Chasm(in silver soul/紅桜編)|眩暈の終わり|xxx視点
来島また子は追い詰められいた。
先の闘争での敗北の挽回をと気負ったのがまずかったのだろう。
密会の場にて、些細なことで乱闘になったあげく、その場所を真選組に嗅ぎつけられて、作戦は失敗。
今は変装に使った鬘も、長い着物も脱ぎ捨てて、一心不乱にただ逃げることだけを考えて足を動かし続けていた。
だがそれももう限界に近い。
体力もそうだが、退路がすべて真選組に押さえられ、もう逃げ場というものが見あたらなかった。
「観念しやがれ」
そう、袋小路に追い込まれて、唯一の通路を真選組副長と隊長が並んでふさがれたところで、副長の方が切っ先を突きつけながら宣言をする。
「冗談じゃ、ないッスよ」
ここで捕らえられ、足手まといになるぐらいならば。
そう思い至った来島また子の行動は一つ。
二丁の拳銃のうちの一丁を米神に構えて引き金を……引こうとし、しかしそれはかなわなかった。
引き金に、自分とは別の指がかけられて引けないようになっている。
その時初めて、来島また子は自分の背後にいる人間に気がついたのだった。
「狐!」
そう声を上げたのは、土方か沖田か来島か。皆が目を丸くしているからして、その誰であっても不思議はない。
声をかけられた狐からの反応はない。
「離すッス…っ!」
狐は有無を言わせず来島の手の中から短銃を取り上げ、その銃床で来島の首を打った。
気を失う来島。
その来島を荷物のように担ぎあげ、他の人間には目もくれずに立ち去ろうとする……が、そうは問屋は卸さないというもので、立ちはだかったのは真選組に坂田銀時だった。
「よォ。久し振りじゃねぇか」
銀時の言葉に、狐は何の反応も示さない。
ただただ己の職分を全うすべく、その先へと行こうとする。が、それを阻んだのは真選組の双璧だった。
「悪ィがテメェらは仲良く監獄にぶち込ませてもらうぜ」
三方から狐は刀を突き付けられる。
攻撃のきっかけを作ったのは誰だっただろうか。示し合わせていたわけでもないのに、自然と三人は呼吸を合わせて狐に斬りかかった。
呼吸は合わせていても剣速には差が出る。
中でも一番小柄で、疾さには自信のある沖田の刀が真っ先に狐へと迫った。
だが狐はわずかの予備動作もなく跳躍し、悠々と頭上に空きのできた沖田と刀ではなく木刀で攻撃を繰り出した銀時の上を飛び越え、背後から迫った土方の刀を紙一重で交わした。
その足取りは、荷物を抱えているとは思えないほどに速く、軽い。
三人が次の攻撃態勢に入るころには、すでに狐の姿は三人から遠く離れていた。
真っ先にその白い背を追いかけ始めたのは沖田総悟。
動かなかったのは、土方十四郎。
「山崎!原田!」
「"わかってます!!"」
狐を取り逃したとわかった直後に土方はすでに無線を取り出しており、無線にて他の人間に連絡を取っていた。
「若いねぇ」
とぼやきながらも、銀時は沖田とは違い裏路地を走りだした。
場所は変わって、原田と山崎。
闇夜にぽっかりと浮かぶ白と赤が遠くから近づいてくるのを見て、身を引き締めていた。
「チャンス到来、ってね」
人海戦術により、もともとは来島捕獲のために展開されていた警戒網は狐の逃走経路を予め決めることとなり、狐が逃げ込んだ先に待ち構えていた原田と山崎がそろって攻撃を仕掛ける。
狭い通路で、先ほどとは違い天井もある。
その逃避不可能とも思える場でも、狐は一切の冷静さを失うことはなく、原田の懐深くに潜り込んで、その首に勢いよく攻撃を繰り出した。
狐の攻撃にあわてて回避行動に出た原田は、狭い路地で山崎と縺れ、倒れこみ、不本意ながら狐に道を譲ることとなる。
しかし攻撃をすれば、ただ走るよりも動きは鈍る。
そこに背を追いかけてきていた沖田の直線的で攻撃的な突きが背中に迫る。
狙われているのは左。心臓の真上。
だが、狐は、頭上を飛び越えた時と同じく、物理的法則の一切を無視しているような動きで、沖田の腹にに長い一本足の下駄の蹴りを沈めていた。
