Chasm(in silver soul/紅桜編)|慟哭の果てで花が枯れる|坂田銀時視点
「最近、真選組が静かですね」
そう言ったのは新八だった。
「そりゃ、何よりだな」
「ホントですよ。最近ずっと街中はぴりぴりしていましたし、仕事柄、朝方帰る姉上も心配でしたし……」
「お前ぇの姉ちゃんなら心配しなくても返り討ちにしそうだけどな」
「ま、まあ、それはそうですけど……銀さんも、叶さんの仕事が楽になるのでほっとしているんじゃないですか?」
そんな余計な一言を聞きつけた神楽がソファの上で顔を輝かせた。
少なくとも一月に一度はきていたはずの叶が、続く真選組の不祥事の後始末に追われていた…のは数週間前までの話。ここ1,2週間は、かぶき町で叶の姿をみたという話は、ぱったりと聞こえなくなっていた。
謝罪に回る必要がなくなったからとも考えられるが………俺にはむしろ別の可能性が頭の中をめぐっていた。
「叶はいつ来るアルか?」
「さぁな」
叶にすっかり懐いている神楽が、つまらなそうに口を尖らせていた。
懐いている理由には、いつもいつも大量の土産を叶が持ってくるから、というのもあるだろうが、一番の理由はやはり叶が神楽を全力で甘やかすからだろう。
仲のよい兄妹…というのは見た目だけの話で、実情はジジィとその孫といったところか。
今までの経歴を聞く限りでは、親兄弟にすら甘えるという経験が乏しい神楽にとっては、叶のような存在は貴重に違いない。アレが欲しいだの、あそこに行きたいだの…そういったこと全てを、いいよ、の一言で聞いてしまうのには問題がある気はするが。
うつむき加減で膝を抱える神楽の髪には、以前叶に渡された蝶の髪飾りが揺れていた。
「叶さんのことです。そのうちひょっこりと顔を出しますよ」
新八のフォローにうなづいた神楽は、何かを決心するようにすくっと立ち上がった。
「そうアル!会いたければこっちから会いに行けばいいネ!
行くよ、定春!!」
「おい、」
止める間もなく、万事屋を飛び出す神楽。
その背中を見送った新八がゆっくりとこちらを向いた。
「会いにって、真選組に行ったんでしょうか?」
「さぁな」
「銀さんは行かなくていいんですか?」
心配なんでしょう?と新八はあざとく主語を言わずに訊いてくる。
気づけば、足は絶えず貧乏ゆすりをしていた。これじゃ新八に気づかれるのも当然か。
「そういえば、今日ってジャンプの発売日じゃありませんでしたっけ?」
わざとらしく新八が言う。
わざとらしく新八がこちらに視線をよこしてくる。
………。
……………。
…………………。
新八の癖に生意気な。
そう思いながらも、俺は立ち上がって、すでに先週号のジャンプを机においていた。
「ちょっくらコンビニに行って来る」
「はいはい、行ってらっしゃい」
呆れたような新八の声を背に、俺は木刀を片手に万事屋を出た。
叶のいそうなところ…と考えても、これといってどこも思い浮かばなかった。
街中で会うことがないわけではないが、俺のいる場所に叶がやってくるという形。思えば叶の姿を探しに街中をぶらつくのは初めてかもしれない。
確実にいそうなのは屯所だが、絶対に会う必要があるというわけではないのに行く気はしれず、入れ違いにでもなれば目も当てられない、と足が向くことはなかった。
手に提げたビニール袋の中のいちご牛乳とジャンプが、じりじりと腕に負荷をかける。
じりじりと照りつける太陽が、地味に体力を奪っていく。
だというのに叶の姿は見つけられず、今更ながらに買ったジャンプが月刊であることに気づいてしまってやる気が駄々下がりだ。
「…ったく、何やってんだか俺ァ」
どかっと、大通りの脇の縁石の上に座り込む。歩いて帰るのもだるい。こんなことなら、原付で出かけるべきだった。
そんな後悔が渦巻く俺の前で、赤い人影が立ち止まった。
「お、銀さんじゃねぇか」
そう声をかけてきたのはマダオだった。
「いやいや、俺には長谷川って立派な名前があるからね?」
「勝手に人の頭の中を読んでるんじゃねぇよ」
言えば、さらにマダオと呼んだことにこだわりながら、断りもなく隣に座ってきた。
野郎二人が並んで座るという、ややぞっとする状態になったところで、やっぱり断り無く煙草を吹かしはじめるマダオ。
そんなマダオから視線を外すと、探していた東条の姿を発見した。
マダオと出会って運気があがったのだろうか?
