Chasm(Another/IF)|ヒロインのスキャンダル|長谷川泰三視点

「邪魔するぜって…」

 いつものように空っぽの財布を抱えて、いくらでもツケのきくいつもの定食屋に入れば、なぜだかどんよりとよどんだ空気が定食屋には漂っていた。
 銀さんがカウンターで黙々と宇治金時丼を口に運び、となりでは真選組の副長がマヨネーズを親の敵のように乗せた丼を黙々と口に運んでいる。
 まるで単純作業のように、箸の上げ下ろしをそろって繰り返しているのは異様な様だ。

「二人とも、一体何を、」
「いらっしゃい」
「うおおおおあああ!?」

 いきなり横から声をかけられて俺は盛大に叫び声を上げた。
 暗い女の声が耳元で囁きかけられた、と表現すれば、俺が悲鳴を上げたのも無理からぬことと理解していただけるだろう。

「いけませんねぇ、品のない」

 くくく、と笑いながら顔を出したのは真っ白な死神だった。
 とはいえ、死神風なのは首から上だけで、首から下はピンクのエプロンを着用しているので、いろいろ台無しだ。

 案内されたのはカウンター。席はたくさんあいているというのになぜかカウンター。
 ちょうど男三人が並ぶという構図が出来上がった。

「ご注文…」
「あ、はいはい。んー、じゃあかけそばね」
「はい」

 筆を走らせ、足音の聞こえない足取りで奥へと下がる。
 いつもならここでタバコを吹かしながら銀さんとだべるところだが、話しかけられるような空気ではない。
 カウンターの向こうの包丁や湯が沸ける音がBGMとして重くのしかかる。

 それから程なくしてかけそばが運ばれてきた。

「おまちどおさま」
「あ、ああ」

 どんぶりに山盛りいっぱい。
 何この量。いやがらせ?

 文句を言おうかと顔をあげ、黒曜のような黒い眼でのぞかれて、また山盛りのかけそばへと視線を戻した。
 マダオというなかれ。

「食べないの?」
「い、いや、食うけどね」
「そう。ごゆっくり…」

 そう言って、なんだか影を背負ったウェイトレスは下がっていった。

 ついにこらえきれなくなった俺は、それでも度胸なく声を潜めて、隣の銀さんに話しかけた。

「なあなあ銀さん」
「んだよ」
「店主はどうしたんだ?つーか、あの二人誰なんだ?」
「知らねぇよ。いいから黙って食え」
「食えって言われても、空気が重くてなぁ」
「食べないの?」

 小声でぼそぼそと会話をしていると、いつの間にか戻ってきていたウェイトレスが横から声をかけてきた。
 また悲鳴をあげそうになったが、かろうじて喉で飲みこむ。
 数分前の問いかけが繰り返された。

「い、いや、食うけどね?」
「お客さんが料理を食べてくれない。にいさまに叱られる…これも市のせい」
「わ、わかったから!食うから!食うから、ね!」

 蕎麦を箸で持ち上げて口に運べば、ようやくウェイトレスは下がった。
 そのままもくもくと咀嚼を続ける。
 なるほど、二人が無言だったのはこういう理由かと納得し、今日この店に足を踏み入れてしまったことを心の底から後悔した。

「お味は、いかがですか?」

 低い声がカウンターの向こう側から聞こえ、反射的に首を上下に振りたくなった。

「それは何より…、隠し味にアレを入れた甲斐があったというものです」

 …何入れたのォォォォ!?
 めちゃくちゃ気になるんですけどォ!!!

「どうしたの?」
「なんでもないよ。なんでもないからね!」
「そう…お水は、どう?」
「いや、まだいっぱい…」
「お客さんが市のお水をもらってくれない…、これも」
「わかった!わかったからね!!!」

 コップいっぱいに入っていた水を一気に飲み干し、空のグラスを差し出す。
 すると、空っぽだったコップは再び表面張力ぎりぎりにまで水を注がれて戻ってきた。
 他の二人にも同様に…何これ、新手の嫌がらせ?

「おかわりは?」
「いや、その…」
「いっぱいあるから、たくさん食べて、ね」

 最後の、ね、の部分に言い知れぬ力を感じ、身震いがした。

「勘定を」

 そうこうしているうちに、マヨネーズ丼を食べていた真選組の副長が、すべてを食べ終えたのか立ち上がった。
 丼を除けば、米粒ひとつ残すことなくきれいに完食されている。おそらく俺と同じ程度には盛られていたはずだから…さすが、と心の中だけで拍手を送った。実際に拍手をすることはできなかった。マダオとか言うんじゃねぇぞ?
 声をききつけ、ウェイトレスが近づいてきて伝票を差し出す。

「はい」

 副長は一瞬目を丸くしたようだったが、何も言わずに札を取り出して渡す。

「……うまかった」

 絞り出すように感想を述べる副長。
 食べていたのはご飯にマヨネーズを大量にかけただけの代物だから、誰がつくっても同じだろうが…。
 とはいえ、この状況下で突っ込めるような勇者はいない。さしもの銀さんもプルプルと体を震わせながらも何も言うことはなかった。

「そう…また来て、ね?」
「ああ…そのうちな」

 真選組の副長がそう言えば、ウェイトレスは再びうつむき加減になる。
 そして、

「お客さんが、ちゃんと約束してくれない。明日も明後日も、お昼は来るのに、お客さんは来てくれない。
お店が嫌われてしまった………これも市のせい」
「「「「結局それかい!!!」」」

 予想通りの、まるでキメ台詞のようなそれに、三人の突っ込みが重なった。

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