まさかの狐の攻撃に、一切防御の動作を取っていなかった沖田は撃蹴によってあっけなく吹き飛ばされた。
幸いにしてそこには原田と山崎がおり、衝撃を分散させることができたが、一番下になった山崎がカエルのつぶれたような声を発して気絶した。
沖田が身を起こすころにはすでに視界からは白い影は消えうせ、腹を抱えながら忌々しげに舌打ちをした。そうして肋骨が折れているのを感じながらも、よろよろと立ちあがって狐が逃げたと思われる方向へと足を進めた。
さらに土方によって展開された二重三重ともいえる包囲網を、狐はやすやすと突破する。
真選組の消耗は激しいというのに、狐には疲れが見えない。
「ったく、化け物かよ」
無線にて報告を受け続けていた土方は、思わず煙草をかみつぶしながら愚痴った。
そうして最後の関門へと、狐はさしかかっていた。
泳げるほどに深く太い川にかけられた大きな橋。向こうの岸には真選組の隊士は一切いない。つまり橋を抜けてしまえば、狐を捕まえる手だてはなくなる。
その橋の上には、銀髪の侍が木刀を携えて待ち構えていた。
「そろそろ終いにしようぜ。こちとら、テメェのせいで散々だったんだ」
銀時の愚痴にも、狐はやはり反応しない。
ひたすらに逃走すべく足を進めるだけ。
「無視はねぇだろ無視は。俺が恥ずかしい奴みたいになっちまうだろうがっ」
自分のすぐ脇を、視線をわずかにも寄こさずに抜けようとした狐に、銀時は木刀を振り下ろした。
やはりとでもいうべきか。狐は紙一重で交わす。
幾度となく繰り返される攻撃に、反撃する気配はない。
頭を狙われればしゃがみ、足を狙われれば欄干へと退避する。欄干が木刀によって破壊されれば、銀時の頭上を越えてその背後へ。しかしガラ空きの背中を見ても、先ほどの沖田の時とは異なり攻撃は入らない。
まるで何かを待っているようだと、銀時は次第に感じていた。
そうこうしているうちに、土方や沖田、そして真選組の人間が橋の両側へと集結する。
「さぁて、逃げ場はなくなったようだぜ?
残念だったなァ」
銀時の軽口にも、狐はやはり無反応だった。
それが、銀時の怒りを誘った。
「時間稼ぎかと思えば、お仲間がやってくる気配もない。テメー、一体何が目的だ?」
狐は応えず、欄干に上った。
「副長!あれ!!」
遠くから流れてきた小舟を真っ先に見つけたのは山崎だった。
流れのはやい川で、豆粒ほどの大きさだった小舟は徐々に輪郭を確かにしてくる。
その船で狐が逃げようとしていることは明白で、タイミングを計ったように狐は空中に身を躍らせる。
まだ橋の入口に立っている真選組は、狐の場所まで間に合わない。
間に合ったのはただ一人。
「待ちやがれッ!」
そうして繰り出された木刀は、狐の面をとらえ、そして弾いた。
狐が小舟の上に着地すると同時に、からん、とその足元に狐の面が落ちる。
その下から現れたのは、無機質な瞳だった。そして無表情という表情をつくる各種パーツが並んでいる。
「そんな面してやがったのか」
つぶやいたのは銀時。
すでに小舟は遠ざかり、その身を捕えることはかなわない。しかし月光に照らされた姿は、鮮烈に網膜に、脳に焼きついた。
真選組も真選組で、その顔を、姿を、脳に焼き付けるように狐をにらみつけている。
「その面、江戸の町で見つけたら叩き斬ってやらァ」
おそらく聞こえただろう沖田の物騒な呟きにもまた、遠ざかる狐は何の反応も示さなかった。
舞台は移って、高杉晋助が仮の宿とする船の上。
その薄暗い一室には、満月を肴に晩酌をする晋助と万斉がいた。
丑三つ時に差し掛かったころに、二人の前に音もなく狐はあらわれた。
余談ではあるが、狐の腕にはすでに来島また子の姿はない。この場に来るよりも前に、武市に預けてきたためだ。
狐は入口からまっすぐに、晋助、そして万斉の脇をすり抜け、そして、
「それで?そいつは一体誰だ、叶」
僕の前に立った。
晋助に声をかけられると同時に、僕は自分にかけていた情報操作を解いた。