大通りを挟んだ向こう側に神楽に発見された叶が定春に後ろから押し倒されている。
何やってんだ、とそのまま二人はすぐ近くの喫茶店に入り、俺たちの位置からでも見やすい席に座る。
神楽の指がメニューの端から端までをなぞる。ここからここまで、とかうらやましいことをしてるんじゃねぇだろうな?
とそこまで観察したところで、これじゃ、娘の初デートを見守る父親じゃねぇかと、自分で自分に突っ込みを入れた。
「そういや最近、真選組が騒がしかっただろ?」
そんな俺の様子を全く気にかけないKYが話しかけてきた。
「あれ、噂だと内部の愉快犯だったって話だ」
「相変わらず、真選組は税金を浪費してるってわけか」
「はは、元役人の前で厳しいねぇ。
で、その犯人の名前なんだが………なんつったかなぁ、確か…そうだ、東条だ」
「は?」
思わず、俺はマダオのほうを見た。
マダオは俺の変化に気づかず、さらに話を続ける。
「昔の知り合いのツテで話を仕入れたんだがな?
なんでも、その東条って奴が謹慎処分になった直後からぱったりと、辻斬りが出没しなくなったって話だ」
「へぇ…」
そりゃ初耳だ。
それじゃ、とマダオは何かやることでもあるのか、立ち去っていった。
あのチェックの入ったスポーツ新聞を片手にしているところを見るに競馬だろう。
そして大穴にかけようとしているようだから、スカンピンになって今夜は公園で肩を落としていることだろう。
「で、だ」
立ち上がると同時に足を強く踏み込んで、ビルとビルの隙間まで一足で飛んだ。
そこにいた人間は即座に逃げようとするが、見せられた黒い背中に遠慮無くブーツをめり込ませて行動不能に陥らせる。
じたばたともがいてももう遅い。
「そのあたりの事情ってやつを話しちゃくれねぇかなぁ、ジミー」
ささやきかければ、ようやく観念したように足の下で乾いた笑いが漏れてきた。
ジミーの奢りでたらふくパフェを食べ、ついでに…いやいやいや、しっかりと本命の情報を手に入れた俺は、地味な顔を真っ青にしているジミーと夜道を歩いていた。
「んな暗い顔するなって。人生色々って言うだろ?」
「いろいろっていうか、ほとんど旦那のせいじゃないか」
「責任転嫁たぁ、大人のすることじゃねぇな」
「明らかにアンタのせいだからね!
あああどうしよう。旦那と話してたら東条さんを見失った…なんて副長に言えない…」
しゃがみ込んで落ち込むジミー。
慰めようと肩に手を置けば、ギロリと下からにらまれてしまった。理不尽きわまりねぇな。
「しっかし、仲間の疑いを晴らすために、仲間を危険な町中に泳がせて探るたぁ、お役人さんはやることが違うねぇ」
嫌みったらしく言えば、ジミーは居心地悪そうな顔をして立ち上がる。
「それもこれも、旦那が屯所に東条さんを訪ねてきたのが原因なんですからね」
鼬の最後っ屁のようにぽつりと言ったジミーは、屯所へとようやく足を向ける気になったようで、とぼとぼと歩き出した。
その言葉は俺に深く突き刺さる。
別の要因でも叶は疑われたようだが、きっかけを作ったのは俺だ。
そう考えたからこそ、こんな場所に足が向いてしまった。
紅桜を巡る高杉との闘争。
それにより、沈んだ高杉の船はこの港に眠っていると聞く。
未だに、船が沈んだ辺りからは赤い光が見えることがある…なんて怪談のようなことも噂になっている。
真選組に対する辻斬り行為が始まった場所というからなおのこと。まだ斬り殺された隊士はいないはずなのに、怨念が眠るとか、面白可笑しく話していた奴もいるぐらいだ。
しかしそろそろ潮時だろうと、一人帰ろうとしたところで、闇の中に飛ぶ赤くてヤニ臭い蛍を見つけた。
「てめぇらこんなところで何やってんだ。特に山崎。てめぇは東条の見張りにつけたはずだが?」
相変わらずの動向開きっぱなしの目を細めてにらんできた。
「見失ったって、何やってんだテメェは」
「すみません、副長ッ」
大串君に土下座するジミー。
事情を説明するにつれて、だんだんと空気が重くなる。
ジミーが叶を見失った原因が俺にあるとわかってからは、ちらちらとこちらを伺うような大串君の視線がウザさを増す。
