Chasm(Another/IF)|ラブゲームを闊歩中、乙女。|志村新八視点
男、志村新八は、最近楽しみにしていることがある。
それがここ。万事屋裏手に突如として出現した、骨董屋兼定食屋という変わってた店にあるのだ。
コンセプトは不明。
味はそれなり。
ただツケが有効で何より安いこの店は、エンゲル係数だだ上がりの万事屋にとってなくてはならない場所なのだが…それ以上に僕はそこに最近働き出した市という女の子にあうのが楽しみだった。
いわゆる一目惚れというやつだ。
名前はお市さん。
やや後ろ向きな思考はあるが、その立ち振る舞いはまさにこの日ノ本で失われつつある大和撫子。
つきあいたいとかそんなことは………まああわよくば、ということがないわけではないが、目下最大の目標は、仲良くなること。
今日もまた、なけなしのバイト料を握りしめて骨董屋兼定職屋の前まで行ったのだった。
が。
「あー、悪いねぇ。今日は臨時休業」
いつもなら傘入れとして活躍する店の前の壺に座り、黄昏れている佐助さんにそう言われた。
扉には、急遽張られたと思われる乱雑な臨時休業の文字。
定休日もないこの店が、まさか突発的に休む、ということは休まなければならない事態が発生したと言うことで。
「何かあったんですか?」
「何がっていうか…兄妹喧嘩が始まっちゃってね」
困り顔に呆れを混ぜて、佐助さんは言ったのだった。
誰かの病気とかを心配して聞いてみれば、なんと言うことはない原因。
むしろそんなことで?と首をかしげたくなるような。
「仲裁とかしなくていいんですか?」
「いやぁ、無理無理。ほっとくのが一番ってね。まあ、やりすぎそうなら間には入るけど」
「僕が行って止めてきましょうか?」
「んー、それはあんまりお勧めしないかな」
へらりと意味深に佐助さんが笑ったそのとき、がしゃん、と中で何かが割れるような音が聞こえてきた。
その音に、後片付けが大変だなぁと、他人事のように佐助さんが呟く。
…って!
「さすがに手をあげちゃまずいでしょう!僕、止めてきます!!」
「やめときなって」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう!」
お市さんが怪我をするかも知れないじゃないか!
叶さんは女の子に手を挙げるとか、そんな人には見えなかったというのに…ちょっと心に軽蔑が浮かぶ。
これでも剣術は鍛えている。
それなりの修羅場も経験したりした。
叶さんに後れをとったりはしないはず、と力を入れて扉に手をかけた。
「叶さっ」
扉を開けると、横を何かが通り過ぎた。
お市さんだった。
「お市さん!?」
慌てて駆け寄り、その身を抱き起こす。
そして定食屋の方を見れば、叶さんが仁王立ちになって僕は眼中に入れず、冷ややかにお市さんを見下ろしていた。
「…なんで言うことが聞けないのかな、市」
ぞっとするほどに、暗く深い。
僕が見られているわけでもないのに、身体が硬直する。金縛りにあったように動けない。
「にいさまこそ、間違ってる」
僕がそんな情けないような状態だというのに。
ゆらり、とお市さんは僕から離れて立ち上がり、叶さんを見据えた。
というか。
お市さんの目も同じぐらいに怖かった。
「主張をするようになったことは歓迎するべきところだけど、それは間違っているよ市」
添えられる笑みは、場を和ませるどころかむしろ氷点下まで凍り付かせる。
そして僕は、次の瞬間に全身全霊全力を以て。
「味噌汁の味噌は合わせ味噌が一番。それに僕は猫舌だから、豆腐は入れないでほしいって言ったよね?」
「違う。味噌汁は豆味噌だって、長政様が言ってた」
脱力するのだった。
喧嘩の原因ってそんなことォォ!?
しかしばかばかしいと思えることほど本人たちには重要だったりするもので、至って真剣に、二人はにらみ合っていた。
つーか二人とも殺気でてませんか!?めちゃめちゃ空気が重いんですけどォォ!息苦しいんですけどォォォォォォ!?
お市さんは、さりげなく吹き飛ばされたときに一緒に飛んできたと思われるつっかえ棒を手に取って俯く。
それは大和撫子と言うより…四谷怪談のお岩さんだった。
「豆味噌も駄目。豆腐も駄目。だったらにいさまは市に何を作らせるの?
