Chasm(Another/IF)|眠らない海でバタフライ|主人公視点

 いつもいつも。何もかもが、僕の与り知らぬところで決定されていた。
 それは何も涼宮ハルヒのいたあの世界に行った頃からと限定されることではない。
 究極を言えば、生まれたこともまた、僕が自らで決定したわけではない………とまあそこまで行くとネガティブが過ぎるだろうけれど、正直、いろんなモノに振り回されるばかりだ。
 今もまた、得体の知れない何かに振り回されて、僕は覚えのある風景を前に呆然と立ち尽くしていた。

「どこ…っていうか、目が見えてるし」

 視界は開けて、川向こうにはビルの群れが立っている。
 まるで今まで全てが夢だったのだと僕を嘲笑うかのように。
 思わず、怒りのままに僕は目の前の川に石を投げつけた。

「誰も彼も、本当に勝手なことだ」

 投げ込んだ石は写し込んでいたビルの風景を歪ませ、しかし数秒後には何もなかったかのように、再び高層ビルを写しとっていた。

 原因なんて分からない。
 理由なんて知りたくもない。

 現代に戻った…いや、再び来てしまったという事実の前には、そんなモノは等しく無価値だ。

 昨日まで見えなかったはずの目は見えていて。
 昨日まで無かったはずの高層ビルは立ち並んでいて。

 昨日まであったはずの寺はどこにもなくて。
 昨日までいたはずの人もどこにもなくて。

 決して住みよいわけではなかったけれど、僕はそれとしてあの少しばかり歪で狂った世界を受け入れ始めていた。それなりに愛着も感じ始めていた。
 その直後に手のひらを返したようなこの仕打ち。
 全てが夢だった、などと笑えるはずもない。

 がくり、と。
 僕は力なくその場に座り込んだ。
 水辺に映るのは、茶色の髪と目の、もう記憶に欠片ほどしか残っていなかった東条叶の姿。

「僕は東条叶で」

 その、この現代にはどこにでもいそうな、ありふれた若者の姿から目をそらしたくて、履いた記憶もない新しいスニーカーが濡れることにも構わず、川の中に足を突っ込んでバタバタと掻き回す。
 掻き回して、かき消そうとする。

「幸松丸で毛利元直で。けれど伊達輝道で。竜芳でもあって。けれど今はそのどれでもない…ッ!」

 ひときわ大きく足を掻き回せば、ばしゃりと頭から腐臭漂う水が降り注いだ。

 しかし、水面はやはり僕が動きを止めれば、頭から水を滴らせる茶髪の男の姿を写し取る。

「僕は…一体誰なんだ」

 もう何も分からない。
 足下にはあるはずの影がない。
 崩壊寸前のアイデンティティ。
 縋れるものは何一つとして……――

 ちりん。
 そんな鈴の音が、憔悴した僕の背後から聞こえてきた。

 振り返ったその先にいたのは、赤い髪の時代錯誤な格好をした長身の男。
 背には使い込まれた小太刀。立ち振る舞いには隙がない。

「こた…ろう?」

 返答は鈴の音色一つ。それは二人で決めた肯定の意志。

「僕が、わかる?」

 僕の震える声に、また一つ。鈴の音色が返される。

 その音色が愛おしく、すぐさまに川からあがり、駆け出して抱きつこうとし…鈍くさいことにその途中で足をもつれさせた僕は小太郎に抱き留められるような形になった。

 最初に襲ってきたのは罪悪感。

「ごめん。ごめんなさい」

 巻き込んでしまって。
 独りにしてしまって。

 間違いなくそれは僕の咎。
 今までの自分の不幸を、相手に押しつけ背負わせる最悪。

 けれど次に感じたのは他でもない安堵。

「ありがとう」

 巻き込まれてくれて。
 独りににしないでくれて。

 そのどちらに応えたのかはわからないけれど、鼓膜を振るわせたのは一つの鈴の音だった。

 それからぼんやりと二人で川縁から動かなかった。
 これからどうしようとか。どこへ行こうとか。
 決めるべきこと、考えるべきこと、それはいっぱいあったけれど、頭を空っぽにして過ごしていた。

