
「あ?何がだ?」
「いやほら、いつもならもう一人いるじゃないですか」
「もう一人って……あれ?神楽ちゃんは?」

 山崎さんに指摘され、ようやく僕らは神楽ちゃんの不在に気がついたのだった。
 ついでに言えば、桂さんもいない。まあ、桂さんに関して言えば、目の前に居るのが山崎さんであることを考えれば、そのほうが都合はいい。
 僕の思考と銀さんの思考は一部合致したようで、視線を交わして桂さんのことは口に出さないことを互いに了解する。
 けれど、神楽ちゃんの件については考えは一致していなかったようだ。

「どーせいつの間にかひょっこり顔出すだろ」
「そんな無責任な」
「探すっつっても、こっちが迷うのがオチだろうよ。なら、目的を先に済ませたほうがいいだろ」
「まあ……そうですけど」
「探すときには手伝うんで……とりあえず、つきましたよ」

 山崎さんが足を止めたのは、吉原桃源郷の"壁"にめり込むように立っている建物だった。
 対岸の"遊"の一文字が描かれている、人工灯で内側から明るい歪な建物とは正反対に、無数の窓からは暗闇しか覗かない。
 三階建ての赤色の総煉瓦造りだが、窓枠や柱の部分などのところどころ白い色の石が使われているデザイン。シンメトリーの豪壮華麗な建物で、統一感がある。灰色の煉瓦で覆われた台形の屋根は真ん中だけがアーチ状になっていて、中心には時計が埋め込まれていた。
 先程の寺院のような建物とも違うけれど、完全に雰囲気に合っていないとも言い切れない建物。

「なんだよこの、突っ込みに困る建物」
「さあ。目的はわかりません。見ての通り向こう側と違って大して使われてもいないようです」
「勿体ねェな」
「いいじゃないですか、入りやすくて」

 会話をしながら山崎さんはピッキングの道具を出した。
 カチャリカチャリと鍵穴に突っ込んだ工具を動かすと、ものの三秒で扉を開けてみせた。

「流石、監察」
「なんででしょうね。褒められてる気がしないんですけど」
「気のせいだ」

 中に入ると吹き抜けになっていて、外の光で照らしだされた空間に思わず溜息が出た。

「凄いですね。銀さんじゃないですけど、使ってないなんて勿体無いです」
「そーだな。ほら、呆けてないで行くぞ」
「あ、はい」

 銀さんに続いて煉瓦で造られた階段を上り、部屋の前に立った。
 部屋はやっぱり鍵がかかっていたが、山崎さんが同じようにピッキングして扉を開く。すると、窓際に腰掛けている男がこちらを向いた。
 両目は前髪に隠れて見えない。恐らく白いシャツに黒のスラックス。だらしなく第一ボタンが開けられていた。そして両手には木枠の手錠が掛けられていた。両腕を前で拘束されている分、動きの不自由さは後ろで拘束されるよりはマシだろう。
 そしてその人を見た途端、感極まったように露草さんが叫んだ。

「真逆……兄さん!!」
「いやいや、まさかって自分の兄貴だろうが」

 呼ばれた男は、はっとなったように露草さんの方を向いた。

「露草か」

 勢いよく、男に駆け出す露草さん。
 そしてあと一歩というところで、床に広げられていた紙に足を取られてすっ転び、そして男にタックルした。
 男は後ろに倒れ、硬い柱に頭を強打する。すごくいい音がした。
 そして無感動な男の首に、露草さんは細い腕を回した。
 無感動な男、というか……。

「その人、気絶してません?」
「ああああ、兄さん!!誰がこんな酷いことを」

 露草さんは今気づいたとばかりに男を揺り動かす。が、いい音が証明する通りにさっぱり起きる気配はない。銀さんが近づいて脈を取ったり瞳孔を確認したりして、問題ないことを確認した。
 それより、と僕らの視線は露草さんが足を取られた紙……地図の方に注がれる。

「これ、江戸ですよね」

 僕の呟きに山崎さんは頷いた。
 裏道まで詳細に描写された地図には、大量のバッテンが撒き散らされていた。

「……これってもしかして、放火場所の地図ですか」
「オイオイオイ。なんだよコレ」

 数十箇所にも及ぶ赤いバツに僕らは戦慄した。

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