だからこそ、俺は二人の背後に光る赤い月に気がついた。
「危ねぇッ!!!」
俺のかけ声の一つで、とっさに土方の方はその場から飛び退き、ジミーは俺が蹴り飛ばすことで斬撃の射程からなんとか逃す。
ジミーもようやく命の危機を知ったようで、ぱくぱくと、自分に斬りかかってきた男を見た。
自ら出されて呼吸を見失った魚のように口を開け閉めしていたジミーはようやくその場から飛び退く。監察だけあって、冷静さを取り戻すことと俊足には自信があるようで、二度目の攻撃は自分の足だけで逃げ切っていた。
似蔵は、やはり異質な空気をまとってそこにいた。
どこにも自分の意志というものが感じられない。
まるで生ける屍だ。
「…てめぇが犯人か」
土方が鯉口を切っていつでも抜刀できるように構え、沖田も間合いを取る。
それに対して、ゆらりと、似蔵は土方に斬りかかった。
さすが真選組の副長を名乗っているだけあって、肺はヤニ塗れでも動きは俊敏。それ以上に素早いのは若い沖田君。
連係プレーというわけでもないのだろうが、不思議と呼吸が合っている。
いつの間にかジミーがいなくなっているが、おそらくは応援を呼びにでも行ったのだろう。
それぞれがそれぞれに、己の職分を全うする。税金ドロボーは税金ドロボーなりにがんばってるってわけか。
似蔵は俺には全く興味がないのか、その凶刃が向かうのは真選組の二人だけ。
とすれば妙な話だ。この間の船の上では、人の形を失っても俺にかかってきたというのに。
まあ考えたとしても仕方がないので、俺も二人から少し遅れて木刀を構えた。
人間にしては機械的で変則的すぎる攻撃の一つ一つを、真選組の筆頭格は軽くいなす。しかしなかなか攻撃を入れる隙が見あたらない。
呼吸の合間を縫おうとしても、呼吸が感じられない。
動悸の一つすらも、存在しないような異様さが似蔵を取り巻いている。
だが、"俺のことが眼中にないこと"は、似蔵の隙そのものだった。
「いい加減にしろッ!」
裂帛の気合いと共に木刀を唸らせれば、似蔵のみぞおちに入りその動きを止める。追い打ちをかけるように、土方君の刀と沖田君の刀が、喉と胸に、それぞれ沈んだ。
今度こそ、似蔵は生命活動を停止させ、膝からゆっくりと崩れ落ちた。
「これで…」
これでひとまずは、
「壊れたか」
気を抜きかけたところで、淡々と事実を確認するような声が降ってきた。
いつの間に、と三人同時に振り返れば、狐が一匹、月光に溶け込むようにしてそこにいた。
「てめぇが"狐"か」
狐は答えない。
視線は仮面に阻まれてわからないが、俺たちなど眼中にないように顔は似蔵に向いている。
「テメェ、何モンだ。高杉の仲間か?」
やはり答えない。
それが、短気な副長のしゃくに障ったようだ。
「人の話はちゃんと聞きましょうって、お母さんにいわれなかったのか!!」
斬りかかりながら、土方君が怒鳴る。
だが、その刀の軌跡の先にはすでに狐の姿はなく、そして似蔵の死体もまた忽然と消えていた。
「我は回収にきたのみ」
次に聞こえてきた声は遠かった。
狐は遙か先。停泊する船の上に移動していた。足下に転がっているのは似蔵の死体だろう。
そのまま船にのって逃げる算段かと、慌てて俺たちも船から渡された橋に向かおうとし…けれど、狐の異常な行動が、俺たちの足を凍り付かせた。
狐の手が、ゆっくりと似蔵の体の中に沈んでいく。
まるで豆腐の中に手を突っ込むように、易々と狐の指は肉の中へ沈み、そして白い手首がすっぽり似蔵の体の中に収まる。
そのままぐちゃぐちゃと掻き回した狐は、似蔵の中から赤くテラテラと光るモノを抜き取った。
「か、たな?」
月明かりに血を滴らせているのは刀だった。
鞘も、柄も、なにもない。刃だけが月明かりに紅に照らし出されている。
「紅桜。そう貴様が呼ぶもの」
「…あの高杉の一件に絡んでたっていう刀か」
「そう」
その一言で、真選組は高杉と狐の関わりを確信したらしい。
だがそれ以上の追求をするより前に、狐は何も言わずに刀を持ったまま船から飛び降りた。
狐が先ほどまでいた場所に慌てて駆けるが…その場には、カラカラに乾いた似蔵の死体だけが残されていた。