光の屈折率の操作、という子供だましのような手だった、視覚情報に多く頼る人間にはかなり有効で重宝している。
現に先ほどまで真選組と"狐"の逃走劇を観察していた僕に、気づく者はだれ一人としていなかった。
通じなかったのは、盲目であった岡田似蔵と、人を音で表現する河上万斉。
今回もまた、晋助にだけ僕の姿を見えるようにしていたが、隣にいる万斉は僕の登場に驚いた様子はなかった。
「君が僕に言えないことがあるように…、僕も君に言えないことがある」
手を差し出すと、僕の代わりに狐の役を務めたシャミが、自分の顔につけた面をとって僕に渡してきた。
その面を受け取って顔につける。そこで初めて、僕は眼を開いてシャミを見上げた。
久しぶりの人の姿のシャミに、戦国の世に戻ったような懐かしさを感じる。
「ありがとう」
「そう」
相変わらずのやり取りの後、シャミは僕の横につく。
シャミの体で遮られていた視界が開け、少しだけ遠くから僕らのやり取りを見ていた万斉と晋助の二人の視線に気がついた。
「君が自らの傍に鬼兵隊を作ったのと同様、僕も傍にいるモノの一つぐらいあるさ。
僕は何もかもを自分でできる…なんて自惚れていたりはしないよ。そうでなくば、君と協力関係になったりもしない」
「どうだかな。てめぇほど、他人を信用していない人間もいねぇだろうよ」
「そうかもね」
次に、シャミから以前に回収を頼んでおいた紅桜を受け取った。
紅桜から感じられる情報生命体の脈動は小さい。
やはり早かったか、と嘆息を禁じえないが、回収は最優先にするべきだったから仕方がない。
「残念だったなァ。玩具が壊れちまって」
「本当に残念だよ。結果は芳しくない……非常に残念なことだ。
多少手心を加えたぐらいでは、有機生命体の脆弱性の克服には至らなかった、か」
刀身を月明かりに照らして確認していると、一つの強い視線を感じた。
「僕のやり方が気に食わないようだね、万斉」
「何。そのようにしか人を扱えぬ貴様を憐れんでいるだけだ」
「そう?僕には憤っているように見えるけど」
万斉は答えない。
「自分に欠けているものを求めるのは人の性。僕はただ、それに手を貸しただけ。
似蔵は刀になりたがっていた。だから僕はその術を与えた」
まさしく、
「本望、だろう」
万斉は応えなかった。
「それはそうと、河上万斉」
名指しされた、万斉は特に表情に変化も浮かべず、また何も言わない。
「君だろう?最初に狐の姿でギンジ…坂田銀時の前に姿を現し、狐の噂を流し、偽物の狐の面を僕の部屋に仕込んでおいたのは。
折角もう少しだけ遊ぼうと思っていた似蔵も勝手に持ち出してくれて……おかげでこっちは大損害だよ」
「さて、どうであったかな」
「君は嘘をつくのが下手だねぇ」
万斉はやはり表情を変えない。
「僕等は集合ではあるが、結合ではない。
僕は君と同じ、晋助の共謀者であり、互いが互いの理念を持ち、単に目的の一致だけを確認して動いているだけの関係だ」
「お主は何故、真選組に身を置く」
「ただの道楽だよ。とはいえ、たとえ遊びでも邪魔をされるのが一番腹立たしい。
言っただろう?足の引っ張り合いは御免だと。
だから、次に邪魔したら容赦しないよ。僕が君を生かす理由は何一つとして存在しない」
その僕の言葉が万斉の何かに触れたのだろう。
びぃんと、万斉は三味線の弦を外して攻撃の態勢をとった。
「ほう。まるでお主は拙者より強いと、そういうつもりか」
「いいや。僕は君よりずっと弱いよ。けれど、君は僕を殺すことは出来ない」
「たいした自信だ。過信ともいえる」
「これは事実を裏付けとしているものだ」
面の向こう側から万斉を覗けば、今まさに斬りかかろうとしていた万斉の動きが止まった。
「僕の障害となるならば是非に及ばす。
黄泉比良坂へ逃げる間もなく全てを無に帰させてあげるから…しっかりとその鼓膜と脳に焼き付けておくことだよ」
わかった?
と念を押してはみたものの、万斉からの返答はなく、晋助の愉快そうな笑いだけが空々しく響いていた。