Chasm(Another/IF)|生産性の無い恋に|風魔小太郎視点
午の刻。
いつもと同じ松の木に登り、その人間が顔を出すのを待つ。
決まったようにしか動かない行動範囲の狭いその人間は、やはり同じ頃合いになると庵の中から姿を現し、そして縁側に腰掛けた。
その人間は、外に出たからと言って何をするわけでもない。たまに笛を吹いたりもするが、大体は何もしない。ただじっと、腰掛けたままの体勢でいる。
今日もちょうど定位置にその人間がおさまったのを見てから、わざとらしく枝を揺らした。
「小太郎」
誰なのかを確信しているように名を呼ばれる。
それに応え、その人間の前に静かに降り立った。
その人間に再び声をかけられるまでに時間がかかったのは、目の前に下りた音が微細でわからなかったためだろう。
それでも、目の前に立つということは経験で確信していたようで、迷い無く声をかけてきた。
「半月ぶりだね。元気?」
返事の合図となっている鈴を一つ鳴らす。
それは肯定の意味。
相手へと伝わり、その人間の顔に笑みが浮かぶ。
「お祖父様や父上はお変わりない?」
ちりりと一度。鈴の音を響かせる。
そうするとまた、嬉しそうにその人間は顔をほころばせる。
「上杉に行った兄上の噂は聞く?そっちも元気でやってるのかな?」
問いかけに対し、間をおいて二回、迷い無く鈴を鳴らした。
やはり喜ばしそうに、その人間は笑みを浮かべている。
「そっかそっか。みんな元気か。それは何よりだ」
得られた情報を噛みしめ、その人間は屈託のない笑顔をこちらに向けていた。
その人間はまだ話し足りないようだったが、ちりりりり、と鈴を振って別れの合図をすれば、少しだけ残念そうにしながらも引き留めるようなことはない。
僅かばかり眉根を寄せ、また、といつものようにこちらに手を振る。
それを見届け屋根の上へと移動すれば、図ったかのように隣に迷彩の影が降りた。
「ずいぶんとお優しいことで」
影は口元ににやにやと笑みを浮かべながら言う。
先ほどまでの不躾な視線は、今もまだあの人間に向けられている。
「北条はとっくに滅んで、上杉は家督争いの末に景勝方が勝って景虎は腹を切らされて。そうなるようにアンタが仕組んだってことはなぁんにも知らないで可哀想にねぇ。とはいえ、知らないで暢気に笑ってるんだからそうでもないか。ま、おかげで武田は伝説の忍びを手に入れられたから何も言うことはないけど。
っと、わかってるって。あの子には何も教えたりしないから」
そうそうお仕事、と男は名前の綴られた紙を渡してきた。
「心配しなさんな。あの子には誰一人として近づけさせないって。ウチの忍びも結構優秀よ?」
ああそうそう、と立ち去ろうとしたところで何かを思い出したように男は目の前に回り込んで、こちらを下から覗き込んできた。
「アンタのこと。乱破って言ったのは撤回するよ」
それだけ、と言い、男はその場から消えた。
あの人間も、下女に促されて部屋の中へと戻っていく。
手の中では、体温の移った鈴が存在を示していた。