 そんなときだった。

「東条?」

 懐かしい声が、聞こえてきたのは。

 振り返るそこには、少しばかり特徴的なあだ名を持つ、僕にとっては数十年ぶりの彼の姿。

「キョン君?」
「おま、マジで東条か!!?」

 ひどく驚いたように僕に近寄り、ぺたぺたと体に触って僕の無事を確かめてきた。
 背後からの接近に警戒した小太郎だったが、僕が無警戒なことと、キョン君があまりにも無防備だったから、背中の刀から手を放したのを僕だけが確認した。
 キョン君の足下には三毛猫の姿。

「シャミが、呼びに行ってくれたんだね」

 ありがとう、と言うと、猫の鳴き声が一つ猫らしく愛想程度に返された。





 場所は変わって、SOS団の部室。
 もちろんというべきか、いるのはキョン君に長門さん、そして古泉君。
 僕の登場についてあらかじめ聞いていたのだろう。古泉君はただ、おかえりなさい、とだけ僕に言った。

「なぁ、東条。タイミングを逃して聞いてなかったんだが、そいつは…」
「そうだね。紹介するよ。風魔小太郎」
「風魔小太郎ですか。いやはや、お会いできるとは光栄です」

 様になったお辞儀を小太郎へ向けたのは古泉君。

「風魔、って小説とかで有名な」
「その風魔」
「まさか伝説の忍びに会えるとは思っても見ませんでした」
「なんでそう、おまえはあっさりと受け入れているんだ?」

 呆れ顔のキョン君に、古泉君は柔軟性が大事だと返した。
 長門さんは特にコメントはないようで、無言を貫いていた。

「これから、どうしようか。
僕にとってはかなり前のことだから記憶が薄らいでしまっているけど、確か僕はキョン君の家に居候させてもらっているんだよね。
小太郎も一緒に…というわけにはいかないよね」
「まあ、厳しいだろうな」
「では、とりあえずの仮宿を機関の方で用意しましょう。かまいませんか?」

 古泉君の問いかけに、小太郎は何も返さない。

「とりあえず、二人分のホテルを用意してもらえたらって思うんだけど」
「その方が良さそうですね」

 相変わらずのポーカーフェイスで言った古泉君は、手際よくどこかに電話をかけて…そして驚きの表情を作っていた。

「どうした古泉」

 キョン君の言葉がおかしかったわけではないのだろうけれど、古泉君は静かに肩を揺らし始めた。

「何だ。いきなり笑い出したりして。気味が悪い」
「すみません。しかし、またしても涼宮さんには驚かされました。
実はお二人には内緒で、その方のことをいろいろと調べさせていただいたのですが」
「いつの間に」
「申し訳ありません。これが僕の仕事でもありますので」
「それで?何がわかったんだ?」
「僕も貴方と同じく、大概のことには驚かないとおもっていたのですが、さすがは涼宮さんといったところでしょうか。
風魔…いえ、これからは東条小太郎さん、とお呼びするべきでしょうね」

 首を傾げる面々に説明を加えたのは、事態を静観していた長門さんだった。

「今から二時間六分前。中規模な情報の改竄が観測された。
大きさは人間一人分。個体の体積からそこの風魔小太郎と合致する」
「つまり」
「そこの風魔小太郎さんは、この世界において確固として存在を確立されたというわけです。涼宮さんの手によって。
つまり、貴方は神によってこの世界の神に存在を許されたのです」

 まるでどこかの宗教家のようなことを古泉君は小太郎に言い放った。
 特にキョン君は胡散臭げな顔で古泉君を見ている。その表情に気づいたのか、古泉君は苦笑をこぼした。

「ウェルカム、とでもこの場は言うべきでしょうか」

 無言を貫く小太郎を仰ぐ。
 すると、鈴の音色がまた一つ、部室に響いた。

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