豆味噌でもなく豆腐も入っていないそれが味噌汁だなんて………………………………片腹痛いわ」
こわっ。お市さんこわっ!!!
「議論の余地は、無いようだね」
目を据わらせ、低い声で言われた最後の言葉に、背筋が凍った。
叶さんの手には竹箒。
お市さんの手にはつっかえ棒。
そして向かい合う二人。
「くくく」
「ふふふ」
「くくくくくくく」
「ふふふふふふふ」
「くくっ、あはははははははははははは」
「ふふっ、あはははははははははははは」
どこかの共鳴のように、揃って笑い出す…………こわ。ものっそこわっ!
「ふはははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
「ふはははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
僕のことなどまったく全然気がつかないように、空へ向かって哄笑する二人。
一度ふつりと、笑い声が止まり、互いに見つめ合い、
「「是非もなし」」
二人は揃ってそれぞれの獲物を構え、兄妹喧嘩を始めた。
それもかなり本格的なバトルを。
兄妹喧嘩…っていうか何これ。
「ね、無理でしょ」
慣れているのか、佐助さんは軽く僕に言った。
戦闘と称するべきだろう喧嘩は延々十五分続いていた。
基本的に叶さんが防戦に回る…と思いきや、鋭く隙に打ち込んでいく。これが真剣だったら、辺り一帯血の海だ。
そろそろ止めないとなぁ、とぼやいているのは佐助さん。
どうやってですか、と聞くと、黙って視線をそらされた。
そんな時だった。
「またやっているのか」
現れたのは、なんだかすごいもみあげの美丈夫。
佐助さんは、助かったぁ、と軽く言って道を譲ったのだった。
「市!今度は何が原因だ!?兄者も剣をお納めください!」
今度はってことは結構日常なんだ、とどこか冷静な頭が言葉を分析していた。
叶さんとお市さんは、もみあげの人の声に気がつかない。
完全に二人の世界に入ってしまっているようだ。
そしてやっぱりもみあげの人も、僕なんかまったく気がつかないように、怒り顔で二人に近づいていった。
叶さんとお市さんは、やはり接近に気がつかない。
そしてもみあげの人は、佐助さんが投げた木刀を受け取ると、佐助さんと同時にかけだし、二人の間に入っていった。
佐助さんは叶さんの竹箒を、もみあげの人はお市さんのつっかえ棒を、それぞれ受け止め力を均衡させる。
「いい加減にしろ市!」
「長政様?」
お市さんの目がようやく焦点が合い、すかさずもみあげの人―――長政さんというらしい、がお市さんの手からつっかえ棒を取り上げた。
叶さんも竹箒をおろして、さりげなく佐助さんがその背中を支えていた。
「今度は何が原因だ?」
「………お味噌汁。長政様は豆味噌で豆腐だって…」
長政さんは、眉間に深くしわを寄せた。
それを見て、お市さんがおびえたように俯く。
「市、長政様に喜んでもらおうと…」
「味噌が何であろうと私はかまわん。そんなことで兄弟が争うことが悪だ」
「ごめんなさい」
「…泣くんじゃない、市」
涙を浮かべかけたお市さんの前に、長政さん差し出したのは一輪の百合の花。
振り回されたせいか、花弁が一枚散ってしまっていた。
お市さんはそれを、こわごわと、けれどうれしそうに受け取った。
次に長政さんは、叶さんへと向いた。
「兄者。体は」
「そこまで動いてないから平気だよ。一週間は筋肉痛だろうけど」
「…ごめんなさいにいさま」
「いいよ。僕も悪かった」
とても些細な事で発生した骨肉の争い…いやいや兄妹喧嘩は無事に収束。
仲直りをして何より………というか。
「佐助さん。あの長政さんって…」
新キャラ登場に僕一人置いてけぼりだったので、叶さんを店の仲間で連れて行って戻ってきていた佐助さんに小声で聞いてみた。
「ああ、お市様の旦那」
な。
言葉を失っている僕に、楽しげに佐助さんは追い打ちをかける。
「残念だったねぇ。
相思相愛。亭主関白に見えて実は尻に敷かれてたりもするから、他人の入る余地はないよ」
僕が何を想っていたのかを知っていたようで、からからと笑いながら僕に言ったのだった。
こうして、僕の恋は終わった。
正直、終わってよかった。