Chasm(Another/IF)|ろうとでも受け取れない青色|主人公視点

 悪夢としか、現状を報告できる単語を思い浮かべられない僕は、無駄に長く生きている割にボキャブラリーに不足していると嘆息を禁じえない。
 発想が貧困と言うのなら、甘んじてその謗りも受けよう。
 だからこのいかんともしがたい現状を、誰か何とかしてくれないかと、僕は切々と願ってやまないでいる。

 戦国の世から再び現代へ。
 きてしまったのは仕方がないと受け入れられたのは、この人がいたことのほうが住む世界が変わったことよりも大事だったから。

「どうしたのかね?」
「………いえ」

 何で僕は、高層マンションのダイニングでテーブルを間に挟んで、松永久秀なんかと食卓を囲んでいるのだろうか。
 全く以てわけがわからない。
 何がどうなってこうなったのか。
 原稿用紙が何枚かかってもいいから、懇切丁寧子細に渡って余すことなく完璧に過不足なく隅から隅まで、誰か僕に説明をしてはくれないだろうか。

「食わないのかね」

 視線で促されたのは朝食。
 こんがりといい焼き色のサンマは白い湯気を少しだけ立ち上らせ、茄子の入った味噌汁がその隣には並んでいる。
 家の中にほかに人間の気配はない。
 つまりは松永久秀が作ったと言うこと。

「久秀…さん」
「何かね」
「………いや、何でも」
「ならばさっさと食うといい。
そろそろ仕事に向かわねばならない。卿も学校に行かねばならぬ刻限ではないか?」
「そう、ですね」
「ギャラリーの方にいる。帰りは遅くなる」
「ギャラリー?」
「卿の記憶には残っておらぬか。今日は古伊万里の買い付けにゆくと、先刻告げたばかりではないか」

 先刻といわれても、気づけば椅子に座って朝食と久秀を目の前にしていたのだから仕方がないだろうと、心の中だけで愚痴る。

 そしてこの久秀は古美術商を営んでいるらしいことが、会話から分かり、ああ、と僕は心の底から納得してしまった。

 それから急いでそれなりに朝食を口に運び、揃って外に出てこの久秀を観察することにした。
 同じ屋根の下とか冗談じゃない僕としては、久秀が保護者を騙っているという可能性を心の底から望んだが、すれ違った住人も、井戸端会議を繰り広げる主婦も、汚い嘘とは無縁そうな子供でさえ、久秀の存在を受け入れている。
 そして、

「おはようございます」
「ああおはよう。卿は壮健のようだな」
「久秀さんもお元気そうで」

登校途中に出会ったキョン君もまた、松永の存在を受け入れていた。

 至って普通に会話する二人。
 置いてけぼりは僕一人。

 立ち止まって会話をしていると、キョン君の後ろから谷口君がやってきた。

「よぉ、キョン。…と?」
「松永という」
「東条のおじさんだ」

 初めて聞くその設定に、耳をふさぎたくなった。

「そうだな。卿からは軽挙をいただこうか」
「は?」
「こうして立ち止まっていては、遅刻をするのではないかね?」
「げ」

 慌てて時計を見れば、残るは五分。
 もうすでに校門は見えているが、急な上り坂は案外時間のロスとなる。
 キョン君と谷口君は二人揃って久秀に頭を下げ、なぜか僕の手を引いて走り出した。

「ねぇ、なんでキョン君は受け入れてるの?」

 久秀が遠ざかったところで声をかければ、わからないといった風に首を傾げるキョン君。

「何か問題でもあったか?」
「………別に」

 どう説明したものかと。
 これからどうしたものかと。
 いろいろなものが頭を巡り続けていた。

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